何気に朝のニュースをチェックしていたら、こんな記事が話題にあがっていた。
なぁ、日本が独自のことをするとガラパゴスと呼んで、アメリカが独自のことをするとグローバルと言うのはやめないか? - VENTURE VIEW
ある意味これはしゃーない。だってアメリカ様が世界標準作ってるんだもの。特にコンピュータやインターネット関連はね。
- 作者: 村井純
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/11/30
- メディア: 新書
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この村井純先生の「インターネット」という本、1995年11月が初版という非常に古い本なのだが、日本のインターネット黎明期のエピソードを当事者から話すという形で、読んだのもずいぶん前なのだがおもしろかった覚えがある。
この頃KDDIの国際回線の使用料がパケット単位での課金で、パケット再送を繰り返し請求金額がとんでもないことになった、というエピソードもある(P151〜)。そう、たぶんこれは日本初の「パケ死」であろう。昨今一部で話題になってる従量課金がインターネットに適さない理由を、技術的な視点から解説もしている。
さて、当然このようなインターネット黎明期、アメリカで生まれたコンピュータをアメリカで生まれたネットワークに繋げるというのだから、問題は言葉の壁。実際初期のインターネットは日本語なんて通らなかった。
いまインターネットで日本語が通るのは、「通るようにした人」がいるからなのである。
P142あたりに電子メールやNetNewsで日本語を通るようにしたときの話が書いてある。
これも、いま思うと、インターネットのほかの分野でしばしば見られるように、かなり実際主義的なやり方でした。
インターネット (岩波新書) (P142)
(中略)
そこで、世界のほとんどのソフトウェア(ほとんどがアメリカ製)は、文字については七ビットだけを使い、八ビットめをそのソフトウェアに固有な役割をもたせるような使い方をしていました。これが日本語などマルチ・バイトの文字を通そうとする時に問題になるのです。
本には書かれてないけども、電子メールで「半角カタカナ」を使うと文字化けするのはこれが理由。よく言われる「インターネットで半角カタカナを使うべきではない」という言説の根源はここにある。
ここで、八ビットめを別の目的に使っているソフトウェアがいけないのだから、そっちのほうを直すべきだという考え方と、いや、世界のソフトウェアはほとんど文字は七ビットで表示するようになっているのだから、何とか日本語も七ビットを基準にした2バイトで通るように工夫しようという、二つの議論が出たわけです。そして結局は、役に立たなければ何にもならないのだから、という意見で後者に決めたのです。
インターネット (岩波新書) (P143〜144)
(中略)
五、六年かかって、いまでは八ビットめを変な使い方をしないように変わりましたが、当初七ビットを基準にして行こうと決めたときの考え方は、日本のインターネットのエンジニアが進んでいく大きな方向性を決めたと思います。「向こうが悪くてこちらが正しいのだから、こちらの主張を通すのだ」というのと、「たとえ向こうが誤っていたとしても、それが流布しているのだから、そのなかでどうやって動かすかを考えよう」というのでは、考え方が違います。そして、後者の考え方は、日本のアカデミズムのなかでは通用しない議論でした。
間違ってるのは日本じゃない、アメリカの方だ!
いやまったくその通りの状況だったんだけど、それを言っても始まらないので妥協したわけだな。
しょうがないじゃん、あっちが「スタンダード」なんだもの。間違ってるけどスタンダードじゃしょうがないでしょ。そのおかげでいま、こうしてネットで普通に日本語使えてるんだし。
だが、もちろん日本のエンジニアたちだって、ゆずってばかりじゃなかった。
勇気は、当時、国際会議に出かけて行くときにもずいぶん必要でした。八ビットめを変な使い方をするなということは、ヨーロッパの人びとと一緒に主張できたのですが、マルチ・バイトという点ではそうはいかなかった。
インターネット (岩波新書) (P144〜145)
(中略)
この点は、日本人が頑張らねばだめだったと思います。アメリカ人とヨーロッパ人が集まって国際会議で議論しているとき、「ちょっと待て」と言わないとだめで、それを日本人は厳しくやりました。そのときの使命感はみんな強烈でした。私自身も、ベル研究所などで講演しましたが、口角泡を飛ばしてしゃべったから聞いてもらえたようなところがあります。デニス・リッチやケン・トンプソンも、日本語化のアイディアを一生懸命考えた。みんな、大きな落とし穴に入っていたことに気がついてくれたわけです。
こうやって先駆者たちが必死に日本語を通して来たインターネットに、いきなり独自に絵文字なんて突っ込む事がいかに乱暴なことか、おわかりいただけるだろうか。
日本のケータイがガラパゴスになりがちなのは、こうした国際標準をおもいきり無視して独自に何かやろうとするからだ。HTMLなんてのは元々日本語文書記述には不向き極まりないのだが、それでもそれを使ったからこそいまのウェブがあるんだろう。そうじゃなかったら、俺たちはいまだに日本製でJavaScriptもCSSもろくすっぽサポートされないNetscape4レベルの「日本語文書に適したHTMLっぽいもの」で書かれたウェブを使っていただろう。海外で開発されたFirefoxやSafariをそのまま使えるのは標準的なHTMLをなんとか使い続けて来たからだ
過去にNetscape vs Internet Explorerの独自規格合戦を反省してW3Cが発足したわけだけども、じゃあDoCoMoやau用に作られてるサイトが使ってるような認証手法をW3Cに提出したのかというとまったくそんな話は聞かない。
たぶん提出していたらそこに至るまでの過程でもう少しきちんと練られて、今の日本のインターネットが終了みたいなひどい状況は無かっただろう。そして標準として認定されてしまえばiPhoneやAndroid始め海外製携帯電話もきちんと追従していたはずなのだ。
このようにしてこそ「日本発の国際標準」が形作られ、日本企業が作る製品が世界で通用するようになるのではないか?
アメリカがグローバルスタンダードなのは先駆者だからだ。アメリカが作ったものを使ってる以上それは避けられない。日本が独自のことをしてガラパゴス呼ばわりされるのが嫌だっていうなら、日本が作ったものを世界に使わせるという発想が必要だ。内需だけで満足してるくせに何いってんだって感じだ。
iPhoneにTnL」という雷が光ったらボタンを押して音が鳴ったらもう一度ボタンを押し、雷雲と自分との距離を計測するというアプリケーションがある。表示のデフォルトはマイルで入力する気温は華氏なのだが、セッティングでキロメートル表示、摂氏入力に切り替えられる。
開発元のTactical Logicはドメインのwhois情報を見るとアメリカはワシントン州バンクーバーの会社のようだ。こんな玩具アプリだって、国外で使われることをちゃんと意識してる。
さて話の元を辿ると、新聞社のウェブ記事が固定リンクを持たないとかすぐ削除されてしまうという話だった。アメリカの新聞社は固定リンクを持たせてすぐ削除したりはしないんだという。
これについては長くなって来たので別記事にしよう。