三好史こといぬがデジタルパフォーマーを22年使い続けてるという話を見てちょっと考えこんでしまった。
俺はコンピュータを始めて触って25年くらいになるが、ナイコン族だった時期が長いので、実質的なコンピュータ歴は18年ほど。しかし当時はお金が無くてDOSなんて買えなかったので、DISK-BASIC時代が長かった*1。その後96年ごろにMS-Windowsの入った9821に乗り換え、2000年ごろからFreeBSDやDebianを中心に使うようになった。今はMacをよく使っているが、俺にとってはUNIX環境の一つという感じなのでMacらしい使い方はしていない。
こんな環境の変遷をたどってるので、コンピュータを触り始めたころから使い続けてるようなソフトウェアというのは無い。NEmacsやMuleも含めてEmacsがもっとも長く使い続けてるソフトウェアだと思うが、それも10年程度。
いぬのように20年以上Macを使い続けてる、あるいはDOSから今はWindowsというような人なら、長年に渡り供給され続けてるアプリケーションというのもあるだろうが、DISK-BASIC時代はそれこそ自分で使うアプリは自分で作る時代だったので(お惣菜の値段からメニュー構成を選んで合計価格を算出するプログラムなども作っていた)、今でも使えるアプリケーションなど存在するはずもない。
転がる石に苔はむさない、のかねえ。
一つの環境に長くいるというのは、それだけメリットも大きい。俺のようにあちこち浮気をするような人間には理解できない事も多いだろう。
俺がコンピュータを使い続ける上でよく考えるのは「永遠はあるのか」ということだった。
忙しく変遷して行くこの世界、同じアプリでもバージョンが違うだけで文書の互換性が無くなるようなこの世界で、自分の作ったものが永遠に読みこめる環境というのは存在するのか。
ずっとそんな事を考え続けて、オープンソースとUNIXという環境に行きついた。ついに俺は永遠を手に入れた、そう感じて興奮した。
実際、NEmacsやMuleのころ書いた文書もただのEUC-JPのテキストだし、読みこめるのは読みこめる。Perlやシェルスクリプトもずっと動き続けてる。設定ファイルである.emacsは分割して整理したり新しいバージョンのEmacsに対応しながら今でも使えている。他のdotfilesも同様だ。
UNIX環境は恐らく消えることは無い。40年という長きに渡ってhackerたちのメイン環境であったUNIXは、そもそもが多様な環境であったし、今でもオープンソースのOSや商用UNIXを含め、たくさんのUNIX-likeな環境が生き続けている。MacもUNIXだ。種類で言えばWindowsのような非UNIX環境のほうが少ないのではないか。そのWindowsですらUNIX-likeな環境にできるアドオンをマイクロソフト自身が提供している。
オープンソースのソフトウェアは、最悪でも自分でメンテナンスさえすれば永遠に動くだろう。少なくとも俺が生きている間は。
しかし俺がそんな試行錯誤を繰り返しようやく辿り着いたものも、まだまだいぬの22年には及ばない。いずれ逆転するかもしれないが、それもいつになるか。
いぬのようにデジタル音楽制作環境の市場そのものを支えちゃうような人なら、もしかしたら1ユーザーとして原理的な所とは別に、市場性によって永遠を手に入れられるのかもしれないね。