狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

そろそろガンダムSEEDについてひとこと言っておくべきな気がしたので書いておく

ガンダムSEEDというアニメがある。当時から続編が作られるくらい人気はあったのだが、どうも受け入れがたい作品だった。まあでもターンエーガンダムですべては黒歴史と語られてたし、これもその黒歴史の一つなんだと思うとまあ見れたアニメだった。周囲での評判も芳しくない。でもなぜか人気はある。そんなアニメだった。

まずツッコミどころが多すぎるのである。いきなりモビルスーツのOSを書き換えることで主人公の高い能力を描こうとしたり、意味不明なNTR展開を入れてきたり、フリーダムガンダムが強すぎてハイハイという感じであったり。モビルスーツのポージングもガンプラ由来なのかやたらかっこよくて吹いてしまう。いちいちファーストガンダムのオマージュを入れてくるのもテンション下がるなあという印象だった。

そんなガンダムSEED、この度18年前から予告されてた劇場版がようやく公開されたのである。

www.gundam-seed.net

さてどうしたものか。ガンダム作品の一つだし見もしないで文句を言うのもためらわれるし、しかも公開されてみると評判がよい。これは見ないといけない気がすると直感が告げていた。しかしガンダムSEEDも20年以上前の作品だ。さすがに記憶が薄れている。そういえばHDリマスターがあったよなあと思って、ひとまず SEED 3本を一気見したのである。

おもしろい。おもしろいのである。

総集編感も若干なくはないのだが、数々のツッコミどころがきれいにカットされてて、物語の本筋に集中させてくれる。あのあまりにも嫌すぎたフレイも、ギリギリ戦争で気が狂ってしまったかわいそうな女の子に見えてくる。正直意味不明な存在だったラクス・クラインも、アイドルにして政治家というその存在の凄さが伝わってくる。キラが親友と殺し合った悔やみから、ラクスに導かれ復讐ではない平和のための戦いを覚悟する流れも、すごく掴みやすかった。軍部や政治家たちのあまりの無能さも、コロナ禍を経て戦争が起きてる現代に見るとむしろ違和感がない。リアルだとすら思えてくる。差別主義団体が政治を握って軍を動かすなんて、いまでも起きそうじゃないか。

続くDESTINY の HD リマスターは4本あった。これも放送当時は主人公交代といいつつぜんぜん主人公してねえじゃんとか思ってたのだが、HD リマスター4本は全編を通して基本的にアスラン視点で編集し直されてる。これが非常にわかりやすいのだ。突っかかってくるシン・アスカも、アスラン側から見てみれば負い目がないわけでもない。そんなシンが傷ついて失って、デュランダル議長に懐柔されていくのは実にリアルだ。アスラン視点だからこそ、キラとラスクとカガリが選ぶ戦闘を停止せよという行動もまたはた迷惑な混乱として明確に映し出される。だがそこに「答え」があることが後々わかってくる展開もよい。デュランダルの平和を希求するあまり自由を奪おうという選択の愚かさも、いままさに社会自由主義の名のもとに部分的に動いてることじゃないか。

いやあ、ガンダムSEEDってこんなに面白いアニメだったんだ!

そうこぼさざるを得ないくらいめちゃくちゃおもしろかった。こうなってくるとファーストガンダムのオマージュもニヤリとしてしまう。

現実の戦争もやったやられたの報復合戦が起きがちだ。そうじゃなくて、お互いが戦わないためにこそ戦うというキラとラスクの選択は、戦争が勃発し今にもこの日本も巻き込まれそうな今だからこそ胸に響く。青臭い理想だなんて一蹴できないリアリティの中に、俺たちはいる。ガンダムSEEDを一つの反戦映画として捉えると、2024年の今だからこそ世界がリアルに見えてくる気がする。

それでいよいよ劇場版ガンダムSEED FREEDOM を見に行ったわけだが、これまためちゃんこおもしろかった!

まず驚いたのは序盤のモビルスーツ戦のリアルさだ。現実にこういう兵器があって戦争が起きてたら、たしかにこうなるんじゃないかと思わせるリアリズム溢れる描写がしびれる。ガンダムSEEDというともっとかっこいいポージングで描かれる印象があったのだが、監督インタビューを読むと実はそうでもなかったらしい。

――「SEEDシリーズ」といえば、モビルスーツ戦の高速演出が特徴ですからね。

福田 そういうイメージを持っているファンが多いんですよね。今作のスタッフには、テレビシリーズをファンとして見ていたという若い世代も入っているんですけど、製作開始当初は"『SEED』らしさ"の感覚のズレがあったんです。

若いスタッフが「『SEED』ってこうですよね」っていう描き方は、だいたい劇中終盤のモビルスーツ戦の手法なんですよ。でもテレビシリーズのときは、前半は割とリアル系のロボットの挙動を意識した描き方をしていて、目が追いつかないような高速な戦闘にはしていないんです。

――言われてみれば確かに。

福田 劇中でモビルスーツが進化して強くなっていくので、放送の1年かけて徐々に見せ方のスピードを上げて、性能が向上していることを表現していたんですよ。今作では同じことを2時間の尺の中で表現しました。

ですから序盤のシーンの製作中に、モビルスーツをすごく速いスピードで動かそうとしていたスタッフがいて、彼はそれが『SEED』っぽさだと思っていたようなんですが、こういう手法は終盤まで取っておくようにとお願いしました。

序盤はトリッキーな動きはなしで、現実にあるメカらしさを意識して、とにかく地味にリアルにやってくださいと。

新作映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』福田己津央監督「僕としては20年ではなく2、3年くらいしかたってない気持ち」 - エンタメ - ニュース|週プレNEWS

その通り、後半ではびっくりするような突き抜けたモビルスーツ戦が見られて、これもまた非常に楽しかった!

ガンダムSEEDは恋するガンダムだ。強さにすがり恋の形を作ろうとする少女、親友の婚約者と理想を同じくし一つの愛を見出す少年、親友の姉と距離が縮まる少年、不幸な少女に死んだ妹を重ね合わせる少年と、それを見守る少女。数々の恋愛が戦時中にも関わらず、いや戦時中だからこそか、描かれていく。

それらの恋愛模様をガッツリと決着させる映画でもあった。

そのためのギミックとして敵キャラとして用意されたのが人の心を覗き見する能力者たちなのだが、これがまたガンダムSEED初回からニュータイプのオマージュとして描かれてきた直感能力の真相として機能しているところがすばらしい。さらにそれを逆利用するアスランの戦略がおもしろすぎて吹いてしまう。これがつまんないなと思ってみてたらツッコミどころになったのかもしれないが、しっかりおもしろい!

ガンダムと言えば戦闘中になぜか哲学的な会話が繰り広げられる展開だが、ルナマリアの戦闘会話は「なんであんな山猿みたいな男がいいの」「別にいいでしょ」みたいな感じでいやカフェでやってろよ今戦争中だろとツッコミを入れてしまいたくなるんだが、それも「愛の決着」として描かれてるのでうっかり感動してしまう。

思えばガンダムSEEDは最初からコーディネーターだからとかどこそこの軍の兵士だからとか、肩書きや理由付けのある行動じゃなく、ただそれが自分だからというのを描こうとしてたように思う。人を愛するのも理由があることじゃない。ただその人がその人だから愛するのであるというを明確に描く今作は、大量の異性を条件でフィルタして見つけられるマッチングアプリ全盛の現代への批評になってるところもおもしろいと思った。

そう、ガンダムSEED FREEDOM は反戦映画でもあり、恋愛映画でもあるのだ。良い条件の異性を探し求める敵に対し、その人がその人だから愛するんだということを突きつける映画なのである。

欲しい結果をくれる人ではなくて、同じ理想に向かって一緒に歩いてくれる人。それこそがキラとラクスの愛なのだと示すために、最後はラクスも行動に出るところも素晴らしかった。このために序盤で「待つだけの女」になるシーンが挟まれたのかと合点もいった。あまりにもコテコテの「せっかくごちそうを作って待ってたのに残業で帰ってこない」をやるのでなにごとか、ラクスもアイドルで政治家なんだからそんなに暇じゃないだろとツッコミたくなったのだが、ちゃんと伏線になってたので大満足である。終盤でラクスがキラに届けるものは、このときキラが残業して作ってたブツというところもよい。

恋愛xガンダムがこんなにもうまく機能してるのを今まで見たことがない気がする。本当にすばらしかった。

20年来のアンチだった俺が言うのもなんだが、ガンダムSEED、めちゃくちゃいいぞ!

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>