狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

反戦と自立と贖罪──ヴァイオレット・エヴァーガーデン完結によせて

京都アニメーション最新作にして復帰作である「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」について語りたい。テレビシリーズのころからあまりに美麗な映像が話題になりがちな作品だが、ただ美しいだけの話ではもちろんない。これは明確に「反戦映画」である。

従来、女性を主人公にした反戦映画は、どうしても戦争に対して他人事であった。「帰ってこない男を待つ女」のように、あるいは「負傷した帰還兵」の狂乱に巻き込まれるような、ただただ犠牲者としての女性が描かれてきた。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の革新的なところは、主人公のヴァイオレット自身が両腕を失った「負傷した帰還兵」でもあり、また「帰ってこない男を待つ女」でもあるところだ。

だからこそ戦争が他人事ではない。そこには圧倒的な当事者性がある。テレビシリーズはただの戦闘人形だったヴァイオレットが、手紙を通して人の心に触れ、自分のしてきたことにさいなまれる話でもあった。

今作の劇場版でも、序盤からヴァイオレットは「自分は讃えられるべき人間ではない」と釈明する。兵士としても「優秀」であったヴァイオレットは、あまりにも多くの命を殺めてきたからだ。

作中に登場する男たちが戦争に皆取られてしまって、老人と女子供だけになった島。その麦人演じる老人の言葉のひとつひとつが、いかにも「戦後」を捉えている。

日本のアニメ作品にはありがちなのだが、こういう重要なテーマをさらりと織り込んでくる。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を反戦映画として捉えてる人などあまりいないのだが、それくらいさらりと自然に物語に織り込まれ、受け手は美しい映像と物語に引き込まれてしまってふと冷静になってみないと気付かない。こういう日本のアニメの描き方はたいへんすばらしいと俺は思う。

もうひとつ、この作品には重要なテーマが織り込まれている。それは「自立」だ。

「自分を育ててくれた男」との恋物語は、少女小説においては珍しいものではない。古くは源氏物語にも見られる類型である。

だが一面的に見れば軍の都合とはいえひとりの少女を「武器」として使ったギルベルトは加害者である。孤児である彼女に読み書きを教え、マナーを叩き込んだのも彼であるとはいえ、その罪は許されるものではないはずだ。

だがそれを決めるのは被害者であるヴァイオレット自身でなければならない。だからこれは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという少女自身が、ギルベルト少佐からの自立を果たし、自ら判断をくださねばならない。少佐という過去に囚われたままでは、ただ命令を欲しがるだけの子供であった頃となにも変わらない。子供には判断できないことだ。

その補助線として描かれるのが病床のユリス少年との出会いである。自分の命がそう遠くないうちに消えることを予感したユリス少年は、心配とか過干渉はいらないと言う。ただ自分の死後、家族に届けたい言葉があるのだと。自らの死を前にした少年は、精神的に自立しようとしていた。

生意気盛りでもあるユリス少年の存在は、ヴァイオレットに少なくない影響を与えてることが読み取れる。ヴァイオレットには運命的に存在し得なかった思春期を、きっとこのとき追体験したのかもしれない。

実は3度ほど見て気付いたのだが、この作品において主人公ヴァイオレットはおおむね画面の右側に配置されていたり、左側を向いていることが多い。劇作において画面の右側は上座であり、ポジティブさや未来を示唆する。左側の上座はその反対、ネガティブさや過去を示唆する。「帰ってこない男」であるギルベルト・ブーゲンビリア少佐という過去が、ヴァイオレットをいまも締め付けていることを表している。

この物語において、ヴァイオレットがギルベルトを「過去」にできるかどうか、それによって「自立」を得ることができるかどうかが、非常に重要なキーとなっている。そこにユリス少年も関わっていく。

まだ未見の方にもヴァイオレットが上座に向けて走り出す瞬間を、ぜひ劇場で目撃してもらいたい。その時の彼女は、過去から解き放たれ、すべてを自分自身の意志で判断できる、一人の自立した女性なのである。

今作で堂々の完結となる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であるが、初見の人にもこれまでの流れがわかるように構成が工夫されていた。これまでの物語を知る人も知らない人も、とりあえずこの完結編を見てもらいたい。もちろんいままでのシリーズを見てきた人は、よりいっそう深く心動かされることであろう。

そしてもう一つ織り込まれてるテーマは「贖罪」である。これは各人自らの感性で感じ取ってもらいたい。この織り込まれたテーマを語るとどうしてもあらすじを延々と書くことになってしまうからだ。それぞれの人物たちのそれぞれの贖罪に、注目してもらいたい。

まだまだ語りたいことはある。本作の完成を待たずに亡くなられてしまった美術監督である渡邉美希子の手による背景美術、架空の国でありながら文化や伝統の息遣いすら感じさせ、絵本がそのまま動いてるかのようなかわいらしさをたたえた美しさ。それでいて激しく振る雨はなぜああもリアルで残酷に描かれたのか。新技術の受け止め方のよさみ。Evan Call による音楽の素晴らしさなどなど……

ただあれほどの被害を受けた京都アニメーションが、このような「贖罪」の物語を作り上げたことに、心を震わさずにはいられない。シナリオはその前からあがっていただろうから、偶然なのではあろうけれども。

ともあれまずは見てもらいたい。劇場に足を運ぶのをためらう人には、まず前作の外伝から見るのも手だと思う。また、原作順でテレビシリーズの7話から見てみるのもよいだろう。アニメ版の7話、10話、11話、6話の順番で原作は収録されている。このへんは単体でいきなり見てもぜんぜん問題ない。

「手紙」で人と人との心をつなぐヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界に、ぜひ足を踏み入れてもらいたい。

日本の漫画やアニメやゲームはガラパゴスなのか?

なにやら最近、日本のアニメやゲームや漫画をガラパゴスだとか言ったり、ガラパゴスでいいんだとか言ったりしてる人たちを散見する。結論から言おう。日本のアニメもゲームも漫画もまったくガラパゴスではない。

ガラパゴス化批判というのは主に日本の携帯電話に対して行われてきたものだ。

俺がさんざん日本のケータイはガラパゴスだと言い続けてきたのは、日本におけるOSSの幻想――OSS界のガラパゴス諸島、ニッポンという2004年の記事が元である。

OSS振興の流れは出てきたが、こと日本はOSSに関して独自の進化(退化?)を遂げている部分があると同氏は指摘する。その原因としては、英語という大海で遮断された状況からくる甘えの精神構造、貧弱な開発力とコミュニケーション下手であることなどが挙げられるようだ。

(中略)

問題なのは、本流とかい離し、日本独自の動きをしてしまっていることである。

(中略)

「肝心なのは日本で閉じることなく、グローバルに出て行くこと」(佐渡氏)

日本におけるOSSの幻想――OSS界のガラパゴス諸島、ニッポン

www.itmedia.co.jp

この記事がとても印象深かったので、2007年1月に iPhone が発表されたあと、なぜiPhoneは日本で使えないの?という記事を読んだときに「日本のケータイもガラパゴスだよなあ、海外に出てイケてないものな」と思ってあちこちでそんなことを書いたり話したりしていた。

たぶん同じことを思った人たちが何人もいたのか、いつの間にかガラパゴスケータイ、略してガラケーとか呼ばれるようになっててたいへん吹いたものである。

日本のケータイは本当にどうしようもなくガラパゴスだった。日本でしか使いみちのない FeliCa を搭載した6〜8万円もする端末なんて海外で売れるわけがない。i-mode のような最初から中央集権的で煩雑な事務手続きが必要なものを外国から持ち込まれても誰も使うわけがない。

唯一絵文字だけはグローバルに出ていくことができた。しかしそれも GmailiPhone で絵文字を使うために、GoogleApple呉越同舟Unicode コンソーシアムに参加して激しい交渉を続けてくれたおかげである。勝手に絵文字を作り上げた国内キャリアはなんもしていない。

japan.cnet.com

端末開発もキャリアが主導し、メーカー側は仕様を決定する権限もろくになかったようだ。キャリア側からの要請に翻弄され、メーカーは「海外で売れる携帯電話端末」を開発する機会を喪失した。これがスマホ時代に大きく遅れを取った要因のひとつである。

こういう状況をもってして「日本のケータイはガラパゴス」と言われていたのである。

日本のアニメ・漫画・ゲームはグローバルに出ている

そもそも日本のアニメというのは、昔から海外と共同で制作することが多かった。代表的なのが世界名作劇場シリーズである。

世界名作劇場が始まった頃は虫プロの倒産、東映動画の累積赤字などアニメ業界の景気が悪かった。このため各社は制作費回収のため、作品を海外に輸出することを前提として制作していた。名作劇場も同様に海外市場を睨んで制作され[3]、韓国・台湾・中国・フィリピンなどの東・東南アジアやヨーロッパ諸国・中東など世界各地で放送された。特にフィリピン・イタリアでは『名犬ラッシー』を除く全作品が放送されており、香港では『レ・ミゼラブル 少女コゼット』まで放送、ドイツについても『小公子セディ』を除いて『ロミオの青い空』まで放送されている。一方、アメリカ合衆国では『トム・ソーヤーの冒険』『ふしぎな島のフローネ』と『若草物語』の数話分しか紹介されておらず、イギリスでは『ピーターパンの冒険』しか放送されていない。

世界名作劇場 - Wikipedia

また、いまではハリウッド映画になった「トランスフォーマー」も初期の映像化は日本の東映動画によるアニメ作品であった。

そもそもトランスフォーマー自体が日本の玩具メーカーであるタカラトミーの開発した変形ロボットを米国のハズブロ社がトランスフォーマーとして売り出したものである。トランスフォーマーは日本生まれなのだ。

またこうした変形ロボットものは「超時空要塞マクロス」を筆頭に北米では Robotech として再編集されこれも大ヒットした。

またマクロスなどのアニメにおけるロボットデザインは、米国で BattleTech やメックウォーリアーとして展開されたロボットゲームに丸パクリされて大問題になったこともある。

また「美少女戦士セーラームーン」など少女向け作品も世界中で大ヒットした。日本ではリボンの騎士キューティーハニーの昔から戦う女性は描かれてきたし、武士の娘は薙刀くらい修めてるものであったが、海外ではそうした戦う女性のイメージはとても希少であったようだ*1

主体的に、自分の意志で戦う女性像。少しエロティックな演出に短いスカートは当時の保守的な性規範への反抗である。それは世界中で多くの女性たちをエンパワメントしていた。

またセーラームーンを監督した幾原邦彦は、1997年には「少女革命ウテナ」を制作、男性も女性もエロティックに、また同性愛を想起させるようなレイアウト、劇団天井桟敷の影響のもとJ.A.シーザーの音楽で話題をかっさらった。インド系とも東南アジア系とも黒人ともとれる浅黒い風貌のヒロインや敵役もまた多くの人々を魅了した。

また「王子様」という少女の幻想を破壊する見事な作品でもあった。

mess-y.com

90年代の日本ではこれらの他にCLAMPなど性の多様性を描く作家が大流行し、漫画もアニメもゲームもどこかにはLGBTキャラが頻出するという、クイア・ブームとでも呼ぶべき状況があった。その後の欧米におけるLGBTムーブメントにもおそらく影響を与えたものではないかと思う。

その後も日本のアニメはどんどん輸出を続け、いまでは日本の映像コンテンツ輸出の大半を占めるようになっている。日本のアニメは初期から現在までずっとグローバルに出ていってるのである。

日本のゲームは超グローバル

さてゲームについても日本は超絶グローバルである。日本のタイトーが開発した「スペースインベーダー」、ナムコの「パックマン」等々、黎明期から世界中で大ヒットを生み出してきた。

任天堂セガソニーの開発したファミコンメガドライブプレイステーションも世界中で大ヒットしている。パンデミックの発生した2020年では「あつまれ! どうぶつの森」が世界的なヒットとなっている。

www.technologyreview.jp

また、クリエイターとしても影響のすさまじい人物を日本は排出している。例えば小島秀夫である。


【FC】メタルギア(METALGEAR)を普通に攻略 part1/3

小島秀夫が8bitゲーム機の時代に制作した「メタルギア」は、「敵を倒す」ゲームから「敵から隠れる」ゲームへの転換が図られた。このおもしろさを30年以上前に見つけ出したことはたいへんすばらしいことだ。この発明は後に「ステルスゲーム」と呼ばれることになる。

また小島秀夫の偉大さはそれにとどまらない。プレイステーションという高性能ゲーム機を得た小島は、「メタルギア」の続編「メタルギア・ソリッド」を制作する。

METAL GEAR SOLID V: GROUND ZEROES + THE PHANTOM PAIN - PS4

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映画好きでも知られる小島秀夫は、映画とゲームの融合にチャレンジした。これによりインタラクティブな映像とステルスゲームのおもしろさが見事にミックス、一大ジャンルへと成長したのである。

世界中でこれほど売れるゲームがあるのかと思うほどのヒットを果たした Assassin's Creed シリーズや The Last of Us などは、まさに小島秀夫の生み出したジャンルのなかで作られたものだ。

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また e-sports としていまや世界中で勃興している競技としてのゲームも、元をたどると大阪のゲームメーカーであるカプコンの生み出した「ストリートファイター2」が大元である。世界中で対戦が人気となり、みなが技を競い合う環境が生み出された。

俺も当時は子供ながらそこそこ自信はあったが、ニュージーランドのゲームセンターで対戦した黒人男性にボロボロに負けてしまってたいへん悔しかったのを覚えている。それだけ海外でも対戦技術の研究が進んでいたのであろう。

日本スゴイ? いや、そんなことはない

日本の漫画・アニメ・ゲームは確かにすごく、とてもグローバルなのではあるが、それをもって「日本スゴイ!」とか思い始めるのは早計である。

日本のクリエイターや専門家や技術者は本当にすごい人たちが多いのではあるが、それをマネジメントしたり投資したりする人たちがあんまりにも情けないからだ。

たとえば先述の小島秀夫メタルギア・ソリッドVの制作を最後にコナミを解雇されている。おそらく制作に時間と金を使いすぎたことが原因だろうと思われるが、そこをマネジメントするのが会社側の仕事ではないのか。

メタルギア・ソリッドVはストーリーも半端で終わっており、さらなる分作やDLCなどで早期リリースと開発の継続を両立できたはずではないか。

www.gamespark.jp

またアニメの制作体制も必ずしもよいとは言える状況ではない。キーフレームとなる原画は1カット4000〜6000円、その間をつなぐ動画は1枚200〜300円と言われている。普通のアニメーターなら月産60カット、動画は月産400枚程度と言われることを考えると、これは単価があまりにも安すぎる。少なくとも3倍にするか、社員として雇用し基本給を支給する状況を作るべきであろう。またそれを実現するために著作者となる製作委員会にスタジオを入れておくべきだ。

たとえば有名な京都アニメーションは元請けを始めた頃から製作委員会に入り、分配を受け取ってるはずである。作品がヒットすればスタジオの収入になる。だからこそ京都アニメーションの作品はあれほど名アニメーターたちを雇用していてもやっていけたのであろう。あまりにも悲しいことに彼らの多くはもういなくなってしまったが、スタジオとしての復活は心待ちにしている。

また漫画についても悲惨の一言である。Amazon Kindle という大型黒船に立ち向かうのになぜか各出版社がバラバラに手こぎボートを出してる状況だ。

日本の市場は大きくはないのだから、電子書籍やWeb配信サービスへの投資がばらつけばグローバル企業と勝負になるわけがない。

ハイエンドのゲームを作るための唯一の方法はグローバル市場を目標にすることだ

──小島秀夫

小島監督が海外インタビューで想い語る―「目先の利益を追求すれば時代に取り残される」 | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

ガラパゴス批判は、こういうところに向けてするものなのである。

pen_ashによるPixabayからの画像

*1:ワンダーウーマンなどの例はあるはずなのだが

「夏への扉」を、僕らはまだ探し続けている

人気SF小説『夏への扉』、山崎賢人主演で初の実写映画化 舞台を日本に再構築 | ORICON NEWSというニュースが飛び込んできた。ハインライン夏への扉は確かに名作で、hired girl という名のメイドロボのようなものを文化女中器と訳したセンスも含めて日本では評価が高い。山下達郎のこの小説を下地にした1980年の曲で知っている高齢者の方々も少なくなかろう。

『夏への扉』はとんでもない愚作なので褒めないでくださいという記事もある。ネタバレもあるので見たくない人はリンクを踏まないように。ただここに書かれてる批判は確かにそのとおりだ。「夏への扉」は人物造形があんまりちゃんとしておらず、ただただ技術者が技術と復讐に燃える話だ。猫のピートがただ一つの癒しであり、ヒロインに至っては記憶がないレベル。いま映像化するなら、このヒロインをどこまで掘り下げられるかがポイントになるであろう。

まあ日本の実写化に期待などはしないが。

さて、これだけでもなんなので、2006年4月11日のWeb日記に書いた俺の夏への扉の感想をここに再録しておこう。

夏への扉

夏への扉

夏への扉

かのハインラインSF小説。 友人らが揃いも揃って 名作 だの じわっと来た だの言うので注文してあったのだが、ようやく読めた。

確かにおもしろい。思わず時間を忘れて一気に読んでしまった。話の筋は中盤で読めてしまうのだが、それでも興ざめすることなく、なおもおもしろいのは名作の名作たる所以か。

しかし、一番心をひかれたのは、主人公の技術者としての立ち方だ。あくまで物作りに徹しようとし、経営は極力人に任せようとする。それが彼の人生を狂わせもし、助けもする。そして開発に注力するその姿に、共感と羨望と憧憬を感じざるを得ない。

翻訳も読みやすく、SFと言っても小難しい理論に彩られた難解な作でもない。むしろ人間の情景に導かれた、美しい人間の──あるいは恋の物語と言ってもいい。まあ、恋の対象が微妙ではあるが。

題名の「夏への扉」は、暗く冷たい冬の逆を言っている。その扉は誰もが探そうとしてる青い鳥のようなもので、実際主人公の見つけた夏への扉は、ずっと昔からそこにあったものだった。だがしかし、それを手に入れるのは未来においてなのである。

そして未来は、いずれにしろ過去にまさる。誰がなんといおうと、世界は日に日に良くなりまさりつつあるのだ。人間精神が、その環境に順応して徐々に環境に働きかけ、両手で、機械で、かんで、科学と技術で、新しい、よりよい世界を築いてゆくのだ。

終盤、主人公はそう語る。これはなんとも、開く扉がことごとく「冬への扉」である我々21世紀初頭の日本人には、激励とも取れる言葉ではないか。

本作品において重要な位置をしめるピートという猫は、真冬に扉という扉を開こうとする。そのうちのひとつは夏への扉なのだと信じて疑わない。そう、どこかにまだ開いてない夏に通じる扉が、あるはずなのだと。

夏への扉[新訳版]

夏への扉[新訳版]

テレワークからノマドワークへ、Third place という「新しい日常」にシフトしよう

コワーキングスペースの写真
コワーキングスペースの写真

インターリンクはオフィスを閉鎖して、単なる在宅ワークではない、ノマドワーク(在宅+WeWork)へ完全移行します という記事。テレワークとかリモートワークとかじゃなく、ノマドワークというところがすばらしい。

ノマドというと一時期詐欺師のような連中が暴れまわったせいでおかしなイメージを持ってる人も少なからずいるだろうが、俺や id:elm200 さんが10年以上前にこれからはノマドノマドだと騒いでいたのは、物理的な場所にとらわれる必要はもうなくなったということをずっと言ってたのである。

逆に言えば10年以上前にはそういう下地がとっくにできてたわけだ。現代の仕事はほとんどがパソコンひとつで完結するのであり、真面目にペーパーレス社会に取り組んでいれば接触8割減なんてそう難しい話ではなかったはずなのである。

さて、上記記事ではコワーキングスペースを活用し、働く場所を在宅でもコワーキングスペースでも好きなところで働いたらいいという形にしている。コストの問題は別としてカフェでも問題はないだろう。特に東京はルノアールという古からのノマドワーカーたちの聖地があり、Wi-Fi も電源もあって快適な作業場だ。ノマドというワードが流行ってた頃、なぜか彼らをくさす言葉として「スタバでドヤ顔」というのが言われてたが、当時の日本のスターバックスは電源もWi-Fiもなく、本物のノマドはスタバにはいなかった。本物のノマドルノアールにいた。

パンデミックなんか発生したせいというのが悲しいところだが、ようやくオフィスに集まることの意味の無さに気づいた人が増えたのはたいへん喜ばしいことだ。

しかし数年前からコワーキングスペースが流行したとはいえ、なぜかコワーキングスペースは都心に作られることが多かった。もちろんそれはそれで重要なのではあろうが、ノマドワークには東京一極集中を解消する力があるはずなのに、それではまったく意味がない。

コワーキングスペースはむしろ住宅街にあるべきなのだ。

コワーキングスペースの機能は働く場所というだけではない。Third place という思想がある。

サード・プレイスとは、コミュニティにおいて、自宅や職場とは隔離された、心地のよい第3の居場所を指す。サード・プレイスの例としては、カフェ、クラブ、公園などである。アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグはその著書『ザ・グレート・グッド・プレイス』(The Great Good Place)で、市民社会、民主主義、市民参加、ある場所への特別な思いを確立するのに重要だと論じている。

サード・プレイス - Wikipedia

コワーキングスペースはまさに Third place だ。知らない人もいるようだが、スターバックスなどもこうしたサードプレイス思想の影響のもとに作られている。

私たちは、誰もが歓迎される温もりと帰属意識のある文化の創造に努めています。この方針は、私たちのミッションである "人間の精神を鼓舞し、育む──ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから" に沿って、サードプレイスの環境を維持することを目的としています。 (機械翻訳+筆者による修正)

Use of the Third Place Policy

書籍もいろいろ出てるので興味のある人は手にとってもらいたい。

サードプレイスは仕事をするだけの場ではない。家庭でも勤め先でもないコミュニティであり、どちらでも難しい自己実現の場でもある。コワーキングスペースは例えば家においておけない趣味がおかれててもぜんぜん不思議ではない。

そういう場は住宅街にあるべきだ。できれば住宅地の駅前にあるとよい。地元の駅前のカフェ、そこで議論したり仕事をしたり趣味に興じたりする人々、そういう風景こそがサードプレイスであり、コワーキングスペースのあるべき姿だ。

そう、ちょっと思い出してみるといい。そうした風景は日本に元々ある。そう、公民館だ。公民館では各部屋に別れて、様々な活動をしてる人々がいる。音楽をしてる人もゲームをしてる人もいる。そこに「仕事をする人」が加わるのだ。

だからこれは東京一極集中解消という名目で、公民館の一種として国が作っていくべきであろう。私的なコワーキングスペースにも補助金を出していくべきだ。なんなら鉄道会社が通勤減の売上の補填として経営してもいい。人々が通勤をしない、ノマドワークがあたりまえになり、東京一極集中が解消され、満員電車も過去のものとなる。そんな「新しい日常」を我々は作っていくべきだ。

コワーキングスペースは、図書館とカフェが併設されたような場でもいい。人々がゆったりと自分の興味に興じられればそれでいいのである。ただそこには、電源とWi-Fiが必要になる。椅子も座り心地の悪いものではなく、長く座っていられるものがいい。イメージとしては図書館の自習室を思い浮かべてもいい。

我々は公民館の一種としてのコワーキングスペースで仕事をし、ときどき人に会ったり現物を確認するために都心へ行く。

そんな「新しい日常」を作るためにも、国や行政には意識を変えてもらいたい。サードプレイス思想を持った、新しい公民館を官民協力して作っていくのだと。

ノマドワークの時代が始まるのではない、始めていくのだ。

思い出せ、人類は風邪予防すらまともにできていなかったことを

9年くらい前に1000年に一度の大震災を目の当たりにしたはずなのだが、今度は100年に1度のパンデミックなんてものを目の当たりにするとは、なかなかすごい時代に生まれてしまったものだと思う。こんなときだから人々がいろいろと語りたくなる気持ちはわかるのだけれども、素っ頓狂な「アフターコロナ論」を言い出す人々にはずいぶんともやもやしたものを感じてしまう。

もやもやするのはそんな論者たちばかりでもない。専門家会議の出した「新しい生活様式」というものにもたいへんもやもやするものがある。距離を取れ、食べながらしゃべるな、そんなこと専門家が指示するようなことだろうか。

そもそも SARS-CoV-2 、新型コロナウイルスはそんなに特別なものだろうか。

確かに誰もまだ免疫を持ってない新しいウイルスだし、変異したばかりで毒性も高い。そりゃあ感染も広まりやすいだろう。だがよくよく考えて欲しい。よくよく思い出して欲しい。

これは風邪の一種だということを。

そしてもともと風邪はこじらせたら死ぬ病気だということを。

その日、人類は思い出した。ヤツらに支配されていた恐怖を……

進撃の巨人(1) (週刊少年マガジンコミックス)

風邪は万病の元ともいう。風邪の9割はウイルス感染症だ。治療法はない。寝てればだいたいは治る。だがこじらせれば重症化することも死ぬこともある。だからこそ風邪予防をずっとずっと呼びかけられてきたのではないか。

そして新型コロナウイルスへの個人でできる対策はぜんぶ今までずっと言われてきたただの「風邪予防」だ。

手洗い、うがい、水分補給、栄養、睡眠、リラックス、保温、保湿の8つが対策としてあげられている。

そして重要なのは「風邪を引いてしまったら」の項目だ

もしも「かぜ」や「インフルエンザ」にかかってしまったら、他の人にうつさないエチケットを心がけてください。

  • せきやくしゃみはハンカチや手で口と鼻をしっかり覆って飛沫をブロック
  • マスクで飛沫の拡散を防止しましょう(特に「インフルエンザ」)
  • 手をよく洗い・乾燥させて、接触感染を防ぎましょう(菌やウイルスは乾燥に弱い)
  • 「かぜ」をひいた人が使った食器類はきちんと洗いましょう(接触感染を防ぐ)

無理をして出社や登校せずに、医師の診断と治療を受け、安静にして早く治しましょう

2-8. 「かぜ症候群」は予防が一番です! | 日本BD

結局これも SARS-CoV-2 対策となにも変わらないではないか。

ようは人類は風邪をナメてたのだ。SARS-CoV-2 ウイルスによる感染症 COVID-19 が流行し始めてから、明らかにインフルエンザ感染は減っているという。いままで手洗い1つ十分になされていなかったということだ。

風邪をひいていても解熱剤などで症状を抑えて出勤・登校する人々を、我々は知っているはずだ。トイレの後、帰宅時の手洗いをしない子供も、帰宅後に部屋着に着替えない人たちもだ。どれもこれも外でついたウイルスを家の中に蔓延させてしまう行為だというのに。

満員電車だってそうだ。喋らないからマシかもしれないが、あんな密着した状態で感染症が広まらないわけがない。そうでなくても激しいストレスにより免疫力は低下する。あんなものを許容してた事自体がおかしいのである。

三密? 行動様式? それ以前の問題じゃないですか?

少なくとも手洗いを真面目にやり、満員電車になど乗らず、発熱があったらきちんと休む。ただそれだけのことができていれば、パンデミックになんかならなかったんじゃないんですか?

食事のマナーだってそうだ。食べる前に手洗いをする、飲み込んでからしゃべる。噛んでる間は口を開かない。それができるだけでずいぶん違ったのではないのか。

ウイルスだって少量入り込んだくらいで感染症を引き起こしたりはしない。免疫機構がすぐに退治してしまうからだ。免疫機構の能力を超えたウイルス量を曝露するから感染する。

いままで言われてきた風邪対策をまずは徹底して普及させることが先決なのではないのか。

「変わってしまう」ではなく「変えていく」ために

人類は愚かだ。世界は決定的に変わってしまったみたいなアフターコロナ論に俺は与しない。人々は恐怖を忘れ、また同じような生活に戻ってしまうだろう。

そうはさせない。させてはいけないのである。

特に日本においては、ろくに手がついてなかった満員電車を解消する絶好のチャンスである。

リモートワークだってやればできることが証明された。あとは自宅で作業するのは厳しいことも多いから、各地の住宅街の駅近くにでもどんどんコワーキングスペースを作っていくべきだ。企業共同で作ってもいいし、国は補助金を出すべきだ。出社するのはミーティングの時間でいい。

でかけなければできない作業をどんどんオンライン化していくべきだ。まずは行政手続き、役所の窓口業務をぜんぶオンライン化すべきだ。物理的な窓口はオンライン手続きのサポート会場としての役割以外を排除すべきだ。電子政府化を真面目にやらなければならない。

東京一極集中を解消すべきだ。過密都市東京は、ちょっと高級な内装のレストランであっても他のテーブルと距離が近すぎると思っていた。妙に狭っ苦しく感じるのである。仕切りや膜を張るような対策は一時的なものだろう。オフィスにしても極端に狭いところに詰め込まれるといった話も聞く。オフィスにしてもレストランにしても、換気基準と面積あたりの席数の基準を改め規制をすべきだ。

発熱した労働者も給料が減るのでは休めない。出社してきてウイルスをばらまかれたら他の労働者たちにも感染が広がる。だからいわゆる sick leave 、傷病用の有給休暇を別途設定することを義務付けるべきだ。

これらは COVID-19 対策などではない。一般的な感染症を、風邪を予防するために必要なことだ。今までもやっておかなければいけなかったはずのことなのである。

風邪が予防できずに新型コロナウイルスが予防できるわけないだろ!?

もし本当に「世界は決定的に変わってしまった」というのなら、今までのビジネスは成立しなくなる。廃業者も主に飲食店などを中心に大量に出てくるだろう。ならば起業支援を今まで以上にどんどんやらなければ雇用は減り続ける一方だ。新しいビジネスのチャンスでもあると考えるしかない。

まじめに風邪予防をやれ、起業支援をしろ。

新しい行動様式だのアフターコロナうんたらだのは、そのあとの話であると俺は考えるのである。

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東京オリンピックまで147日だったので「AKIRA」を見てみた

実は未見だったのだが、80年代アニメ映画の金字塔「AKIRA」を見てみた。東京オリンピックまでちょうど147日だったのでいい機会かなと思って。

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2020-02-28

さすがにもう30年以上昔のアニメでたいへん古いのだが、それでも作画はとても美しく、4Kリマスター版を見てみたくなる出来栄えだった。

しかし80年代後半というあの時代の、いわゆる今で言う左派的な世界観が凝縮された映画でもあるなと思った。

大衆のデモで投げられる可燃物と思しきものの煙など、あれは学生運動の時代の風景なのであろう。いまも禍根を残しがちな「科学では解明できない」「人間が取り扱うには大きすぎる力」など、現代でやれば失笑ものであろう。

かつて第二次世界大戦終結したころ、人々の間では「モダンに対する不信感」が募っていたらしい。モダン──近代的であること、科学的であること、合理的であること、そうしたものは結局のところ人を不幸にするのではないか。人間という小さな器では理解できない大きな存在があるのではないか、合理的なモダン建築はただただ冷たいだけではないか。合理性の行き着く先がナチスであり、原爆だったのではないか。

そうした思いはアニメの世界にも入り込むものがあり、「機動戦士ガンダム」で描かれた宇宙移民という合理性を超える力をジオン公国という形で見せつけた。科学が解明できない大きな力として、人類の革新「ニュータイプ」という存在が配置された。

AKIRA」でもそうしたものは存分に描かれる。「科学では解明できない力」に目覚め、飲み込まれていく鉄雄。それに対抗するのは合理性とはかけ離れた不良少年金田。この作品でも「科学者」という存在は「好奇心に負けて愚かな研究に手を出す」という存在に描かれる。あの時代は、そういう合理性や科学への不信が募っていた時代だったなあと、いささかの郷愁を覚えながら121分を楽しんだ。

いまならわかる。モダンであること、科学的であること、合理的であること、それらは人間を不幸にするわけではないのだと。

合理的で画一的なモダン建築は、いま思えば風景が人間に与える心理的影響が考慮されてなかった。正しく合理的に運用され適切にリプレース計画が実施された原子力が人間を不幸にしたことなどなかった。不幸を生み出したものは、モダンさが足りてなかった。合理的でも科学的でもまったくなかった。我々はいまだにウイルスに感染していても出勤を命じられ満員電車に乗りウイルスを撒き散らすくらいには、非合理的で非科学的で、まったく前近代的な生活をしている。

モダンの徹底なきポストモダンはないと宮台真司は言った。

我々は近代主義に立ち返る必要がある。あの頃のただただ伝統的なものを否定するだけの近代主義ではなく、人間心理も合理的に捉えた新しい近代主義を始める必要がある。伝統には伝統の合理性を、いまの我々は見出すことができるはずだ。

AKIRA」というモダン不信の時代に描かれた物語を見て、その思いを新たにしたのである。

大事なことはみんな e-sports に教わった

香川県はゲームよりも「うどん依存」を規制せよ という記事。昨今話題の香川県議らによる超党派のゲームやインターネット規制についての痛烈な皮肉で、まったくそのとおりであるとしか言いようがない記事だった。

すっかり知のインフラとなったインターネットを子供たちから取り上げることが、情報の少ない地方でどれほどのハンディキャップになるか、ろくに考えてないのは褒められたものではない。

それにゲームがどれほどの意味を持つかもわからないようだ。

子供たちに人気のある Minecraft というゲームは、ブロックを組み上げて回路を作って自動化するようなこともできる。また mod_python を入れることでブロックの組み上げ操作をプログラミングで実現することもできる。

はっきり言って教師がプログラミングなんかを教えるより、子供たちに自由に Minecraft で遊ばせておいたほうがよぽどプログラミングが学べるはずだ。

Minecraftで楽しく学べる Pythonプログラミング

Minecraftで楽しく学べる Pythonプログラミング

また Raspberry Pi 用の Rasbian という OS には最初から mod_python の入った無料版の Minecraft Pi が付いている。テレビにつなげてすぐさま Minecraft が遊べてプログラミングが学べる。

子供たちに一人1台のコンピュータを与えるというのならこれと安いモニタで十分じゃなかろうか。ゲームを遊んだり改造したりはプログラミングの入り口として最良であることは、マイコン世代のプログラマたちの経験からも確かであろう。

e-sports が教えてくれること

さて、ここ2〜3年ほどは Rocket League という e-sports をやっている。まだ800時間ほどしかやってないのでようやく中級者と言えるレベルになってきたかなあという感じなのだが、ここまででも学びの多いスポーツだなという思いがある。


RLCS League Play Promotion Tournament - Cloud9 vs G2 Esports

上記の動画を見ればわかるとおり、3 on 3 のラジコンカーでやるサッカーである。チームスポーツというのはよくよく考えてみるとちゃんとやるのは初めてなのだが、実に学びが多い。

仲間の士気をさげないこと

もちろん技術の差が大きければひとりでもなんとかなるのだが、似たような技術レベルの人たちがマッチングされるためにそんな大きな差がうまれることはほぼありえない。

ボールをひとりで敵陣まで運んだところで、センタリングまではできてもゴールまで入れられることは稀だ。味方が適切なポジションにいてくれないとどうしようもない。

またボールは車より速く飛ぶこともあるので、がんばって自陣まで戻ったところで敵のシュートをブロックする位置までたどり着けないことも多い。ディフェンスをしっかりやってくれる仲間がやはり必要だ。

こういうゲームなので、味方の士気はけっこう重要だ。あんまり上手じゃないやつに限ってチャットで味方をなじったりしている。そうすると士気がさがり、勝てるゲームも勝てなくなる。

全員が最後までがんばろうという意志があれば、逆転のチャンスだってある。

最後まで決して諦めないこと

ボールがゴールに入るかどうかに時間は関係ない。ほんの1〜2秒で入ってしまうことだってある。5分間のゲームだが、最後の40秒ちょいくらいで3点差をひっくり返したこともある。2点差をつけられたらそうそうに諦めるような人も多いのだが、もったいないことだ。最後まで自分たちの勝利を信じて戦い抜くことで、本当に逆転できることは少なからずあるのだ。

強い人と戦うことで自分も強くなる

最後まで諦めないことの重要性はもう一つある。決してかなわないような強い相手とのゲームも、必死で対応し続けていると自分たちのレベルが上っていくのだ。その試合は負けてしまっても、次の試合では相手の動きがゆっくりに見えて余裕で勝ててしまうこともけっこうある。そうやって少しずつ、自分たちのレベルも上がっていく。

自分の限界を自分で決めないこと

プロの動画を見てると、とてもじゃないができないような動きをしていることが多い。そんなプレイはただやってるだけでは身につかない。意識して上手な人たちのプレイを真似することで、自分自身の限界が上がっていく。

「ここまでしかできない」という思いが、自分自身の可能性を狭めてしまってるのだ。それに気づいたのは、やはりプロの動画を見たあとのプレイが変わることを何度も経験したからだ。

この距離でジャンプしてもボールには届かないと思っていたら、プロは余裕で届いてたりする。届くものなんだという思いがあれば、そこに果敢にチャレンジしていける。そうすることでやはり技術が上がっていくのだ。

仲間を信頼することの意味

仲間を信頼するということばの意味は、自分が手抜きしてもいいということではない。「あいつならディフェンスを任せておいても大丈夫だ」という信頼で自分は遠くのブーストを取りに行くなんてことはしてはいけない(しないといけないときもあるけど)。誰にだって必ずミスはある。それに備えてフォローできる位置まで急いで駆けつけるのだ。

むしろそういう「あいつならちゃんとフォローできる位置まで駆けつけてきてくれている」という信頼こそがミスを減らしてくれる。敵のチャンスを潰し、自分たちのチャンスを作る要素になる。これが「仲間を信頼する」ということなのだ。

頑張れば必ずうまくなる

一緒にやってる仲間は、俺が始めるまで空中でボールを捉えるなんてことは一生できないと思っていたという。俺が空中の練習をやり始めたことで自分にもできるように思えてきたらしい。練習はとても大事。いろんな練習をすることでプレイの幅が広がり、対応できるボールも増えていく。

それは決して無理なことではなく、チャレンジし続けていれば必ずできるようになるのだ。

体力はとても大事

体を動かさない e-sports だが、それでも体力は大事だ。5分間の試合とは言え、5試合も6試合もやってると集中力がだんだん落ちてくる。感覚もズレてくる。当てられたはずのボールに当てられなくなる。

こういう集中力を支えるのは体力だ。Rocket League の試合を戦い抜く集中力をつけるために、走り込みや筋トレも始めた。どこまで続けられるかわからないが、少しずつでも体力を付ける努力は続けていきたい。最後まで全力で戦える力をつけるために。

Rocket League (Official Game Soundtrack)

Rocket League (Official Game Soundtrack)

  • 発売日: 2017/11/30
  • メディア: MP3 ダウンロード

だいじなのは学びをサポートすること

子供の成長に大切なのは、子供の夢中になってるものを取り上げることではない。そこから子供たちが何かを学べるように、サポートしていくことが大事だ。

ゲームをやらせないことなんかより、無能な味方を非難して士気を下げるような子供たちをちゃんと叱ることのほうがずっと大事なのだ。これができてる教員はそうそう多くない。

子供たちに必要なのは、適切な成功体験と適切な失敗体験だ。e-sports は、ゲームはそれを教えてくれる。失敗しても信頼する仲間がフォローしてくれることも、仲間をサポートする喜びも、努力がきちんと報われることも、みんなみんなゲームが教えてくれる。

そういう学びをサポートできる大人でありたいものである。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>