なんとも陰鬱とした見出しと内容の記事があがっていたので。
このふたりは50代、60代であり、バブルまでの高度経済成長の中、社会に出て大人になった人たちだ。嫌な言い方をしてしまえば、社会に望まれて社会人になった人たちだ。
我々の世代は違う。団塊Jr、氷河期世代が社会から最初に受け取ったメッセージは「君たちは要らない子」だ。それはこの20年、日本社会が若者に向けて発してきたメッセージだ。
人生設計? そんなものに意味があるのかすらわからない。何がどう動くのか、自分は何に巻き込まれるのか。まったく想像が付かない。安全な場所なんてどこにあるんだろう。
年寄りは言う。若者よ、もっと視野を広げろ、努力しろ。
視野を広げてみた。中国が成長していた。東南アジアが熱かった。韓国の家電に、日本が負けているのが見えた。
努力してみた。覚えるべきことは年々増えていく。便利にはなったけど、その分ひとつのことだけをやって食える時代じゃなくなっていた。変化も早い。これをやっていて生き残れるのか? そう自問自答する日々が続く。
視野を広げれば広げるほどに、努力すればするほどに、絶望の朝を迎える日々が増えていく。
視野を広げろ、努力しろ、そう言った彼らは俺たちと同じ年齢のときに何をやっていたのだろうか。大学は遊ぶところだと言われていた。会社からぜひ入ってくれと懇願されていた。インフレに乗って大口の仕事を取って来ていた。
何一つ我々には無かったものだ。
10代の頃、すべてに絶望して何もかも捨て去ってみようとしたことがある。そうしたら、どうしても捨てられない3つのものが残った。哲学と文学と計算機だった。
哲学とは、思考すること。知を求めること。
文学とは、言葉と物語を慈しむこと。
計算機──コンピュータは、自分が自由であるための大事なパートナー。
仕事になったのは計算機だった。けれど俺の思考と言葉は、インターネットを通してたくさんの人に読んでいただけるようになった。
どんな学問や仕事を選ぶにしても「私にはこれしかできない」ことを基準にして下さい。これしかできない「これ」がわからなければ、死んでしまってはいけないけど、どん底まで落ちてみるのもいいし、友だちみんなちゃらにしてしまうのもいいでしょう。自分の死の形というのをくっきり見つめることができたら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。自分の前に避けがたい一本の道が見えてきたら、それがあなたの人生なのです。
困難な時代を生きる君たちへ - finalventの日記
私自身は20代からずっと哲学の本を読むことと武道の稽古に打ち込んできました。とても楽しい時間でした。結果的にそれで生計を立てることができましたが、若いときは「そんなことやって何になるんだ」と言われ続けました。でも、気にしなかった。みなさんも「それが何の役に立つのかわからないけれど、どうしてもやりたい、やっていると楽しい」ことをみつけてください。そうすれば、「努力したけれど報われなかった」という言葉だけは口にしないで済むはずです。
困難な時代を生きる君たちへ (内田樹の研究室)
俺はふたりのこの言葉を実践していたことになる。思考することも、言葉を愛することも、計算機と戯れることも、これしかできなくて、楽しくてしょうがなかったことだった。
それでもまだ未来は真っ暗闇だ。今年の新成人は120万人だという。
総務省が31日発表した1月1日現在の人口推計によると、今年の「新成人」は122万人(前年比2万人減)で、5年連続で過去最少を更新した。
ピーク時の1970年(246万人)の半数を初めて下回った。男女別では男性62万人、女性60万人で、前年より1万人ずつ減った。
新成人122万人、ピークの半数初めて下回る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
70年に成人した団塊世代。その子供世代である団塊Jrもボリュームがある。彼らの消費によって日本の経済は伸びて来た。だがもうそれも終る。100万人が買ってたものが50万人になり、もっと下がる。売上は半分以下になる。どうあがいても、国内需要は下がり続ける。
困難な時代を生きる我々がしなくてはならないことは、仕事を見付けて来ることじゃない。仕事を作ることだ。既にある仕事は徐々に後退していく。未来があるはずもない。新しい仕事を作りだしていく必要がある。
小さな規模でもいい。誰かの仕事を作ることが、自分の仕事になる。チャレンジは多い方がいい。万に一つの成功は、1万人がチャレンジして一人が成功するという意味だ。我々はそこに踏みこまねばならない。
絶望の朝を、希望の朝に変えるために。