国家生き残り戦略としての日本語リストラという記事。
いい記事だと思う。協和語再来と見る向きもあるようだが、実際の提言を見るとそれとはだいぶ違う。
2. ひらがなだけを残し、カタカナは廃止。(中略)本当に外国語であることを強調する必要があるなら、アルファベットでそのままスペルする。
特にこれはとてもいい習慣で、実際に技術文書なんかではそういう書き方をしてる人も少なくない。いちいちカタカナにしてしまうとスペルがわからなくなっちゃうし、英語はたいていの言葉をスペルできるのだからそれで書けばいい。
例えばいろいろ批判のあるいわゆる「カタカナ語」だが、別に俺はそんなに抵抗が無い。というのも中途半端に翻訳するより元の言葉をそのまま使った方がいいという考え方に賛同するものがあるから。
やりすぎてルー語みたいになっちゃうとかいうけど、ルー語もalphabetで書けばいいじゃん? 元記事の冒頭をルー誤変換したやつでやってみるか。
our house の son たちが、「日本語を母国 language として study する school」から「foreign country language として learn する school」に移ってから2ヶ月。いろい eye から鱗なことがあって、interesting。
eyeから鱗はともかくとして意外と悪くない気がする。
というのも日本語がわからない人でも英単語を拾っていけばなんとなく意味を類推できそうじゃない?
そして日本語として破綻してない(!)。なんという柔軟な言語。元は外来語であった漢字の部分を全部英語にしてひらがなで繋いでいってもちゃんと意味が通じるのだよなあ。
そしてこの習慣は日本人の英語力向上にも一役買ってくれるかもしれない。スペルよく忘れるもんな。
もちろん日本人同士カタカナを使ってもいいとは思うけど、公文書や新聞などのメディアからカタカナを追い出すのはとてもいいと思う。タイ人で日本語勉強してる子なんかに聞いても、ひらがなは覚えられるけどカタカナはまだ、っていう子がけっこういるもんな。ひらがなと振り仮名さえあればとりあえず読めるってのは強いぜ。
4. 一枚、一匹、一羽、一本とか、数え方の数が多すぎて覚えられない。「謙譲語」と同じ問題を引き起こす。これも、大幅にSKUを減らす。
あとこれも日本人が使ってる分にはいいけど、外国人が覚える日本語としては全部「個」で統一してしまえばいいと思う。日本人はそれくらい受容できるだろう。
外国語訛りの日本語を話す人に「とうきょうstationまでのticketをいち個ください」と言われたって理解できるだろ? 上級者だけ「一枚」と覚えればいい。「いち個」でも正しい日本語、「いちまい」は美しい日本語。それでいいじゃん?
あと漢字に関してはやっぱり廃止は難しいと思う。日本語は同音異義語が多すぎるし。韓国語は日本語より発音の種類が多くて同音異義語が少ないらしいから廃止してもなんとかなってるみたいだけど、日本語はそうはいかないだろう。
日本語を勉強してるタイ人で英語が出来ないという人にはまだ会ったことが無い。いわゆる「タニヤ大学*1」あたりにはいるのかもしれないけどね。やはりまずは英語なんだろうな。だから日本語が英語混じりになる分には彼らはついてこれると思う。
重要なのは日本人が聞いて分かることと、外国人にとっての学習の障害を取り除いてやること。そしてその「ちょっとヘンな日本語」を日本人がちゃんと受け入れられること。
そして何より、彼らが日本に来て仕事をするのに使える日本語であることだ。それも誰でもできるような仕事をしてもらうためじゃない。その人にしかできない仕事をしてもらうために来てもらうのだ。
人口が向こう数十年増える見込みの無い日本で優秀な人材を集めるには、日本だけを見ていてもどうしようもない。幸いサブカルチャーが牽引する形で日本への憧れを持ってくれてる外国人は洋の東西を問わず多い。彼らと意思疎通ができる日本語は必要だろう。
びっくりするぜ。この東南アジアのド真中でガンダム・エキスポなんてのが開催*2されてるんだぜ? 俺はいけなかったが、こないだの土曜日も日本のアニメのコスプレ大会がMBKというバンコクの大きなデパートで開かれてたそうだ。
食事やお菓子の劇的な美味さなんかも、きっと牽引してくれるだろう。日本からの旅行者がお土産に買ってきてくれた日本のコンビニで売ってるお菓子のあまりのおいしさに目をくるくるしてたタイ人の顔が、すごく印象に残ってる。確かにバンコクではおいしいスイーツをほとんど見掛けない。
日本はこのままでは没落するのは目に見えてる。でもまだまだ日本はすごい。カタカナ廃止くらいなんだってんだ。別に俺らがチャットやブログで使ってたっていいのさ。おかたいところからは取り除くくらいどうってことはない。それだけで外国人が日本語の情報を読み取りやすくなるなら安いもんだろう。
簡素型日本語に慣れるにはちょっと時間がかかるだろうし、高齢者を中心に反発は多いだろうけれど、明治や戦後に同じようなフェーズを経てきたわけだ。そのときは「外国のものを習って、追いつき追い越す」ための言語体系変更だったのだが、今なら「別の戦略」をベースにしてモデルチェンジしてもいい時期ではないか、などと愚考する。
国家生き残り戦略としての日本語リストラ - Tech Mom from Silicon Valley
そう、「別の戦略」。諸外国に追いつき追い越すのではなく、誰も到達できない「未来に生きる日本」のために。世界中の国々が発展しつくした先にぶつかる諸問題を真っ先に切り開いて行く、そんな力を持った国にするために。
それがアジアで真っ先に先進国となった日本の、技術立国でもあり、経済大国でもあり、もっとも文化水準の高い国の一つでもあり、それらをすべて兼ね備えた希有な例としての、大きな使命の一つになるのではないだろうか。