狐の王国

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反戦と自立と贖罪──ヴァイオレット・エヴァーガーデン完結によせて

京都アニメーション最新作にして復帰作である「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」について語りたい。テレビシリーズのころからあまりに美麗な映像が話題になりがちな作品だが、ただ美しいだけの話ではもちろんない。これは明確に「反戦映画」である。

従来、女性を主人公にした反戦映画は、どうしても戦争に対して他人事であった。「帰ってこない男を待つ女」のように、あるいは「負傷した帰還兵」の狂乱に巻き込まれるような、ただただ犠牲者としての女性が描かれてきた。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の革新的なところは、主人公のヴァイオレット自身が両腕を失った「負傷した帰還兵」でもあり、また「帰ってこない男を待つ女」でもあるところだ。

だからこそ戦争が他人事ではない。そこには圧倒的な当事者性がある。テレビシリーズはただの戦闘人形だったヴァイオレットが、手紙を通して人の心に触れ、自分のしてきたことにさいなまれる話でもあった。

今作の劇場版でも、序盤からヴァイオレットは「自分は讃えられるべき人間ではない」と釈明する。兵士としても「優秀」であったヴァイオレットは、あまりにも多くの命を殺めてきたからだ。

作中に登場する男たちが戦争に皆取られてしまって、老人と女子供だけになった島。その麦人演じる老人の言葉のひとつひとつが、いかにも「戦後」を捉えている。

日本のアニメ作品にはありがちなのだが、こういう重要なテーマをさらりと織り込んでくる。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を反戦映画として捉えてる人などあまりいないのだが、それくらいさらりと自然に物語に織り込まれ、受け手は美しい映像と物語に引き込まれてしまってふと冷静になってみないと気付かない。こういう日本のアニメの描き方はたいへんすばらしいと俺は思う。

もうひとつ、この作品には重要なテーマが織り込まれている。それは「自立」だ。

「自分を育ててくれた男」との恋物語は、少女小説においては珍しいものではない。古くは源氏物語にも見られる類型である。

だが一面的に見れば軍の都合とはいえひとりの少女を「武器」として使ったギルベルトは加害者である。孤児である彼女に読み書きを教え、マナーを叩き込んだのも彼であるとはいえ、その罪は許されるものではないはずだ。

だがそれを決めるのは被害者であるヴァイオレット自身でなければならない。だからこれは、ヴァイオレット・エヴァーガーデンという少女自身が、ギルベルト少佐からの自立を果たし、自ら判断をくださねばならない。少佐という過去に囚われたままでは、ただ命令を欲しがるだけの子供であった頃となにも変わらない。子供には判断できないことだ。

その補助線として描かれるのが病床のユリス少年との出会いである。自分の命がそう遠くないうちに消えることを予感したユリス少年は、心配とか過干渉はいらないと言う。ただ自分の死後、家族に届けたい言葉があるのだと。自らの死を前にした少年は、精神的に自立しようとしていた。

生意気盛りでもあるユリス少年の存在は、ヴァイオレットに少なくない影響を与えてることが読み取れる。ヴァイオレットには運命的に存在し得なかった思春期を、きっとこのとき追体験したのかもしれない。

実は3度ほど見て気付いたのだが、この作品において主人公ヴァイオレットはおおむね画面の右側に配置されていたり、左側を向いていることが多い。劇作において画面の右側は上座であり、ポジティブさや未来を示唆する。左側の上座はその反対、ネガティブさや過去を示唆する。「帰ってこない男」であるギルベルト・ブーゲンビリア少佐という過去が、ヴァイオレットをいまも締め付けていることを表している。

この物語において、ヴァイオレットがギルベルトを「過去」にできるかどうか、それによって「自立」を得ることができるかどうかが、非常に重要なキーとなっている。そこにユリス少年も関わっていく。

まだ未見の方にもヴァイオレットが上座に向けて走り出す瞬間を、ぜひ劇場で目撃してもらいたい。その時の彼女は、過去から解き放たれ、すべてを自分自身の意志で判断できる、一人の自立した女性なのである。

今作で堂々の完結となる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」であるが、初見の人にもこれまでの流れがわかるように構成が工夫されていた。これまでの物語を知る人も知らない人も、とりあえずこの完結編を見てもらいたい。もちろんいままでのシリーズを見てきた人は、よりいっそう深く心動かされることであろう。

そしてもう一つ織り込まれてるテーマは「贖罪」である。これは各人自らの感性で感じ取ってもらいたい。この織り込まれたテーマを語るとどうしてもあらすじを延々と書くことになってしまうからだ。それぞれの人物たちのそれぞれの贖罪に、注目してもらいたい。

まだまだ語りたいことはある。本作の完成を待たずに亡くなられてしまった美術監督である渡邉美希子の手による背景美術、架空の国でありながら文化や伝統の息遣いすら感じさせ、絵本がそのまま動いてるかのようなかわいらしさをたたえた美しさ。それでいて激しく振る雨はなぜああもリアルで残酷に描かれたのか。新技術の受け止め方のよさみ。Evan Call による音楽の素晴らしさなどなど……

ただあれほどの被害を受けた京都アニメーションが、このような「贖罪」の物語を作り上げたことに、心を震わさずにはいられない。シナリオはその前からあがっていただろうから、偶然なのではあろうけれども。

ともあれまずは見てもらいたい。劇場に足を運ぶのをためらう人には、まず前作の外伝から見るのも手だと思う。また、原作順でテレビシリーズの7話から見てみるのもよいだろう。アニメ版の7話、10話、11話、6話の順番で原作は収録されている。このへんは単体でいきなり見てもぜんぜん問題ない。

「手紙」で人と人との心をつなぐヴァイオレット・エヴァーガーデンの世界に、ぜひ足を踏み入れてもらいたい。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>