炎上した「キズナアイ」問題…日本文化が描いてきた女性像から考えるという記事。炎上したのはキズナアイではなくて千田教授なのだが、その千田教授の論に比べてはるかにまともな批判なのでちょっと書いておこうかと。
まず簡単な部分を否定しておかねばならないのだが、
一般市民には“わかりにくい”“高度な科学的研究”を、“わかりやすく”“親しみやすい”キャラクターを利用して説明しようとする送り手側のコンセプトは理解できる。
ただし、説明をうけるキャラクターとしての「キズナアイ」と、解説する男性科学者の組合せは、“教える男性/教わる女子”という、メディアにおける男女の役割分担、特に教養的な番組の典型的なパターンに陥っている。
「教養番組の典型的なパターン」、本当にそうだろうか? 残念ながらテレビというメディアは検索性が皆無で検証は事実上無理なのだが、似たような「マンガでわかる」系の教養本における男女の役割分担についての調査がある。
見て分かる通り、2006年ごろまでは圧倒的に「男性が先生役、女性が生徒役」という配役が支配的だったが、2008年以降では男女比はほぼ同等か、若干ながら「女性が先生役、男性が生徒役」の方が多いと言える。(まあサンプル数的に誤差範囲ではあるが)
こちらの調査によれば、10年ほど前までは確かに古典的な性役割が見られるものの、この10年ではほぼ解消されている。学問という場が社会の速度においついてないのではないか。
こうしたエビデンスに基づかない議論はソーカル事件を起こしたポストモダンを想起させる。モダンの徹底なきポストモダンはない。まずはモダンな合理性から始まらなくてはならない。ポストモダン建築もモダンな技術によって成立するようになったのである。
萌え絵が新しいオリエンタリズムに?
さて本題に入ろう。冒頭の記事には興味深い批判がある。かつてのジャポニズムが残したものについて、佐伯教授はこう語る。
しかし、一方で、アジアの女性を美化するあまりに性的なまなざしの対象とし、脆弱な存在として欧米人よりも低い立場とする発想は、強い欧米と弱いアジアという「オリエンタリズム」の構図を示し、手放しで喜ぶわけにはゆかない。
現実に芸者として働く現代の日本女性たちにとっても、ことさらに「ゲイシャ」が性的なまなざしの対象になるのは不本意であろう。
日本のポピュラー・カルチャーで描かれる、“かわいい”女性像の海外への輸出は、日本の女性といえば、未熟で性的な存在というステレオタイプにつながりかねないという点で、いわば21世紀の「オリエンタリズム」に陥る危険性がある。
結論から言うとこの不安についてはまったくの杞憂であると俺は考える。その理由を語るためには、キズナアイさんが自らのアバターに採用した萌え絵と呼ばれるスタイルと、その源流である漫画絵、特に少女漫画の絵についておさらいする必要がある。
少女漫画の絵はいかにして成立してきたか
萌え絵の歴史については以下ですでに書いたので参照してもらいたい。
萌え絵はポルノではなく、人間への回帰なのである - 狐の王国
上の記事でも引用しているが、少女漫画の絵の成立には少女雑誌に言及しない訳にはいかない。少女漫画はまず少女雑誌に掲載され、その後コミック誌として独立した経緯がある。
雑誌の表紙絵の少女像、その瞳は明治から大正、昭和にかけ徐々に大きくなっています。なぜでしょうか? 明治38年11月号の「少女界」の表紙絵。少女の目は、線や点でシンプルに描かれています。江戸時代以来の美人画の伝統を受け継いだ顔です。 大正5年2月号「新少女大」。正時代、竹久夢二の描く少女像が登場。初めて瞳が開き、瞳の輝きが描かれています。語りかけてきそうな、生き生きとした表情が生まれました。 大正15年2月号「少女画報」。夢二の後、大きな瞳が主流になります。高畠華宵(たかばたけかしょう)の描く少女は、大きな二重まぶた。白めが強調され、あでやかさが特徴です。 昭和14年4月号「少女の友」。瞳は、昭和に入ると極端な大きさになります。中原淳一の絵です。大きな瞳が支持された背景には、当時、自由な発言ができなかった少女たちが目で自分の意思を伝えたい、という自己表現への思いが反映されている、と評論家の上笙一郎氏は語ります。
竹久夢二と中原淳一、確かにだんだん目が大きく描かれるようになったように感じられるのだが、俺はここに大きな断絶があると感じられる。上笙一郎氏の評論も的はずれであろう。中原淳一が目を大きく描いた背景には、西洋人形が影響している。
中原淳一のデビューが人形であったことは、まだあまり知られていません。十代の淳一少年が作っていたフランス人形を見て驚嘆した知人の推薦で、昭和7年、銀座松屋で創作人形展を開催。フランス人形というネーミングもその時に淳一が考えたものだそうです。その人形の叙情性を見た雑誌『少女の友』の編集者が、竹久夢二のあとを継ぐ専属挿絵画家として淳一を迎えたことが、淳一が仕事として絵を描いた最初であり、その後終生続くことになる雑誌創りの仕事との出会いでもあったのです。
中原淳一が自ら「フランス人形」と読んだそのスタイルは、幼児型でロココ調のドレスに身を包み、そしてなにより目が大きいものだった。西洋人の子供がモデルなのだから、それは当然であろう。
こうした中原淳一が活動の場にしていた少女雑誌というジャンルに、現代のような漫画を持ち込んだのはおそらく手塚治虫であろう。だが同時期に中原淳一にあこがれて絵を描いた高橋真琴という作家の登場が、おそらく少年漫画と少女漫画の絵を決定的に分岐させた事件であったと思われる。
高橋真琴は現在も現役で、地元の千葉県佐倉市では市のポスターなども描いていらっしゃるようだ。
高橋真琴の絵は、漫画よりも女児向けの文房具や絵本などで馴染み深い人も多いだろう。少女と花という高橋真琴のモチーフは、おそらく女性と花をモチーフとしていたミュシャの影響によるものではないかと思われるが、これについては確証はない。社会学者の先生、高橋先生に直接聞きに行ってくれないですかね。
ともあれこうして少女漫画独特の絵柄というのは成立し、特に70年代や80年代においては西洋人顔が描かれることに対して白人に対する劣等感を指摘されもした。大元がフランス人形なのだからこれは妥当な批判とはいい難いと思うのだが。
国籍フリーの漫画絵
さて上記のように少女漫画絵は西洋人形を大元として出発したのだが、少年漫画はどうか。これはディズニーに明らかに影響された手塚治虫の絵が否定される劇画ブームに触れざるを得ない。手塚治虫が切り開いた映画のようなストーリー漫画の新基軸として、劇画という提案がなされたのは1959年のことである。ディズニーのようなデフォルメされた等身ではなく、もっとリアルな等身で描かれ、シリアスなストーリーを彩った。小池一夫や梶原一騎らの作るストーリーや、池上遼一のようなしっかりしたリアルな絵が大いに受け入れられた。特に池上遼一は外見の美しさで劣ると考えられがちだったアジア人の特徴を捉えながらも、それを非常にかっこよく描くことが特徴的である。
こうしてリアルな等身のキャラクターが描かれるようになった漫画だが、劇画ブームは70年代には一度収束する。
労働者階級の若者がメインターゲットの読者であった劇画は、当時盛んであった学生運動の熱狂と同期し、社会的なブームを巻き起こすことになる。貸本劇画誌を前身として1964年に創刊された「ガロ」(青林堂)は全共闘世代の大学生の愛読誌であった。1970年(昭和45年)3月31日によど号ハイジャック事件を起こした赤軍派グループの宣言「われわれは明日のジョーである」は当時の劇画の若者に対する影響力を物語っている。
だが、1972年(昭和47年)のあさま山荘事件などの左翼の過激化で学生運動が退潮したと同時に、革命をテーマに若者らに支持されていた劇画業界も冷え込んでいった。劇画は「重く」「暑苦しい」ものとして若者らから敬遠されるようになり、それまで人気を誇っていた劇画雑誌は1970年代中頃より急激に部数を落としていった。
「萌え絵はポルノではなく、人間への回帰なのである」 でも書いたが、劇画ブームのあとの漫画というのは「かわいいヒロイン」が求められるようになる。それは硬派な時代の終わりでもあったのだろう。男たちはホモ・ソーシャルな熱血を好まなくなり、硬派の時代の人々から見れば「女のケツを追っかける」ようになる。そうした作品には劇画タッチの絵より、少女漫画の絵の要素を取り入れていくことが好まれていた。ヒロインの絵がまんま少女漫画タッチであったり、全体的に少女漫画絵の影響を受けていることがわかる作家も少なからずいた。また漫画家たちの画力も向上し、大友克洋や鳥山明のような、イラストとしてみても遜色ないような絵で漫画を描く人たちも現れた。
こうしたムーブメントの中で、漫画絵というものはどんどん人種からかけ離れていく。西洋人顔ともアジア人顔ともつかない絵に変形していくのである。これは様々な理由が考えられるし、実際に様々な理由があったのであろうと思われる。
もともと手塚治虫時代の絵というのはディズニーの影響下にあり、そもそもが国籍と言えるものがなかった。カナダで放送された魔法使いサリーを見たフランス系カナダ人が「サリーちゃんはフランス人でしょ、フランス語を喋ってるし」と言われて困惑したという話を聞いたときには笑ってしまったのだが、この頃の漫画絵というのはそもそも国籍がなかった事が分かる話である。
80年代の漫画絵も、こうした基礎の上に成り立っていることがやはり影響しているのであろう。人種的な特徴を廃し、たいていの国の人々は自分の国の人間だと思えるような絵が多く見られた。キャプテン翼や聖闘士星矢といった作品が海外でもたいへん受け入れられた背景には、こうした異国感の排除があったのであろう。こうした特徴はアニメでも見られ、スタジオ・ジブリの絵もまたアジア人が見ればアジア人に、西洋人が見れば西洋人に見えるような絵柄である。
もちろんアニメ超時空シリーズのように海外で大ヒットしながらも、スタートレックなどの影響か人種多様性が見て取れる作品もある。とはいえ主人公一条輝が海外ではリック・ハンターという欧米人になれたのは、人種的特徴を廃した漫画絵だったことが大きいであろう。もちろんそうした海外展開を見据えてるからこそ意図的に人種的特徴を消していったのかもしれない。
少女漫画と萌え絵
こうして人種的特徴を廃していく動きは少女漫画にも見られた。西洋人顔だった少女漫画絵も、丸みを帯びてアジア人とも西洋人ともつかない顔になっていく。
またそもそも「美少女戦士セーラームーン」のように、少女漫画では金髪碧眼でも日本で生まれ日本で育った日本人として描かれるなど、人種的特徴と実際の人種は一致してないことも少なからずあった。髪の色もピンクや青など、実在する人種とはかけ離れて描かれることも少なくなかった。
こうした動きは「人形化」として考えると原点回帰にも思える。人種も含む人間としての特徴が消えていき、人形のように描かれていく。中原淳一が目指したものも、やはり人形だった。
こうした少女漫画テイストの絵は、そのかいわらしさからポルノに転用されていく。アニメ「くりいむレモン」を筆頭に、90年代表現規制問題の端緒となった遊人による「ANGEL」などが代表的だ。
とくに遊人の絵はおそらく無断使用であろうが、街の性風俗店の広告などに広く利用されていく。バンコクの歓楽街でまで遊人の絵を見たときにはたいへん驚いた。少女漫画テイストの絵をポルノと勘違いしてる人たちが多いのだが、そうした人たちはおそらくロクに漫画も読まずに歓楽街で過ごす時間が長かったのだろうと思われる。性風俗店と少女漫画テイストの絵柄がイコールで結ばれてしまってるのだろう。子供たちには迷惑な話である。
また90年代に大ブームを迎えることになるアダルトゲームでも、やはりこうした少女漫画テイストの絵が使われるようになる。
またやはり少女漫画テイストの絵で描かれたポルノコミックも多かった。その後児童文学の挿絵を描くことになる okama などが代表的である。
これまであげてきた作品やそれ以外の作品でもそうだが、設定上西洋人であったり東洋人であったりしても、まったく同じように描かれてることにお気づきだろうか。人種は設定上存在しても、文脈で理解するのがスタンダードなのだ。
こうした絵で鍛えられた絵師たちは、ライトノベルやアニメや漫画とどんどん活動の場を広げていった。いわゆる萌え絵と呼ばれるものはこうした少女漫画テイストだが少女漫画以外の媒体で使われてるものを指すようだ。
ライトノベルやアニメや漫画、アダルトゲームなどは、「人形化」された絵に人格とストーリーを宿すようになる。それが萌え絵の本質であると以前にも書いた。
「萌え絵」と呼ばれるスタイルがジャポニズムを超える日 - 狐の王国
人形であるがゆえに人種という属性を持たない。だが人格とストーリーはある。それゆえに愛される。人種などいう細かいことは気にしないのである。これは受け手もそうで、日本のアニメキャラクターに黒人が少ないことを嘆く向きはあるにはあるのだが、気にしない人たちもたくさんいるのである。黒人女性がセーラームーンのコスプレをしても、人種を理由に文句を言う人は見たことがない。宗教上の理由で髪を出せなくても、ヒジャブを髪の毛に見立ててコスプレしてる人たちもいる。いいぞもっとやれ、もっと楽しもう。
そもそも人間ではないのではないかという意見もあった。
どうみても白人とはまったく別の何かで、人間ですら無いというのが現状だ
萌え絵はグローバル
以上のように、日本の発信する萌え系と言われる女性表象はそもそもが無国籍なのである。浮世絵のように明らかに東洋人が描かれてるわけではない。日本を感じさせるなんてこともおそらくないだろう。今の時代は韓国人や中国人が萌え系のイラストを描いて日本で出版してる時代である。
おそらく次第に欧米人にも浸透し、欧米人の萌え系イラストレーターも出てくるであろう。アマチュアレベルではすでに存在してるはずである。
無国籍な表象であるからこそ、髪の色も肌の色も気にしない。同じキャラクターの肌や髪の色が変わったくらいでは揺れの範囲内。西洋人形を由来に持ち、少女漫画が生み出した「萌え絵」はまさしくグローバルなのだ。