ちょっと縦に並べたら資料と動画を同時に見やすいかなと思ってやってみた。反省はしてない。(聴講ノートとまとめを追記した)
(あとでなんか書く) → 書いた
聴講ノート
- 昔は圧倒的な物不足。勤勉労働が美徳だったのは働いてなかった事の裏からの証明
- 18世紀の化石燃料の動力転換から物不足から物過剰へとシフト
- 金融資本が入って来て経済成長することが前提になった(金貸したら多くなって帰ってこないといけないから)
- 余った物の処分法
- 流行を作って在庫の価値をゼロにしてしまう
- 大災害・戦争で使い切る
- 日本の場合は流行創出が効きすぎた(広告・マスコミが強かった?)
- マーケティング・ブランディング・マスコミに労働力が移動
- 不景気による家計の逼迫
- 土地バブルから崩壊まで → 不動産・建築・金融への労働力吸収
- ネットバブルから崩壊まで → IT関連への労働力吸収
- 金融バブルから崩壊まで → 金融投資への労働力吸収
- 崩壊によって労働力が排出されて次のバブルが吸収してきた
- インターネットによる効率化
- 我々にとっての自然環境は農村ではなく、生まれた環境
- ベーカー街や磯野家のようなメディアを通じた自然イメージが「俺たちにとっての自然」(妄想化された自然)
- ニートのように働かないでネットで消費財ストックをやりくりしながら妄想で満足して暮らすのは自然な生き方ではないか?
聴講ノート本題篇
昔から人はロクに働いてない
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- 領民搾取してたらもたないよ → 実際には適度に残してたはず
- 言い方を変えると必要最小限しか働いてない。ナチュラルでしょ
ギリシア人の理想
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- 人間性を支えるシステム。都市によって人間的生活が完成する
- 人間らしい生き方
- 餓えない程度にごはんたべれて思索や芸術をたのしむ
- ギリシア時代でこれをやると奴隷が必要になった
- 実現に必要なものはポリティア(政治)とオイコス(経済・家政)と奴隷
- オイコスができるヒトが市民
- 皿あらってるときや畑を耕してるときに哲学はできない → 人間らしくあるためにはできるだけ働かないこと
- 奴隷も必要最小限、オイコスを実現する範囲で働いてた?
中世はカソリック的 労働=懲罰
- できるだけ働かないことがいいこと
- 神様のものは立派なものを作るけど人民は竪穴式住居みたいなもん → 最小限しか働かない証
- 壁を埋めて出られないようにして食べ物だけ入れてもらって信仰してる人もいた → ひきこもり?
- 職人も働いてない
- 1/3くらいしか働いてない
- (日)ミサで仕事しない、夜は飲み喰い。(月)二日酔いで休み、(火)仕事、(水)なんとかの天使のお祭りだから休み、(木) なんとかの聖人の祭りだから休み (金)仕事、(土)あしたミサだから休み
- 農民もいっぱい作ると領主にもってかれるからあんまり働かない
- 仕事せず放浪してるひともいっぱいいた
- 王様や偉人や貴族中心の歴史観が労働観をゆがませてる?
近世、労働=救済と言いだした(カルヴァニズム)
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- 一心に労働することは信仰の証
- 労働の自己目的化が始まる
- もともと勤勉で真面目な人たちが自分たちのほうが救われると思ったんじゃね?
産業革命
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- 勤勉な人マニアックな人が機械を作り動かした
- 元々勤勉な人が機械の力でブーストされてすげえ働いた
- 「一心に働く」のが無理な貴族や職人や僧侶などなどはまけぐみ。朝8時に工場来るのがそもそも無理
- 「より楽な生活を求めるのが強欲」という観念があったっぽい
- 誰かに使われるのではなく自然とともに一人で暮らしていけるのがヨイという価値
- 「エコでロハスな生活したいからラスベガスで一発当てるぜ」という感覚のビジネス
- 金を儲けて(経済的独立)をはたして 信仰・芸術・自然・政治に関心を持つのがカッコイイ。
- 禁欲 = 生きるために最小限の労働しかするべきではない
- 人のために働くのではなく自分のために最小限の労働をして生きるのが禁欲
- 禁欲は余計なことをしないということ
ニート・ヒキコモリ
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- 働かないのが悪なのは経済成長を前提とした産業論理
- 必要最小限しか働くべきではないという禁欲倫理はまだある
- キリスト教徒ってイエス様萌えとかマリア様萌えじゃね?
- 仏教徒って仏像萌えとか観音様萌えとかじゃね?
- フィギュア萌えと仏像萌えと何が違うのか?(そういえばみうらじゅんも仏像はフィギュアだとか言ってたような気が)
- (これって80年代90年代に流行した「仕事はテキトーに遊んで暮らそうよ」的価値観? 当時の「遊んで暮らす」はコストが高かったのが失敗だったのか? 禁欲倫理がプラスされないとだめ?)
- 政治は自分たちの正当性を確保すること
- 自己責任論が強いからニート・ひきこもりも自己責任にされてセーフティネットを作るのが難しい。政治力でどうにかならんか?
- コミケでエロ漫画買う人はけっこう禁欲。性欲を一人で解消するのは禁欲に合致
新貴族主義
- 過剰ストックにより過剰労働から解放された人々は貴族
- 意外と修行層多い 国土の1/3くらい使って修行僧わらわらいたらしいよ(イギリス?)
- 古代ギリシアのキュニコス派の禁欲は欲望からの自由。でも人前で自慰してた。女性もいないのに満足できてすばらしいとかいってたらしい。
- 禁欲とは余計なことをしない、多くを求めないということ
- 中世各宗教の修道はひきこもりニートっぽい
- ビルデガルドは究極ひきこもり電波、中世をリードした
- フランチェスコは浮浪者のリーダー。社会的に排除されたひとをまとめた
- 東洋的世捨
- 学者とかも不細工で電波なのが多い
- オイコスに邁進していざというときにポリティア
- 労働拘束された人にポリティア無理でしょ
- ニート・ひきこもりのほうが普通の労働者より有利なはず
俺的まとめ
つまるところニートやひきこもりは、今ある余剰消費財を食い潰して働かず生きていっていいし、そうあるべきだということかな。
問題はそれを実現するためにどうしたらいいか、ということか。
ひきこもってニートしながら政治や思想ができる環境を作れればいいんだよな。で、そのために今の社会状況ではお金がどうしても必要になる。ヤフオクでポイントにしてボイントで売買してもいいんじゃねとか言ってたけど、だったら銀行口座のポイントでもいいよなあ。
で、思うんだがこれって新しい仕事の創出でとりあえず解決できねえかな。つまり余剰消費財を適切に消費する仕事。
今だとフリーマーケットやネットオークションくらいでしかやり取りできないけども、これをもっと効率化して全国的にやれたらいいんじゃないだろうか。
また、政治や思想や芸術の活動の場をネットに提供する(ブログ、ニコニコ動画などなど)ことで、そこから利益を得られるようにする。
これで最小限の金銭と余剰物資を使って生活を成り立たせることは可能にならないだろうか。
そういえば90年代のウェブで有名だったサイトに、物乞をしてるサイトがあった。サイトオーナーはホームレスらしいのだが、とにかくなんでもいいから物をくれといって物をもらっていた。
物乞というと聞こえは悪いが、そういう物のやり取りがあってもいいんじゃないだろうか。友達同士で「誰かいらなくなったルータとか持ってねえ?」「あー、うちで1個余ってるからあげるよ」というやりとりは割とあると思うのだが、これをネットを媒介することによって大規模にやれないだろうか。
中にはそれを転売してお金にする人もいるかもしれない。それはそれでいいじゃないか。
問題は送料の解決かなあ。いい方法ないかしら。お金払ってでももってってもらいたいものを欲しがる人もいるかもしれないけどさ。送料分くらいは負担してやるぜみたいな。
そういう過剰消費財をうまく消費してくれる存在がある程度増えることによって、経済も安定するかもしれない。ベーシックインカムなんかよりずっと実現性高そうな気がする。