いまさらながら マイケル・サンデル教授のこれからの正義の話をしようをちまちまと読み始めたのだが、ひとつの「正義」というのは往々にしてさほど正義として受け入れられないことが多い。
この本は序盤に災害時の便乗値上げに関する考察が展開されるのだが、311 を経験した我々日本人にとっても非常に身につまされる話だろう。

これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: マイケルサンデル,鬼澤忍
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災害が起きた時に商店が値上げをしなかったら、お金と時間のある人が物資を買い占めてしまう。時間が取れずにあとから駆けつけた人には物資が回らない。物資の値段が上がれば買い占めも防げるし、それによってあがった利益を元に災害で壊れた道路などをかいくぐり、従来よりもコストがかかっても物資が被災地に運び込まれる。被災地が高く買ってくれることを知ればどこの商人だって被災地に優先して物資を送る。
これは「正しい」わけだ。ところが値上げは正義とはされない。
我々の正義感は値上げしないことだ。これにより被災した地域や商店にはお金が回らなくなる。復興も遅くなる。それでも消費者の視点から見れば「いつもどおりの値段で売ってくれる」ことはありがたいしそれは正義なのである。
これは「間違い」だが、正義なのだ。
さて俺はオタクである。アニメや特撮の世界において、「ヒーロー」とは大きなジャンルの一つだ。「ヒーローとは何か」を問うことは、「正義とは何か」を問うことに等しい。
最近体調があまりよろしくなくて、何もできなくなって寝転がってアニメを見たり本を読んでたりする時間が多いのだが、印象深かったヒーローものとしてガッチャマン・クラウズがある。

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この2013年にTV放映された新作ガッチャマンは、当初から「ヒーローものの最新形態」として一部からたいへんな注目を浴びていた。また作品世界に深く組み込まれたアメーバ・ピグのようなインターフェイスとTwitterのような使われ方をするSNSも実に興味深い代物だった。
過去のヒーローというのは弱いものを助ける存在だった。ある人が大興奮で語っていたのが仮面ライダーV3が怪人に襲われる子供の前に立ちふさがるシーンである。彼はその子どもに自分を投影し、仮面ライダーへの憧憬を深めたのだと思う。
ところがそんなヒーローばかりでは見る側も飽きが来る。いろんな疑問も湧いてくる。報酬もなく戦い続けられる人間なんているのか?
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アメコミ・ヒーローはこの問題に割と早く着手していたと思う。「バットマン」は金持ちの道楽で正義の味方をしているし、ウルヴァリンなどに代表される「X-MEN」は超常的な力を持つミュータントへの強烈な差別と、それに伴う人間へ復讐するミュータントたち、人間の味方につくミュータントたちを描き出した。こうしたコンセプトはたとえばアニメの「TIGER & BUNNY」などにも受け継がれている。金持ちではなくスポンサー付きのヒーローというアイデアだけれども*1。
ひるがえって日本では、70年代ザンボット3などのロボットアニメから「市民に受け入れられないヒーロー」という姿が描かれていた。のちのバットマン・ダークナイトなどにもつながるコンセプトだ。ヒーローは確かに市民を守るために戦ってくれるけど、その戦いが派手であればあるほど被害は街への被害は広がる。ウルトラマンが転んで潰されるビルや家のオーナーたちの気持ちやいかに、というのが70年代にはすでに描かれていたのである。
そこで「機動戦士ガンダム」のころからやはり徐々に主人公の姿も変化していった。戦いたいたくないヒーロー、戦火に巻き込まれるヒーローの姿。もはやそれはヒーローではなく、ひとりの悲しい少年の物語になっていった。80年代のヒーロー像というのはそういうものだったように思う。
80年代後半から90年代にかけては、ポップで明るいヒーロー像がよく描かれていたように思う。「魔神英雄伝ワタル」から勇者シリーズ、あかほりさとるの各種作品に至るまで、その姿はたいへん明るく底抜けだった。後に「戦闘美少女」と呼ばれるジャンルを作ることになる黎明期の作品たちもこのころに生まれてるように思う。「美少女戦士セーラームーン」や「トップをねらえ!」など、女の子がヒーローの立場になって戦う姿は、いま現在も人気の一大ジャンルだ。
1995年になり「新世紀エヴァンゲリオン」が発表されると、これまたたいへんな物議をかもした。「戦いたがらない主人公」の姿はガンダムのアムロ・レイにも重なるが、それ以上に内向的で自分自身も崩壊していく。主人公の崩壊で終わったのは「Ζガンダム」だったが、「エヴァ」は崩壊後も物語が続いていく。
「エヴァ」の主人公シンジは決してヒーローと言える存在ではないように見えるのだが、特別な才能があるわけでもない「等身大の人間」が戦う姿を描いた作品*2として、後に重要な意味を持ってくる。
その後のヒーロー像というのは難しいものになってしまった。ヒーローであることが滑稽になったと言ってもいい。2001年9月11日に端をはっする「アメリカの正義」に批判が集まったことも無関係ではないかもしれない。冒頭に紹介したサンデル教授が「正義の話」をしなければならなかったのは、アメリカにそういう事情があったのかもしれない。その後に映画化されたアメコミヒーローたちも、決して底抜けに明るかったりもただ献身的な正義の使徒でもなくなっていった。
さて、長くなったが「ガッチャマン・クラウズ」はそうした最中の2013年に発表された作品だ。「クラウズ」には3種類のヒーローが出てくるという説を誰かが書いてたが、これはまさにそのとおりだと思う。
まず「枇々木丈」。彼は古典的なヒーローの姿だ。熱血でクール、赤と青を兼ね備えた存在。
次に「橘清音」。正しさを追い求めるまさに正義の味方。彼は現代の反映だと俺は思う。現代はコンプライアンスという言葉に代表されるように、「正しい」ことがなにより求められる社会だからだ。
そして「一ノ瀬はじめ」。本作の主人公であり、底抜けに明るい女子高生である。彼氏こそ出てこないがまさにリア充。いつもいつも人々の中心に彼女がいる。彼女が未来のヒーロー象を示すものと期待されていた。
はじめは正しさにこだわらない。彼女が求めるのは「楽しさ」だ。何をしたら楽しいか、何をしたらみんなと自分が喜べるか。それが彼女の行動原理だ。
敵として出現する「ベルク・カッツェ」もまた「楽しさ」を求める存在だ。だが彼の求める楽しさには「他人」がいない。自分が楽しくて、それを共有できる相手がいればいいとはきっと考えてるのだろうが、いないならいないでいいと思ってるだろう。
両者に共通する「楽しさ」への希求。それは現代の「正しさ」へのアンチテーゼでもある。どれだけ正しくても楽しくなければ意味がない。正しさは楽しさのためにある。それを体現していくのが「一ノ瀬はじめ」という新世代のヒーローなのだろう。
もうひとつ、「楽しさ」を求めるときに他者とともにあるかどうかで「一ノ瀬はじめ」にも「ベルク・カッツェ」にもなるということを、この作品は提示してるのではないか。言ってしまえば、孤独であることはそっくりそのまま悪の道に落ちやすいのだという事を示してるのではないか。
「楽しい」ことを「みんな」とやる。それが新しい形の正義であり、それを行うものこそがヒーローなのではないか。なればこそ、ヒーローとは誰でもなれるものだ。
こうした「志あれば誰もがヒーロー」という姿を描いた作品に「まおゆう」というものがある。元は2chのスレッドに書き込まれたものなのだが、その展開たるや衝撃的なもので、ヒーローである勇者と悪役である魔王が手を取り世界を「経済」で救うお話だ。余談だがこの作品の後半の「やたら長いクライマックス」感が「うしおととら」などを描いた藤田和日郎の作風に似ていて、藤田ファンの俺にはたいへんおいしかった。
「クラウズ」も「まおゆう」も、主人公たちより彼らに感化された人々が楽しそうに「自分たちにできること」をやり、世界をアップデートしていく。その姿は実に感動的なものだった。
そして大切なことは、その手段はどちらも「正しくない」ものだった。法律も破るし、人を落としめもするしだましもする。効率的とは言いがたい手段もとる。
ただ「皆と在る」ことは、両者に共通して描かれた世界観だった。
「一ノ瀬はじめ」のように誰とでもとはいかないだろうが、だが人は誰かとあり、ともに生き、そうして「自分と誰か」の幸福を願うことが、「これからの正義」なのだろう。
「おひとりさま」なんて言葉も流行ったが、人は孤独でいることでどんどん自分勝手になっていく。どうしても他人の視座を得られなくなるからだ。人とともに在ることで、自分にはない視座を視点を得ていく。そうすることで人は「自分と他人」の幸福を考えられるようになっていく。
そのために我々は、正しさを超えて行かねばならない。
*1:モータースポーツのようにスポンサーロゴをつけたヒーローというのは新人の読みきり漫画で90年前後に雑誌掲載されていたのを読んだ記憶があるが、それなりのヒット作として紹介されたのは TIGER & BUNNY が最初だろうと思う
*2:正確には搭乗機エヴァンゲリオン初号機の適合者という才能があるのだが、これは物語を見ればわかる通り仕組まれたものであって決してシンジ自身の才能でもなければ親から受け継いだ何かとも言いがたい。