タイトルは表現の問題です。
日本維新の会 衆院選で長谷川豊氏を擁立へというニュースが流れ込んできてかなり驚いてる。長谷川豊氏といえば透析患者「殺せ」とブログで発言したことで物議をかもしたのだが、あくまでこれを「表現の問題」と捉えてる人が多いことにだ。
長谷川さんが、ブログで伝えたかったのは、健康であるための自己管理の重要性と増え続けつ医療費によって、国民皆保険制度の破綻を回避する事にありましたが、表現が不適切であり多くの人を傷つけました。人間誰しも間違いあります。維新の会は間違いを反省し再チャレンジする人は認めて参ります。
— 松井一郎 (@gogoichiro) 2017年2月5日
だが決してこれは表現の問題などではないし、長谷川豊氏は「間違いを反省」どころか何が間違いかも認識してはおられないのである。表現の問題でなければなんの問題だったのか。問題点は2つだ。
- 数字をろくにみてないこと
- 健康は個人の努力で実現できると思ってること
これからこの2つの何が問題かを書く。まずは以下を見ていただこう。
長谷川さんは、挨拶の段階で一方的に「不快な思いをさせた」という一点だけで謝って、一気にバーッと喋りだしました。謝罪したのに、時には私の話も遮りました。
だから、謝罪ではなく主張するためにきているのがすぐにわかったので、一通り、長谷川さんがどうしてあんな意味不明な主張をしているのかを、世の中の人に知っていただこうと思いました。 「長谷川豊さんになぜ強く反論しなかったのか」対談した腎臓病の女性患者が疑問の声に答える
長谷川氏と対談したある腎臓病患者の記事である。その対談記事はこちらだ。
長谷川:まず、経緯を話しますと、新聞で日本の総額の医療費の速報値(2015年度)が40兆円を超えてしまった、さらにこの1年間だけで1.5兆円増えてしまったという数字を見て、愕然としまして、このままでは普通に考えれば医療費が増えて行くし、すごく努力をしても多分現状維持。これはなんとか現状を変えなければいけないと。
野上:それは考えなければいけない点ではあると思います。
長谷川: 医療費の中でも透析医療は非常に高い。それで取材を始めました。
まずここが間違いである。人工透析は1人あたり月に40万円ほどかかるのだが、透析患者数は32万448人である。つまりおおよそ年間1億5千万円ほどの医療費が使われてることになる。日本で国が負担してる医療費はおよそ40兆円である。1%にも満たないわずかな部分を「中でも非常に高い」と言えるだろうか。計算間違えてた。1兆5000億円くらいですね。やけに少ないと思ったら40万を40として計算しちゃってた。どのみち本当にごく一部の話なのは間違いない。おまけに税金で負担してる分はそのうち16兆円である。残りは保険料と患者の自己負担だ。
長谷川:以前、(スポーツジムの)ライザップの社長さんと対談したときに「人間は100%健康になれる」と言い切るんですね。絶対出来るんだと。それで、病院の先生方も「完璧に僕たちのことを聞いて完璧で言った通りの生活をして薬を飲んで食事制限、運動療法をやったら透析までは本当にいかないんだよ」というのを力説されるんです。
これも嘘である。医療はそんな完璧に人間を理解してはいないし、医師も完璧ではない。誤診など起きないと言い切れる人は詐欺師だ。
健康というのは存外複雑な事情で成立してるのである。子供の頃の過ごし方や生まれつきの体質、様々な要因が絡み合って成立するものだ。例えば子供の運動量にしても、今は都市部のほう明らかに高い。なぜかといえば都市部で生活してる親は収入も高く、スポーツクラブなどに子供を入れる余裕があるからだ。郊外から1〜2時間の通勤を強いられるような人々や地方在住者にはなかなかできないことである。
よく言われることだが肥満は低所得者層のほうが多い。日々食べるものの選択肢が狭く、下手をすれば揚げ物と米でなんとかその日をやり過ごす日々が続いたりするからだ。時間や余裕のある高所得者層は手間を掛けて野菜を調理する技術や道具や知識を手に入れることができるが、それすらままならないのが低所得者層だったりする。
「カップラーメンを高いといえるような自炊能力は、既に文化資本なのですよ」という発言が出てくるが、そもそも健康的な食生活を得るというのは知識、道具、時間のあらゆる面で難度が高い。特に習慣に結びついてるので親から受け継いだ不健康な生活から脱却するのは存外難しい。そうでなくてもブルーカラーからホワイトカラーへの業種転換が多いこの時代、やはり食習慣の転換も必要になり、これが存外難度が高いのである。
つまるところ「健康格差」というのはそのまま経済格差の問題でもあるのだ。
実は俺も職人の家に生まれた人間であり、体を動かす職人の食生活を強いられていた。味が濃くて油も豊富なもので米をたくさん食べる。これは屋外作業で汗を流す人々には必要な食生活だが、「忙しければ忙しいほど太る」ようなデスクワーク従事者がやれば健康を害してしまう。考えてみれば当たり前なのだが、親から受け継いだ食習慣から脱却するというのはかなり難しい。たくさん食べてたくさん働くのがよいとされる文化圏で育つと、どうしても少食は悪いことという意識から抜け出すのも難しい。
そして重要なのはこれらのことを「病気になるかどうか」で考えたとき、あくまで「確率の問題」でしかないということだ。
ウォーレン・パフェット氏のように毎日マクドナルドと大量のコーラで過ごしてても健康を維持できる人がいることを見ても分かる通り、健康に良い悪いというのはあくまで統計的に病気になる確率があがるかさがるかというだけの話でしかない。そして病気になる確率が上がるというだけならポテトチップスも発癌の確率をあげてしまうのである。
東日本大震災のときには放射能汚染の不安が広がった。そのときに言われていたのは「不安が強いようなら自主避難したほうがいい」という話だった。ようは不安によるストレスは健康を害する確率をあげてしまうわけだ。反面、避難生活によるストレスも健康を害する確率をあげてしまう。どちらもストレスで健康を害するのは一緒だが、個々人の不安の感じ方、避難先での生活のストレス度合いはやはり人それぞれだ。統計的にこうだから必ずこうなるというわけではもちろんないのである。
ちなみに俺は健康によくて大好物である生トマトを毎朝食べていたらトマトアレルギーを発症した。だいたい四分の一玉くらいだったので食べ過ぎということもないはず。健康なんてそんなもんなのである。
健康的な習慣、病気になりにくい習慣というのはある。だがそれはライフスタイルの画一化を招いたり、多様性を否定するものであってはいけない。上で説明したように、ブルーカラーとホワイトカラーではそもそも理想的な食習慣すら違うのである。
長谷川豊氏は小泉進次郎と同じく健康ゴールド免許を提案している。健康格差が経済格差に結びついてることを考えれば、これは格差をさらに拡大してしまうアイデアだ。こういう人間を政治家にしてしまえば本当に日本は格差が広がり滅んでしまうかもしれない。維新の党も自民党も彼らを擁立する以上はそうした格差拡大に寄与する意志があるとみなしてもよいだろう。
健康に対するインセンティブを高めるというアイデアは悪くない。だが不健康な生活はそれこそ「健康よりも大事なもの」だと思われてるものに優先されてしまう。
たとえば仕事だ。新入社員の自殺で批判を浴びてる電通の労働体制であるが、そもそも昼夜を問わず働いてたら健康を害するのは当たり前である。自殺というショッキングな死に方をしたから話題にはなったが、電通社員の病死はもっと多いはずだ。もちろんそれまでには医療費がたんまり使われてるわけである。
だがああいう人々は自分の健康や命などより仕事を優先する。電通一社だけの問題ではない。毎日残業をしてる企業の社員はその多くが40歳前後で何かしら健康を害してるはずだ。そうでなくても風邪にかかったまま出社して街や社内にウィルスをバラまく人は大変多い。それらの多くこそが医療費を増加させているのである。
もちろん医療費の増大は問題だ。だが個々人の努力に解決を求めるのは無理がある。せいぜい運動を奨励するくらいのことではあるが、それもやりすぎれば健康を害する。ジョギング中に心臓が止まる人のなんと多いことか。
だが可能性がないわけではない。ほんの数十年前まで、我々日本人は1食に2合の米を食べていた。旧帝国軍の配給を見てもそうだし、「粗食」として捉えられてる宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」にも「1日に玄米を4合」という一節がある。健康意識を高め、正しい情報をバラまくことで、人は習慣を変えられるのである。
一部上場企業がエセ健康情報だらけのページを量産してたりする現代日本ではなかなか難しいことではあるが、正しい情報でよりより未来を作り上げていくことはきっとできると信じている。
だからまずは長谷川豊氏と日本維新の会はきっちり燃やし尽さねばなるまい。もちろんここまで書いてきたことを理解して反省したというなら、新しいチャレンジを諸手を挙げて大歓迎するのではあるが。