第三次グローバリゼーションという記事。e-learning とインターネットの発達で、世界中の知識労働者がフラット化されるという内容。ただこれは、英語を基礎とすることになるだろう。
実際に小学校や中学校の先進国レベルの授業は、カーン・アカデミーなどで世界中どこからでも受けられるようになっている。だがもちろんこれは英語だ。母国語で受けられるわけではない。
おそらく新興諸国の国民は、今もそうであるように英語はすぐ覚えるだろう。いまだって高度な授業は英語で受けたりしているのだ。だが日本はそうではない。
第三次グローバリゼーションの時代、日本は取り残されるだろう。これまで取り残されないためにいてもたってもいられずいろんな記事を書いてきたけれども、そんなことでは日本は変わってはくれなかった。少しは通じた人もいたけれども。
母国語で高度な教育が受けられるという環境から抜け出すのは難しい。そうこうしてるうちに英語の授業はどんどん進化し、日本語の授業は遅れを取るようになる。母数が違いすぎるのだ、勝てるわけがない。
そうして日本は──あえて再びこの言葉を使うが──ガラパゴス化が加速するだろう。
その独自進化が吉と出るか凶と出るか、それはわからない。ただ人口の減る日本で、そう才能がたくさん生まれる気もしない。
この20年、日本は落ちこぼれてきた。そして向こう20年で、日本は崩壊するだろう。団塊Jr世代が年金受給世代になるとき、受給者は過去最大となり、支えるべき働き手は2/3になるのだ。20年後は姥捨論も盛りあがるだろうし、今中国や韓国に向いているような攻撃指向は年金受給者たちへ向けられることになるだろう。結婚も出産もできず家族を失ったロスジェネ世代の自殺も加速するだろう。治安も悪化し、国も予算も計上できず街も道路も荒れて行くだろう。
明治維新以来続いてきた日本の快進撃も、ここで終りを告げることになる。失われた20年は失われた100年になり、日本の暗黒期が訪れる。
希望はどこにあるだろうか。