なんか最近表題のような考えにとらわれて抜け出せないでいる。
昔の学校というのはそりゃあひどいもので、俺が経験したのが栃木の田舎の義務教育だからというのもあるのだろうが、軍隊としか言いようがないものだった。
まず先生が答えられない質問をしたら殴られる。先生の間違いを指摘したら殴られる。先生の命令に疑問を挟んだら殴られる。別に戦時中の話じゃない。俺は70年代生まれだ。
そんなわけで疑問があったら口を出さずにはいられない俺は毎日たんこぶを作っていたのだが、そのうち殴られ慣れすぎてあまり痛みを感じなくなっていた。中学の頃は宿題をやってこなかった生徒を殴る数学教師がいたのだが、俺はもはや宿題をやる苦痛に比べたら殴られるほうがマシと公言し、堂々と殴られてた。
数学教師は自分をバカにしてるのかといきりたったが、そりゃあ暴力で人に言うことを聞かせようなどと考える人間を尊敬するはずはないよな。殴られて宿題をやるのが暴力に屈したとしか言いようがなくて絶対にやるもんかと意地を張った面もある。
彼等は口癖のように「いつか分かる日がくる」「いつかあの時殴られてよかったと思える日が来る」と言ってたが、あれから20年以上の月日がたってもまだその日は来ていない。
しかしそれはあくまで「俺にとって」である。
全国津々浦々で俺の経験したような義務教育が施されてたかは知らないが、おそらく均質な教育と言われる日本のことであるから似たり寄ったりだったのではないかと思う。
だとするなら、そういった「軍隊化した学校」を出た子供たちがどうなるか、想像が付くというものだ。
上司の命令には疑問を持たずに従う。規律をきちんと守る。遅刻早退は無理を通してでもしない。集合の合図に速やかに集まる。叱られ慣れてるから簡単にはヘコまない。むしろ叱られる事に感謝する。無意味に思えるような作業でも地道にこなしていく。
よく日本のアドバンテージとして「質の高い人材」を挙げる人がいるが、それがもしそういう「軍隊化した学校」の作り上げたものだとしたら?
いやもちろん体罰を肯定する気なんてさらさらない。俺が受けた教育は最低最悪だったと今でも思う*1し、子供たちに同じ思いをあじわわせたくなんて絶対ない。友達連中にも「栃木で子育てをするのはやめておけ」と忠告してるくらいだ。栃木の教育レベルのひどさは通学時間帯の電車に乗るだけですぐわかる。他地域ではあそこまでひどいとは信じたくない。
そう、だから「軍隊化した学校」が質の高い人材をもたらしてない可能性もあるとは思う。できればそうであって欲しい。工場の中でだけ「質の高い人材」だなんて思いたくない。
ただそうでなかったら……ゆとり教育世代に、今までの常識は通じないだろう。
タイ人は怒られ慣れてないから、叱るとすぐ仕事をやめてしまうとよく聞く。日本人も、そうなっていくのかもしれない。
*1:文字や歴史その他はだいたい本で覚えたので本当に学校教育に意味が無かった。数学は頭の体操にはなってたかもしれんが