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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

漫画とアニメの動き表現が違うということも知るべき

どうやら「安彦良和は動きがかけない」と言われたという話が盛り上がってて内容的にも漫画好きの俺としてはたいへん気になるものだった。安彦良和氏は美麗な絵を描くイラストレーターであり、アニメーターでもある。彼に動きがかけないと言うのはたいへんな勇気がいる話であろう。

実際のところ、漫画家としての安彦良和氏に動きが書けているかどうかについてここで論評するつもりはない。俺はただのオタクであるし、プロの仕事にそうケチをつけるものではないからだ。ただ、漫画とアニメは動き表現が違う。そのことだけはわかっているつもりである。俺の分かる範囲で申し訳ないが、ちょっとこのもやもやを吐き出させてもらおう。

ひとつの絵としての動き表現については以下の記事が大変詳しい。

写真のシャッタースピードの観点から絵の動き表現を解説してくださったもので、その詳細さはたいへんすばらしい。絵の動き表現について考えるときにはいつでも参考にしたい記事である。

ただ、1枚の絵としての動き表現としてはこれでいいのだが、漫画というのは1枚絵で完成するものではない。2枚、3枚と絵を重ねて動きを表現することも珍しくないし、そもそも動きのある絵としておかしい表現も成立するのである。

事例を一つ見てみよう。

アオイホノオ 12 P95 より

島本和彦の自伝的漫画「アオイホノオ」で主人公が車田正美の「リングにかけろ」の必殺パンチがパンチの動作として成立してないことに気づくシーンである。このような疑問は車田正美の作品を読んだことのある人なら一度は持ったことがあるだろう。他にも有名な「聖闘士星矢」のペガサス流星拳など、武道をやったことのある人なら手だけで撃ってるようにしか見えなくてだいぶ不自然に感じたと思う。

だがこれはこれでいいのである。「なにがどうしてこうなったかわからない」からこその必殺パンチであり、これぞマンガ表現の一つといえるだろう。

これでは納得出来ない人もいるだろうから、もう一つ事例をあげよう。アニメも漫画も同じようにカメラワークが存在しどこの視点で見るかというのがたいへん重要である。

孫引きになって申し訳ないのだが、以前イマジナリーラインの議論が起こった時に引用されていた「ドラゴンボール10巻」のこの箇所はたいへんよい事例だと思う。第22回天下一武道会の予選で孫悟空とチャパ王が対戦するシーンである。

ドラゴンボールの左と右と読みやすさの秘密 - ニカイドウレンジ公式ブログ

2コマ目の足払いのアクションと3コマ目のひっくり返っているシーン、カメラの位置は反対側になっている。引用元の記事では「時間順」として正しく描かれていると指摘しているが、それに加えて立ち位置が入れ替わってることで両者が「回転」したことを実に見事に表現していると言える。

ちなみにこのシーン、アニメでは86話「決定!!8人の勇者たち」の前半で描かれているのだが、やはり3コマ目のカメラ位置のまま蹴ってひっくり返るまでを表現し、その後悟空の顔をアップにしてセリフ、という演出であった。

これは当然の変更で、実際に絵を動かすアニメではアクション自体も「回転」も動かして表現できる。わざわざカメラ位置を変更する必要はないのである。

このドラゴンボールの事例一つ見ても、漫画では「1枚の絵」で動きを表現しているだけでは足りないことがお分かりいただけるだろう。動きの要因となる「アクション」が描かれる2コマ目と動きの結果である3コマ目があるからこそ、足払いをして体制を立て直す悟空とひっくり返るチャパ王とが表現できている。これを1枚の絵で表現するのは困難だし、かといって詳細に描こうと思うと3〜4コマは必要になる。これを2コマで綺麗に表現してる鳥山明の技量はたいへんすばらしいものだ。

引用元の記事でも指摘されてるように、漫画には読む順番がありその時間軸にそってアクションを描いていかなければならない。全体の流れの中でどの時点をどのカメラ位置で切り出し、それをどのように表現するかというだけでは漫画の動き表現としては足りないのである。

こうした表現ができてる漫画とできてない漫画は確かに存在するし、それが読みやすさとして現れているのは間違いない。俺のような素人がこうしたことを語るのは限界があるし、世の漫画評論家の方々には社会や時代における作品の位置付けなどより、こうした技法についての評論をお願いしたいものである。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>