俺には明確に敵と呼べる存在がある。情報の流れをせきとめようとする輩だ。
ブログを閉鎖しろだとか、自己満足もたいがいにしとけだとか、そんなくだらないことを書くなだとか、そういうことを言い出す奴は明らかに敵だ。
そりゃあおまえにとっては価値の無い情報だろうよ。でも俺にとっては違うかもしれないだろ?
その情報は間違っててもいい。正しい必要なんて無い。間違ってるならツッコミを入れておけばいいしそのツッコミとあわせて正しい情報が認識できればそれでいい。
どこそこの飯がうまかった。そんな情報一つでも役に立つ事もある。
情報が古い? だったら日付いれとけよ。ブログシステム使えば自動で入るから便利だよ。
更新できなくなった? しなくていいよ。ただそこに残しておけばいい。
ノイズになる? ノイズかどうかなんて誰が決めるの? 検索エンジンが決めればいいんじゃね? 価値を自分で決めつけるような真似するなって前にも書いただろーよ。
くだらなくたっていい。傲慢だっていい。そこになんかしらの情報を読み取れればそれでいい。どんな情報を読み取るかは読む側が決めるからおまえは考えなくていい。
ただ、ただ、そこに思うところを書けばそれでいい。
情報は流れてこそ生きる。流れない情報に価値は無い。それをどうやって流していくかは、きっと俺たちプログラマの仕事。おまえはそこに情報を置いて行け。どうにかして流れるようにがんばるから。俺がうまくいかなくても、誰かがきっとうまくやってくれるから。
情報が流れたら、きっとみんなの書いたものが誰かを幸福にする。それは世界でたった一人しか幸せにできないかもしれないけど、でもその一人を幸せにできる事が偉大なんだ。
だから情報は流れるべき。せきとめる輩は敵。
世界のあるべき姿は、望めば望んだだけ情報が手に入ることなのだから。