狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

2030 日本自治区の誕生

「ご覧ください、全日本国民が熱狂をもって中華人民共和国首相を迎えています」
テレビのアナウンサーが、力強い声でそう話している。
映像は、東京の街に降り立つ中国の首相、そして笑顔で紅い旗を振る日本人たち。

日本が傾中政策をとって20年、中国以外のあらゆる国を敵にまわしながら、それでも急激な経済成長を遂げた中国に守られ、日本は生き延びて来た。中国に生産拠点を移した日本の製造業は、その多くがいつの間にか中国資本となり、中国人経営者たちによって再び活力を取り戻していた。

日本政府は高騰していた日本の人件費を削ることもできず、また積み重なっていた国債の返済のために、大量の円を刷った。結果、インフレーションが発生し、円の価値は急激に下落。市場に出されるようになった人民元が急騰したのもあいまって、中国企業たちはこぞって日本への直接投資を開始した。日本を代表する大企業が次々に買収されていった。80年代バブル期のアメリカ人はこんな気持ちだったのだろうか。

日本は2010年代に研究費を削り、また研究者たちの国外大量流出もあって、もはや学術も技術も戦後レベルに後退していた。優秀な人間ほど、活動の場を海外に移していたからだ。

反面、そうした日本の研究者や技術者を1990年代より吸収し続けていた韓国は、中国以上に急成長していた。素材から製品、あらゆる「日本の強み」と言われてたものは「韓国の強み」となった。中国主導で南北朝鮮問題も急速に改善しつつある。韓国からの資本を受け入れた北朝鮮もまた急成長し、南北統一への期待も高まっていた。

テレビの映像は、首相官邸を映している。いやもはやここは首相官邸ではない。ここは日本自治区の主席がその指令拠点として使うことになる。首相官邸の中では、在日米軍のトップと中国から派遣されて来た日本自治区主席が握手していた。在日米軍は今日をもって日本より撤退し、中国軍にその基地を引き渡すことになっている。

2009年に誕生した左翼政権は反米路線を取っていたし、アメリカにとって重要度の薄れた在日米軍は重荷だった。ロシアは中国と平和条約を結んでいたし、中国と米国との関係も改善されていた。もはや脅威はそこになかった。

日本で基地のある区域の治安に問題を抱えていたのは間違いないし、段階的な在日米軍の撤退を決めたのも自然な流れに見えた。アメリカはその防衛線をハワイまで後退させ、アジアの安全保障を中国に託したのである。

日本は結局、GDPの300%を超える累積債務を自力で解決できなかったのだ。中国から国債購入などの資金援助を受けながら、なんとか財政破綻を先送りしてきたにすぎない。日本が中国からの経済協力を仰ぐたびに、巧妙な条件をつきつけられて来た。多数の「政策アドバイザー」を受け入れ、彼らは政府中枢からメディアまで幅広く活動した。中国のイメージは激変し、選挙を重ねるたびに、親中的な国会議員が増えていった。

そしてついに、日本は憲法改正に踏み切った。日本人はまだ政治や経済を「御上」のやることと考えている。中国という大樹の影に入ることを、中国を「御上」とすることを、この時代の日本人は選んだのだ。メディアはもはや日本が独力で積もり積もった借金を返すことは不可能と言ってたし、それを引き受けると約束した中国を絶賛していた。

「どうしてこうなっちゃったんだろうねえ……」

50代を迎えた鈴木は、紅い旗に埋もれるテレビを見ながら、そうひとりごちた。

「お父さん、テレビなんて見てる場合じゃないでしょ」

そう妻につつかれたが、テーブルの向いに座る2人の姿は、もっと見たくなかった。

一人は自分の娘、もう一人は四十を越えたくらいの冴えない顔をした中国人だった。

「張さんはけっこうエリートなんだよ」

娘がそう言う。張という名の男は、そりゃあ中国企業の日本駐在員としてやってきているくらいだから優秀ではないということも無いだろう。いや、そんな中国から来てる駐在員は数十万人にも達しているのだが。

彼らがやってくるようになって、街の様子は一変した。中国語の看板が大量に立ち並び、日本語の看板が消えた通りがいくつもあった。日本人の知るような中華料理店ではなく、本場中国と変わらないメニューの中華料理店がいくつも産まれた。

飲み屋の主要な顧客は中国人になり、吉原や西川口などの性風俗産業も中国人向けに特化し始め、産業としても非常に大きくなっていた。頭もよく容姿もきれいな女性たちにとって、今の職も無ければキャリアパスらしいキャリアパスも無い日本で豊かになるには、こういった飲み屋や性風俗産業で働き、お客になってくれる中国人の愛人になるのが最も可能性のある道だった。

鈴木の娘はさらに運がよく、正式に結婚を申し込まれたのだという。確かに暮らしは安泰だ。

「ねえ、聞いてるのお父さん。結婚、もちろんいいよね?」

鈴木は納得がいかない何かを感じていた。確かに娘の将来を思えば、この結婚は喜ぶべきことだ。しかし……。

いや、違うんだ。思えば日本も同じことをしてきた。経済力にものを言わせ、タイには日本語の看板しかないような通りも作って来たではないか。日本人と結婚できると言えば、そういった貧しい諸外国の女性にとっては喜びだった。そう、二十年前までは。今ではそれらの看板はすべてハングルと中国語に取って代わられていた。

シンガポールには、まだ豊かさが残っていた2010年代に日本を脱出し、日本人町を形成している当時の富裕層たちがいるらしい。「言葉の壁」なんてのは実際たいしたことなく、生活する程度なら「これをください」と「これはいくらですか?」が言えて数字が聞き取れればどうにかなるものだし、シンガポールはそもそもほとんど英語が通じる。この程度の英語ができない富裕層などほぼいないであろう。

そういった例外を除けば日本のイメージは「没落」でしかなく、最近の若い子たちにとって「日本らしい」ことはとてもかっこわるいことになっていた。そう、1980年代までの日本の若者たちが、必死に自分にこびり付いた「日本らしさ」を払拭しようとしていたように。

自動車や電化製品の日本語のブランドは残ったが、それらはもはや日本企業ではなかった。生き残れた企業はそのほとんどが生産拠点を中国やベトナムに移していたし、日本で作ってるものなど何一つなくなっていた。本社はアジア経済の中心地であるシンガポールや香港に移すところがほとんどだった。なんでもとりあえず「規制だ」と言われる日本にいるより、ずっとやりやすくて税金も安く済んだからだ。

いまだ男女差別の激しい中国に娘を嫁にやるのは心苦しい。だがそれとて食っていかれねば……。

「安心して、お父さんとお母さんの面倒も張さんが見てくれるって」

この中国人は仕送りまでしてくれるのだという。年金制度の崩壊した団塊ジュニア世代の鈴木にとっては、願っても無い話だ。一人っ子政策が依然続行中の中国では多くの子供を作ることはかなわないが、日本自治区にはまだその制限が無い。中国人にとっては今日本人と結婚しておけばたくさんの子供が作れる。しかも日本で暮らさせておけば金もたいしてかからない。そういった理由もあって、中国人男性と日本人女性の結婚が増えてるという話はちらほら聞いていた。

「そうだ、それが一番うまくいくんだ……」

鈴木は誰にも聞こえないようにつぶやいた。

テレビはこれから始まる中国統治下の日本がいかに素晴しくなるかを熱弁している。だがそんなものは誰も信じてなかった。テレビは中国からの圧力で放送しないが、街ではデモがしょっちゅう起こっていた。ネットの規制も厳しくなり、匿名掲示板などは完全にアクセスを遮断された。動画サイトも「政府からの要請」で削除された動画をよく見掛けるようになっていた。中国の情報統制は、とっくに日本にも入って来ていた。

元々ネットをあまり活用せず、テレビと新聞に情報源を頼っていた日本人を情報統制するのはたやすかった。ギリギリ年金生活に間に合った世代の連中など、本気で中国統治によって日本は再び世界の列強となると信じてるものもいるくらいだ。

「我々アジア人は、とうとう西洋人の支配から逃れ、アジア共同体としての道を歩むのです」

アナウンサーは、番組をそう締めくくっていた。

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*1:監修:id:elm200

*2:この物語はフィクション……であることを祈ります……

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>