狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

血液型性格判断はエセ科学問題ではなく差別問題だ

血液型で性格を決めつける人とどうつきあうべきかという記事。この記事に反論する気は毛頭無いのだけども、はてブの反応を見るとただのニセ科学問題だと考えてる人が多いようで……。

わかってる人には当然のことだろうけど、そうじゃないんだ。血液型性格判断の抱える一番の問題は、差別問題なんだ。

昔読んだ本で、ユーラシア大陸は西側にA型者が多く、東側にB型者が多い、と書いてあった記憶がある。西側の民族である西洋人が、東側の民族である東洋人を差別するために流布したのが血液型性格判断なのだそうだ。
曰く、A型者の多い民族は優性民族、B型者の多い民族は劣等民族……

4冊累計で500万部を突破した『自分の説明書』シリーズで最初に発売されたのは「B型」だった。ネガティブに評価されやすいB型を取り上げれば、読者の関心を集められると考えたのだろう。これはB型が差別されているという証拠にほかならない。血液型という後天的に変えられない属性への差別は、陰湿でタチが悪い。

血液型で性格を決めつける人とどうつきあうべきか(プレジデント) - Yahoo!ニュース

そう、B型者が差別されてるのはその由来(が事実ならだけど)からすれば当然なのだ。そもそもB型者を差別するために作られたものなのだから。

A型者は勤勉で真面目、B型者は粗暴で大雑把、というのはその頃に作られたイメージらしい。

だいたい血液型性格判断で嫌な思いをするのはB型者なのは経験則からもみなさんご承知であろう。ネタになるのはB型者なのだ。

俺はA型なので差別される側ではないのだが、だからといって無視していい問題でもない。A型は生真面目で神経質などといったイメージを押しつけられるのも不愉快なものだ。

問題はそれだけじゃない。第二次世界大戦中の日本軍をはじめ、企業等でも血液型で人事を行う事例がいくつも出ている。ひどいのになると血液型が職業に合わないために辞職させられた、なんて例もあるのだそうだ。

人は差別をしたがる。自分より劣等な存在を作り上げて、自分は最低ではないと安心したがる。自分の所属や属性は、自分の価値ではないのにね。

他国では人種の交流が盛んなおかげか、血液型なんかで差別するより民族あたりで差別した方が手っ取り早いのだろう。日本で爆発的に血液型性格判断──いやこう呼んだ方が適切だろう──血液型差別が流行したのは、民族の交流が異様に少なかったせいもあるのかもしれない。

よくある国民性ジョークの類なんかがウケるのもこのためだろう。ヨーロッパではたいていオチはポーランド人が持ってくようだが、最近2chあたりで流布してる国民性ジョークのオチは韓国人が持っていく。笑ってられるのは自分がオチに使われてないからというだけかもしれない。

昔読んだ国民性ジョークの英語の本は、どの国民もdisられてて公平だったし、おもしろかったけどね。あの本また読みたいなあ。題名が思い出せない。ギリシア人は酔っ払って4500年前のギリシア人の自慢ばっかりしてるとか、オーストラリア人はスポーツ観戦とビールとセックスしかしないとか、そんな内容だったな。

血液型性格判断が好きな人は、自分の差別意識を自覚してないのだろうな。差別意識を自覚するのは難しい。差別する人、される人。という記事が話題になってたが、ここにも差別意識を自覚することの難しさが現れている。

昔、中学生の女の子が「自分は差別なんてしない」と言ってたので、こう聞いたことがある。

「じゃあ自分が東南アジア諸国の仲間だと言われるのと、欧米の仲間だと言われるのと、どっちがいい?」

理性的には日本人は黄色人種だし、日本はアジアなのだから、欧米なんかよりずっと東南アジアのほうが近い。でも彼女はこう言った。

「やだ、アメリカとかの仲間のほうがいい」

それが差別意識だよ、と言ったら彼女はようやく納得したようだった。

そして冒頭のニセ科学問題にも、差別問題が含まれてるように俺には見える。差別は自分より下等な存在を作り上げることで、優越意識を持つことだ。

そう、我々は「ニセ科学に騙されるヤツ」という「下等な存在」を作り上げて優越意識にひたってないだろうか。

そういう差別意識、優越意識を元に制度を作ったら、差別制度のできあがりだ。そういった自分の感情に、もう少し敏感でありたいと思う。難しいけど。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>