よく「日本人は権利は戦って勝ち取るものだという意識が無い」という言われ方をする。まあ確かに革命起こして民主主義を手に入れた欧米人と、アメリカのお仕着せで民主主義を手に入れた日本人とじゃ意識は違うかもねえ、しかしそんな何百年も精神が維持されるもんかねえ、なんて事を思ったものだが。
「人権」っていつから信仰の対象になったんだっけ? - 想像力はベッドルームと路上から
この記事で、id:hokusyuさんが「(基本的人権が)自明だからこそ憲法に書いてあるんじゃん」と発言したことに驚いた、という話が書かれている。
これも「戦って勝ち取った」という歴史が無いからなのかねえ。
歴史をほんの少し学べば、国外のニュースをちらりと見てみれば、そこには基本的人権なんてクソみたいに扱われてる時代や地域がある。ホームレスなんてまだいい方で、むしろライフレスな人たちのほうが問題だ。「子供の人権」なんてまだ日本でも法的には認められてないんじゃないっけ?
「戦って勝ち取った」という歴史が国民性にどれだけ影響を及ぼすのかさっぱりわからんけど、その歴史の有無が原因だと言われるとまあ有力な反論も思い付かん。人権なんて天からふって来るものであって無いのがおかしいんだみたいな言い方されると、なんかいろんな人に申し訳無いんじゃないかという気もしてくる。
この記事が非常に興味深くて、
要すれば、ソロスがいうように、『経済活動においては小さなバブルの形成と破綻は普通に繰り返されるが、今回の破綻は、戦後60年間膨れ上がって来た、「スーパーバブル」と呼ぶべき信用拡大の終焉を意味する』、ということであるが。
はてなーにもわかる金融業界の栄枯盛衰 - よそ行きの妄想
なんだそうだ。
バブルは80年代のアレやサブプライム問題だけじゃなく、戦後60年間ずっと膨らんで来たものなんだとさ。それが破綻すれば、今まで当たり前に享受して来たものも当たり前じゃなくなるだろう。
普通に3食の食事を取り、学校へ行き、就職する。そんな当たり前のことですら、我々はもう失ってしまっている。
さてはて、ホームレス支援なんて言ってる余裕が、我々に与えられるといいんだがね。そりゃ支援したほうがいいに決まってるが。それは我々の未来かもしれないんだからね。
でもそんな後ろ向きでいいのかな。支援するだけの余裕をどう作るか考えるべきと言った人、いなかったっけ?