狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

「萌え絵」と呼ばれるスタイルがジャポニズムを超える日

なにやら近年、「萌え絵」をポルノだと認識してるおかしな弁護士だの社会学者だの大学教授だのが跳梁跋扈している。司法試験に受かったり学者になるだけの知力がありながら、たかだかこの40〜50年程度のオタク文化について調べもしないという態度は褒められたものではない。とはいえまとまった書籍があるかというと、特に「萌え」に関してはちょっと思い当たらないので、夜中にツイートしたものを下地にちょっと書き残しておく。

クィアとしてのオタク

そもそもオタクというのはある種のクィアであった。クィアというのはセクシャルマイノリティに代表される、標準的な異性愛規範から外れた人たちのことである。「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」たち、それがオタクであった。彼らは中高生や大学生、あるいは社会人となっても、子供向けの漫画を読み、アニメを見続けていた。それも男性は女児向けの、女性は男児向けの作品に夢中になっていた。当時としてはそうとう異常な趣味だった。

オタクがオタクと呼ばれる端緒となる中森明夫「おたくの研究」ではその序文で、彼自身がおたくと名付けることにしたという人々のことをこう書いている。

コミケット(略してコミケ)って知ってる?いやぁ僕も昨年、二十三才にして初めて行ったんだけど、驚いたねー。これはまぁ、つまりマンガマニアのためのお祭りみたいなもんで、早い話しマンガ同人誌やファンジンの即売会なのね。それで何に驚いたっていうと、とにかく東京中から一万人以上もの少年少女が集まってくるんだけど、その彼らの異様さね。なんて言うんだろうねぇ、ほら、どこのクラスにもいるでしょ、運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴らが。モロあれなんだよね。髪型は七三の長髪でボサボサか、キョーフの刈り上げ坊っちゃん刈り。イトーヨーカドー西友でママに買ってきて貰った980円1980円均一のシャツやスラックスを小粋に着こなし、数年前はやったRのマークのリーガルのニセ物スニーカーはいて、ショルダーバッグをパンパンにふくらませてヨタヨタやってくるんだよ、これが。それで栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタかてな感じで、女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足を白いハイソックスで包んでたりするんだよね。普段はクラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴らが、どこからわいてきたんだろうって首をひねるぐらいにゾロゾロゾロゾロ一万人!それも普段メチャ暗いぶんだけ、ここぞとばかりに大ハシャギ。アニメキャラの衣装をマネてみる奴、ご存知吾妻まんがのブキミスタイルの奴、ただニタニタと少女にロリコンファンジンを売りつけようとシツコク喰い下がる奴、わけもなく走り廻る奴、もー頭が破裂しそうだったよ。それがだいたいが十代の中高生を中心とする少年少女たちなんだよね。

『おたく』の研究 第1回 | 漫画ブリッコの世界

1983年というこの時期に書かれたこの文書により、当時の「オタク」と呼ばれることになる人々がイメージできるだろう。バブル前夜の高度経済成長期、スーパーマーケットで売られてる服は軒並みダサいと言われ、それなりの値段のする服をそれなりの場所で買い揃え、それなりに着こなしていることは当時の若者の間では実に常識的なことだったようだ。それに反していた彼らはその時点でだいぶ異性愛規範から外れていたのである。そして中森明夫が参加したというコミケ、当時は出展者の8割程度は女性だったはずである。コミケというのは女性オタクたちの祭典であり、オタクというのは主に女性の趣味でもあったのだ。

「萌え」の発見

70〜80年代、こうしたクィアな趣味の中で育まれたオタクたちが「萌え」という感覚を見出すのが90年代である。

これは「燃える」の誤変換から生まれたという説もある。要するに夢中になってしまう何かを見てしまったときの感情表現なのである。

誰もが経験したことはあるのではないか。猫の異様にかわいい仕草をみてしまったとき、犬のつぶらな瞳に見つめられたとき、子供の無邪気な姿を目の当たりにしたとき、壁に頭を打ち付けたくなるような激しい情動を覚えたことはあるのではないか。

そう、それが「萌え」である。

この言葉は男性オタクたちによって生み出されたようだが、すぐに女性オタクたちにも波及していく。今では「萌え」という言い方はだいぶ下火になり、「尊い」「まって」「無理」などの言い方がされることが多いように見受けられる。激しい情動に駆られて身も心もついていけない感覚が伝わってくる。まさに「ほとばしる熱いパトス」なのである。

さてこうした広範囲な「萌え」の感覚だが、オタク文脈にしたがってもう少し狭義の萌えを探っていこう。

女児向けのアニメや漫画を読むときに男性オタクたちが感じる「萌え」とはなにか。たとえば魔法少女アニメにおける変身シーンなどは「萌え」の対象だ。


セーラームーン変身

しかしこれは変身に伴う脱衣としてのエロスへの情動とも言える。


カードキャプターさくら「はにゃーん」まとめ

こちらのカードキャプターさくらNHKアニメということもあり、セクシャルなシーンはない。だがセーラームーンに負けず劣らず、あるいはそれ以上に90年代の男性オタクたちを「萌え」させた作品だ。

先述した犬や猫、小さな子供への情動としての「萌え」と合わせて考えれば、これが「少女的無垢性への憧憬」であることはきっとわかるであろう。

80年代から90年代、こうした少女的無垢性への憧憬としての萌えを感じ取っていた男性オタクたちは、多くが「ロリコン」を自称していた。これは「少女趣味」と言えば分かる人にはわかるであろう。少女的なかわいらしいもの、人形などへの愛着、少女雑誌や少女漫画のヒロインたちに対する憧憬。そうしたものを持つ男たちが、当時の感覚では「自分はロリコンである」と認識せざるを得なかったという、ある種の悲しい事情がそこにはある。

実際の所80年代のロリコンブームにおいて多くの児童ポルノが作られたのだが、その代表的なものはレズビアン活動家にして写真家の清岡純子の手によるものだった。当時の雑誌や書籍はもはや国会図書館においてすら閲覧禁止になっているが、清岡純子は本人やその家族との交流の中でずいぶんと平和的に少女たちのヌード写真を撮影していた、というのを当時の雑誌に寄稿していたようだ。

そういうかわいらしい少女写真だと思って欧米の児童ポルノを見てみると、あまりの違いに衝撃を受ける。欧米のそれは本物の性的虐待の写真であり、犯行現場の写真だからだ。苛烈なまでにその所持の禁止を叫ばれた理由もよくわかる。90年代のインターネットではそうした写真もちょっと探すとすぐ見つかったのである。

そういうものではない、「男の持つ少女趣味」としてのロリコン文化というのが80年代から90年代にかけて存在していたということは指摘しておくべきであろう。だがそれを「ロリコン」と自称していたことに現れているが、まだこの当時は「萌え」と「エロ」の区別が本人たちもついていなかった。

これは違うものだという認識が当事者たちの間で広まったのは、90年代に巻きおこったエロゲブームである。その端緒となる1992年の「同級生」には興味深いエピソードがある。

元々アダルトゲームには『TOKYOナンパストリート』(エニックス:1985年4月)を祖とする「ナンパ」というジャンルが存在しており、町で見かけた女の子を口説いてホテルに連れ込むと、ご褒美画像であるエッチシーンが見られる…というゲームの流れが確立していた。1989年発売のエルフの初期作品『ぴんきぃぽんきぃ』は、その流れを受けたナンパアドベンチャーゲームであるが、蛭田昌人は『同級生原画集』(辰巳出版)の対談記事の中で、「『同級生』の大元は『ぴんきぃぽんきぃ』」、「最初は40日の期間内に50人の女の子を次々とナンパしまくるストーリー性の低いゲームだった」と語っている。

つまり、『同級生』も元々は「ナンパゲーム」(その証として、インストール時に作成されるフォルダ名が、「NANPA」)として開発されていたが、蛭田が竹井の絵を見るうちにヒロインをただナンパしてセックスさせるだけでは勿体無いと思い、ヒロインの数を減らして個々にストーリー性のあるシナリオを付加させた結果、「恋愛ゲーム」になってしまったのである。これは蛭田自身も意図しておらず、ゲーム雑誌のインタビューの中で「購入者から『同級生はナンパゲームじゃなくて恋愛ゲームなんだ』と言われて初めて気が付いた」と語るに至った。

同級生 (ゲーム) - Wikipedia)

イラストレーター竹井正樹の手による美麗なイラストの魅力が、ポルノゲームを恋愛ゲームに変化させたのである。

elf 同級生  原画集

竹井正樹は「同級生」の仕事の前に、OVAロードス島戦記」に参加してたことが知られている。そのキャラクターデザインと総作画監督をつとめていた結城信輝がこんなツイートを残している。

いのまたむつみレダというのはこれである。

Le Avventure Di Leda [Italian Edition]

また出渕裕によるロードス島戦記の原作イラストもまた、ミュシャに強く影響されたものだった。

新装版 ロードス島戦記 灰色の魔女 (角川スニーカー文庫)

いのまたむつみ出渕裕結城信輝を経ておそらくはこうしたアールヌーヴォーのスタイルの影響を竹井正樹らにも与えたであろう。同様にミュシャの影響が色濃く見えるCLAMPの漫画作品らの大ブームもあって、「萌え絵」はアールヌーヴォーの影響を強く受けて成立してることは想像に難くない。

アルフォンス・ミュシャの世界 -2つのおとぎの国への旅-

また絵だけでなく、物語も複雑化していく、

もうひとつ重要なタイトルが「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(elf・1996年)」である。本格的なSF的題材と複雑な物語を成人向けゲームに持ち込み、なおかつヒットしたことで、「同級生」ともどもその後の家庭用ゲーム機への移植、アニメ化などの道筋をつけ、こうした複雑な物語を受け入れる土壌が成人向けゲーム市場にあること示した。

この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO PC98

その後「To Heart(Leaf・1997年)」や「Kanon(Key・1999年)」といった「葉鍵系」と呼ばれる作品群がヒットを飛ばしていく。これらは当初から家庭用ゲーム機への移植とアニメ化を見込んで作られており、ポルノとしてリリースされていながらポルノシーンを必要としない構成であった。いわゆる「全年齢版」と呼ばれる別版がリリースされ始めるのである。

萌え絵はポルノではなく、人間への回帰なのである - 狐の王国

こうしていわゆるエロゲ、ポルノゲームの市場は恋愛物語を中心に据えるようになり、ポルノシーンはあってもなくてもいいような扱いになっていく。この頃にはあえて全年齢版を買うファンもいた。それはポルノシーンがむしろ物語の邪魔になるという感覚であった。

こうして当事者である男性オタクたちは「萌え」と「エロ」が違うものだということに気づいていく。それは少女的無垢性への憧憬であり、無垢な少女への自己同一化であり、無垢な存在に受容されることそのものであった。

一方多くの女性オタクたちは「萌え」概念の導入において、おそらく「既存のものに名前がついた」という感覚だったのではなかろうか。彼女らが求めていたもの、それもやはりエロではなく「関係性」であった。鉛筆と消しゴムがいたらその2者の関係性を妄想して2時間は過ごせるという女性オタクは少なくない。そこにエロが含まれることも少なからずあるが、それは彼女らにとってスパイスのようなものだろう。スパイスの効きまくった料理が好物でしょうがない人も少なからずいるのではあるが。

萌え絵と物語

こうした関係性や無垢性といったエロではないものへのフェティシズムこそが「萌え」であって、そこには単なる表象ではなく「物語」が求められている。腕のいいイラストレーターや画家が絵柄だけをコピーしても決して「萌え絵」にはならない。そこに物語を乗せることができないからだ。

エロゲがその名に反して「エロ」を置き去りにして「萌え」に走らせたのも、そこには物語があったからだ。ヒロインと出会い、恋をする物語がそこにはあった。もちろんただ恋するのではなく、一人ひとりの背景があり、人格が描かれ、そして物語として成立していく。そこに現れる関係性や無垢性こそ、オタクたちを虜にした「萌え」なのである。

例えば大ヒットしたエロゲ「Kanon」のメインヒロイン月宮あゆだ。

Kanon ~Standard Edition~ 全年齢対象版

少女漫画雑誌「ちゃお」の影響が見える輪郭が崩れそうなほど大きな目、少女漫画の枠を超えて活躍するCLAMPの影響と思しきランドセルの羽。これは当時の流行をよく反映した萌え絵であろう。

記憶喪失の少女月宮あゆと主人公は、彼女の記憶を探して街を歩く。そしてその記憶を思い出すことが2人の別れにつながっていく。その切なさや無垢な笑顔、それらが失われる苦しみ。そうした物語こそがこの作品を名作たらしめ、多くのオタクたちが萌えてきた要因なのである。

その物語を知るものには、上の絵はたいへん切なく映る。ありし日のあゆの姿、2人の思い出を象徴する木に腰掛けるその姿は、今にも消えてしまいそうで、あの日の別れを想起させる。

知らない人にはただの絵にしか見えないそれには、膨大な物語を想起させる情報が織り込まれている。そこにはラノベなりアニメなりエロゲなり、物語を知ってる人でなくては読み取れない情報がある。だからこそただの絵にオタクたちは興奮するのである。

ただの絵に人格と物語を付与することにより、非常にハイコンテキストな表現としてそれは成立する。ラノベの表紙もだから中身を読んでなければ意味を理解できない。「スレイヤーズ」で多くの人に知られる白蛇のナーガも、中身を知らなければただの露出狂である。

スレイヤーズすぺしゃる2 リトル・プリンセス (富士見ファンタジア文庫)

こうしたハイコンテキストな表現を意図的に組み込む仕掛けが使われることもある。たとえば大ヒットアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」におけるオープニングテーマソング「コネクト」である。

蒼樹うめのデザインによるポップで可愛らしいキャラクターとあいまって、ちょっとおしゃれでかわいらしい歌にすら聞こえる。だが本編10話を見たあとに聞くとまったく別の意味に聞こえてくる。この歌がある登場人物の胸の内であることに気付かされるのである。歌に人格と物語が付与される瞬間であった。この仕掛けにはたいへん驚いたし、楽しませてもらった。

ただの絵に人格と物語を付与する、これこそが「萌え絵」と呼ばれるスタイルの本質であるとここでは断言しておきたい。

未来へ

こうしたハイコンテキストな表現の最先端の応用が Vtuber だ。彼らは絵に与えるべき人格と物語を自分自身を用いて表現する。ここでいう人格は本人自身であり、物語とは本人の人生だ。ある種のタレントと呼ばれる仕事に近いものになっていく。

こうしたコンテキストを理解してなければ批判も批評も成立しない。時代は常々動き続けており、ステロタイプと呼ばれた表現すら簡単に目新しいものに変貌する。このハイコンテキストさこそが海外進出の難しさではあるのだが、いずれ理解も広まるかもしれない。

90年代からゼロ年代にかけてのエロゲブームでは、数々のクリエイターたちが育まれた。エロゲを機に奈須きのこ虚淵玄いとうのいぢといったビッグネームを筆頭に、数々のクリエイターらがアニメに進出し、深夜アニメブームに乗って彼らの活躍の場は増えていった。

10年代に入ると彼らの生み出した物語や絵はより多くの人々を魅了していく。児童書や教科書にも採用され、韓国や中国を中心に海外にもファン層が拡大していく。そして「RWBY」や「アズールレーン」を筆頭に海外から「萌え」の返球を大量に受け取ってるのが今という時代なのである。

思えば Vtuber の草分けであるキズナアイにしても、評価は海外から始まった。1年間鳴かず飛ばずだったキズナアイが昨年末に見出いだされ、Vtuber ブームにのってまたたくまに大人気タレントになってしまった。訪日観光大使としてニューヨーク事務所に採用されたのは今年の3月のことである。

バーチャルYouTuber「キズナアイ」、訪日観光大使に - ITmedia NEWS

この速度についていけた人はそう多くあるまい。俺も最近まで雌伏の1年間があったことを知らなかったくらいだ。

萌え絵の魅力は、もはや世界中に広まりつつある。韓国の女性イラストレーターが描いた萌え絵が日本の書籍に採用されたりもしている。中国人女性の起業したマンジュウ社が開発した「アズールレーン」は萌え絵の魅力とゲームとしての良さから中国のみならず日本でもヒットしている。

かつて浮世絵が欧州に渡り、ジャポニズムをもたらしたときも、欧州の作家たちが浮世絵自体を描くなんてことはなかった。現代では中国人も韓国人も欧米人も萌え絵を描くようになった。ジャポニズムよりももっと大きな潮流になる可能性もあるのではないか。

人格と物語というコンテキストに乗せられた絵を一緒に楽しむというスタイルは、まさに漫画が確立してきたものでもある。漫画文化の派生として考えてもおもしろいであろう。

絵はもはや絵だけ見てもわからない時代になっているのである。そこに込められた人格と物語を、さあ楽しもうではないか。そこに国境はない。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>