どうも世の中では文系と理系を間違って区別してる人たちが多いようである。そのせいか教育現場などでも「数学のできる子は理系」みたいな誤った進路指導がされてるという話も聞くし、理系は頭が良くて文系は頭が悪いみたいな印象を持ってる人もいらっしゃるようである。
こうした考えは間違いだという事をもう一度確認しておいたほうがいい。
学問における文系と理系の違いは、その研究対象である。
文系とは、主に人間の活動を研究の対象とする学問の系統とされており、理系とは、主に自然界を研究の対象とする学問の系統とされている。
文系と理系 - Wikipedia
言うなれば、
- 「人間とは何か」という問いに答えるのが文系
- 「世界とは何か」という問いに答えるのが理系
ということである。
これらの問いに答えるのにどちらかにしか数学は必要ないと考えてしまうのはおかしいだろう。ましてや人間に関する研究は医学からのフィードバックもあり、ずいぶんと科学的な研究もたくさんあるのだ。また人間の経済活動を分析する経済学に数学は欠かせないし、人間の内面を研究する心理学は統計の塊である。
さらに言えば、現代は数学の時代と言ってもいい。「世界は数学でできている」と言った人がいたそうだが、実際に数学というツールを使って世界を観測・推測すると見事に説明できるものがたくさんある。そのことに気付いた人類が自然科学を発展させ、現代文明を作り上げてきたのは確かなことだ。そうした科学の手法は社会科学などで人間研究にも応用されるようになってきた。
人間というのは不思議なもので、個々人の動きというのはそう予想できるものではないのだが、これが集団になるとほぼ予想が可能になる。ある個人がどういう行動に出るか、というのを予想するのは難しいが、ある集団のうち何%がこういう行動に出る、というような予想はかなり正確にできるそうだ。
こうして考えてみると、そもそも文系と理系を明確に分けて考えることが難しいことも見えてくるだろう。たとえば人工知能の研究ははたして理系だろうか、文系だろうか。人型ロボットはどうか。
学問というのはその境目も曖昧である。古代ギリシアでは学問は3系統しかなかった。哲学、医学、法学である。中世に入りここに神学が加わったが、その後は自然科学の発達もあり、膨大な知識が再編成されたくさんの学問が分化して現在に至る。専業化が進んだとも言える。医学が科学の進歩によって飛躍的に人類の平均寿命を伸ばしたように、各分野はお互いに影響を与え合うし、明確なボーダーというのがそこにあるわけではないのだ。
文理両道はこの曖昧なボーダーを飛び越えて広範囲に膨大な知識を見なくてはならないのでとてもたいへんではあるのだが、現代のジェネラリストというのはそういうものだろう。
人類が積み重ねてきた知識というのは膨大だ。それをすべて吸収しようというのでは人間の寿命がいくつあっても足りない。どこかの分野に特化して身につけるしかない。そこで文系か理系かというのはあまりにも大雑把である。
大学側もあまり変な学部を作って子供たちを惑わせず、どういう学問でどういうことが学べるのかというのをもう少しちゃんと示してほしいなと思う。