あのフォアグラ弁当抗議団体を直撃! 「動物はごはんじゃない」という言葉の真意とはという記事。欧米の倫理観を学ぶのに比較的よい記事、という印象。
そう、これはあくまで欧米の倫理観なのである。
フォアグラだけの話じゃない。欧米の人たちからクジラやイルカを食べることを非難される光景は定期的に起こる話題なのではあるが、どうもその背景を理解せずに反発してる人たちがたくさんいるようで気になっていた。
もちろんいろんな角度から語れる話なのではあるが、第一に倫理的な側面をまずは理解しないと話にならないだろう。ホントはもっとちゃんと勉強した人が書いたほうがいいんだろうけど、語るのはニワカの仕事だとも思うのでここに記しておく。
- 作者: ピーターシンガー,Peter Singer,戸田清
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2011/05/20
- メディア: 単行本
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インタビューの中でも出てくるピーター・シンガーの「動物の解放」という本だが、彼らの主張を読み取るにはこれの成り立ちをある程度把握してる必要がある*1。
この考え方を理解するには、ギリシア時代にまで遡る必要がある。快楽主義という思想があるのだが、これは「快=善、苦=悪」という考え方であり、できるだけ苦を減らし快を増加させることが善に繋がるというものである。個人の生き方としてはとてもよい考え方だと思うし、俺もこの考えに沿って生きてる快楽主義者だ。
とこがこの考え方を社会に適用した人たちがいる。功利主義者たちだ。功利主義は快を「効用」として計測できるものと考えた。よく言われる最大多数の最大幸福はこの功利主義が前提にある。実際に効用を計測できるのか、社会は効用だけで考えていいのか、などいろいろと疑問のある考え方である。
ピーター・シンガーはこれをさらに動物にまで拡大した人である。世界の苦が減って快が増えることが善ならば、動物の苦も減らすべきだし動物の快も増やすべき。確かにそう言われると一理あるように思う。
この思想は大成功して、実際に屠殺は棒で殴り殺すような屠殺から電気ショックに変わったし、調理にも動物を苦しませず絞める方法が広まっていった。それは実利的な側面もあったのだろうけれども。クジラやイルカも知能が高いゆえに恐怖や苦痛をたくさん感じ取るはずだ、というのが彼らの思考なのである。
だが最初にも言ったように、これは欧米的な価値観であり倫理観なのである。そして我々はアジアの民であり、欧米とはまた違う世界観を生きている。
ちょうど先日、友人知人らがこんな楽曲を作って公開していた。
はっきり言って上記のことをまったく理解してない無知もいいところの批判にすらならない楽曲だとは思うが、このへんが日本人の平均的感覚なのかなとも思う。おいしいものを食べて何が悪いのか。そういうシンプルな問いにシンプルな回答はない。
アジア人、とみに日本人というのは、自然を神として信仰してきた民族である。ところが明治維新以来の急速な欧米化を迫られてきた中、本来のアジア人としての感覚を欠落しつつあるのも事実だ。そうしてピーター・シンガーの思想に飲み込まれていく人は少なからずいる。
人権概念だってアジア人の感覚からすればだいぶおかしなところがある。それは実際に欧米で多発していた悲惨な事件が背景にあるからだろう。日本やアジアではそもそも検討に値するほどそんな事件は起きてなかったというのもそれなりにあったりする。
欧米人はたくさんの間違いを犯してきた。だからこそその反省を次世代につなぐ努力を惜しまない。その蓄積は、悔しいけれどアジア人が逆立ちしてもかなうものではない。東洋の思想は悟りの道であり、どこまでも属人的で継承されて行かないからだ。だからこそこの100年余り「欧米化」がアジア中で進められてきた。
しかし輸入品の思想を取り入れ同化するのが本当に正しいのか。むしろ本当にやるべきは彼らの概念にアジア人の立場から修正を加えていくことではないのか。
そのためには彼らの蓄積された思想を学んでいく必要がある。決して染まらず、アジア人としての自己を失わないように。
そうしてはじめて彼らと対等に話せる日がやってくるのである。
*1:ちなみに俺はちゃんと読んでないのでホントはこんな記事書くのには抵抗がある。ちゃんとした人が書いてくれたらいいと思うのだが