憂鬱な話ではあるのだが、結局我々人間も動物であり野生からは逃れられないのだなとつくづく思うことが増えてきた。俺は自然というものが大嫌いで土や緑を見るだけでも気分が良くないし、人工物に囲まれてることが安心につながるタイプの人間なのではあるが、それでも自分の中の野生から逃げることは難しかった。
一つは若年性男性更年期障害を患ったことだ。遊離テストステロン、つまり男性ホルモンが少なすぎて心身に異常を来す病だ。薬物投与で男性ホルモンを補填するしかないのだが、いわゆるトランスジェンダーの人々がやるホルモン療法に使うものと同じものだ。女性に使えば生理が止まり、髭も生えてくる。そんな強い薬を使っていいものかと思いつつ、自然に男性ホルモンが増える方法を調べてると、「魅力的な異性と会うこと」「頻繁に性行為をすること」などと出てきたりする。
実を言えば当時は周囲にたいへん魅力的な女性たちがたくさんおり、ちょくちょくお茶や食事を共にしていた。バンコクに居を構えていたのもあり、屋台の一人飯では野菜が取りにくく、あちこち野菜が取れる食事処に連れて行ってもらっていたのである。性行為はなくともあれほど魅力的な人々が周囲にいてどういうことだろうと訝しんではいたのだが、どうも医療上の話だからか、比喩的な話だったのではないかとあとから思った。つまり「魅力的な異性と会う」というのはつまりある種の期待のある会合、ようは女性を口説くようなデートのことを指してるわけだ。そういう状況を多く経験することが男性ホルモンを増やすことにつながる、と考えるといろいろと辻褄が合う。
それでふと思ってあるときいわゆる萌えアニメを見る量を増やしたら比較的改善し始めた。いわゆるオタクである自分のセクシャリティは絵にあるのだなと再認識するに至ったのである。いまも美麗な絵で物語を展開してくれる様々なアニメは、俺の健康を支えてくれている。まだ薬をやめられるほどではないけれども。
この一件で人間というのはどこまでいっても動物であり、思考もホルモンに大きく影響を受けるものだなあとつくづく感じたのは、それはそれでよかったと思う。注射一発で思考が急速に前向きになる経験などしないですめばその方がいいのではあるが、まあ人間なんてそんなものなのだなあと気付かされはした。
いわゆる勝負事も男性ホルモン増加にはよいようなので、e-sports も始めた。昔は格ゲーや Race sim もやってたので始めたというよりは再開したという感じだが、当時は e-sports なんて言葉はなかったので再開というのも微妙である。
魅力的な異性を見て勝負事をする、よくよく考えると世の中高年男性がグラビアを見てギャンブルをするのはつまりそういうことか、と思い至る。グラビアアイドルたちは世の男性たちの男性ホルモンの維持、つまりはリプロダクティブ・ヘルス・ライツに貢献しているというわけだ。グラビアもギャンブルも人権なのである。ウマ娘が人気になるのもむべなるかな。
人の趣味というのは他人から見て変に思われようとも、そうやって健康や命を支えていたりするものなのだなというのを認識できたのも収穫といえば収穫である。
ここまでの話から競い合うことや異性を性的な目で見ることの重要性は伝わるかと思う。男性の生理がそうなってるので、そこからはずれることはリプロダクティブ・ヘルス・ライツを侵害する、つまりは人権侵害である。もちろん個々人によってやり方も適量も違う。仕事で競い合う人もいれば俺のようにコンピュータゲームで競い合う人もいる。意味不明な競争心で意味の分からないライバル視をしてる人もいるだろう。それもまたリプロダクティブ・ヘルス・ライツを支えている。
グラビアを見ることをやめさせたりギャンブルをやめさせたりするのも人権侵害になりかねないわけだ。
昨今、男性の加害性を声高に叫び、男性性を討ち滅ぼそうという人々がわんさかいる。俺もまあどこでも性風俗の話をしてたり遊びというと酒と女みたいな人々とはあんまり相性が良くないので、滅ぼすとまでは言わんがある程度勢力を削っておいたほうがいいだろうとは思っていた。この点についてはいまも変わってない。もっといろんな遊びがあるし趣味は多種多様であり、それぞれにリプロダクティブ・ヘルス・ライツを支えるものが個々人にある。誰にとっても同じものが支えてくれるわけではないのだ。
だが滅ぼすというのであれば話は別だ。いわゆるコンビニエロ本の撤去問題についてはその点でも腹がたった。我々はネットがあるからいいが、ネットにアクセスするのが難しい知的障害者や高齢者への打撃となるからだ。彼らのリプロダクティブ・ヘルス・ライツ、つまりは人権を侵害する結果となる。弱者ばかりがダメージを受けるという意味ではインボイス制度と同じ問題を抱えてる。あれも年商500万にも満たないような弱小事業者が強いダメージを受ける。年商800〜900万でもダメージを受けるだろうがまあ受け止めきれないほどではないだろう。個人事業主の年商1000万はサラリーマンの年収400万相当である。年収200万の人々に課税強化と言えば驚くべき弱者狙い撃ちだというのがわかるだろう。それと同じことである。
セクシャリティは多様だ。できるだけ多様な性表現にリーチしやすくなくてはならない。それは思春期ほど重要になる。自分のセクシャリティや性的指向がどこにあるのか、性自認も性的指向も揺れ動く思春期だからこそ自覚のためにも必要なのである。それがどんな反社会的なセクシャリティであれ、知ることでしか社会との折り合いは付けられないのだから。そしてそれはホルモンの減る中高年期に、彼らの健康と命を救ってくれるのだから。
そういう意味ではいわゆる18禁レーティングのあり方ももっと広く議論されてしかるべきだ。そうしてタブーをなくしていけば……今度は背徳感がセクシャリティの人々が困ることになるのか、さて困るな。彼らのためにいくつかのタブーを残しておかねばならないわけだ。
かようにセクシャリティの問題にあらゆる「ただしさ」は当てはまらず、なるようにしかならんところがあるのが実にめんどうな話である。