コンテンツはいかにして円盤からはがされたのか?という記事からトラックバックを頂いた。有名人からのトラックバックなんて浮かれちゃいますよ?
言及先であるアニメ屋も映画屋も売ってるのはただの円盤だよという記事で俺が言いたかったのは、どちらかというとメディアの寿命について売る側も買う側も無頓着すぎやしないか、という話なんだが、まあそれはいずれ改めて書き直そう。
で、言及元。
著作権関係でよく言われるのが、消費者が買ったのはDVDやCDではなく、その中に収録されてるコンテンツを視聴する権利なのだ、という話。
まずこれが錯誤。
コンテンツはいかにして円盤からはがされたのか? - ビジネスから1000000光年
錯誤といえば錯誤だと思うが、どちらかというとこれはソフトウェア方面、ビル・ゲイツ商法からの流入ではないだろうか?
アプリケーションソフトウェア、特に当時のOSというのはコピーして使うものだったから、コピープロテクトをかけるわけにはいかなかったんだよな。フロッピーディスクを初期化する際、FORMATコマンドに/sオプションを付けて実行するとOSがコピーされる。するとそのディスクでパソコンを起動できるようになるんで、アプリケーションはその後に自動起動する設定を書き込む、という感じの利用のされ方をしていた。
で、そのへんから「使用する権利」とか言いだしたんじゃなかったっけっか?
ま、このへんは本題ではないので事情通に任せる。
で、肝心の本題。
「円盤」からはがれてネット上に放り出されたコンテンツは、事実上タダで出回ってしまっている。
(中略)
いまの10代〜20歳前後、物心ついたころにはmp3がすっかり普及していて、中学校の情報処理の授業で「学校のパソコンから2chを見ないように」と注意されながらケータイで2chを見ていたような世代こそが、新たな世界に最初から適応して新たなルールを作っていくのだろう。もしかしたらそれは、そもそもコンテンツに金など払わないという悲劇的なものになるかもしれないけれども。
我々はすでに、旧時代からの生き残りである。彼らに対してはせいぜい「お手柔らかに」としか言えないような気がする。
コンテンツはいかにして円盤からはがされたのか? - ビジネスから1000000光年
これはこちらの記事へのコメントとして書かれている。
でも、じゃあ、あなたはオンデマンドTVみたいなものを利用しますかと問われると、利用しないなぁ。
R行軍記 : なぜコンテンツにお金を払う気にならないのだろう
料金や条件がどうとかいう以前に、興味すら抱いたことがない。
なんでだろう。
DVDはレンタルするくせに、そういうのは「金払ってまで観たくねぇ」と思ってしまう不思議。
これは明らかに「所有」という認識の問題だ。
DVDという物質を持っている人(この場合はレンタルビデオショップ)から「借りる」という行為は、物理的な制約がある。その制約があるから「ショップが所有」し「自分が借りる」という行為に理解をもたらしている。
対してオンデマンドTVはどうだろうか。意外と多くのオンデマンド映像サービスは、所有者を明らかにしていない。いや、copyright表示はあるけど、そんな表示で人間は「所有」を認識できない。一度理性を通し社会のルールを理解してはじめてそれが「所有」であることを認識する。体感的な「所有」ではない。
しかしこれはオンデマンドTVがDVDなどの物質を持たないからではない。
たとえばパソコンのファイラ(Windowsならエクスプローラ、MacならFinder)を開いてみるといい。そこには自分が作ったファイルや、「人にもらったファイル」があるはずだ。そのファイルをあなたは自分が「所有」していると認識しているはずだ。
HDDに保存されてて、好きなときに読み出せる。それはオンデマンドTVもパソコンにあるファイルも同じではないのか? 違いがあるとしても読み出せる期間の長さだけではないのか? じゃあ永久に読み出せるならオンデマンドTVも「所有」してると認識できるか? おそらく感覚的にそう認識できる人はいないだろう。
その違いは、デザインにある。
例えば最近のケータイ小説やケータイ漫画などでは、「マイ本棚」という機能がある。購入した小説や漫画が、マイ本棚にリストアップされているのである。
実はこんな画面一つあるだけで、人間は「所有」してるという感覚を持ち得る。
動画には「本棚」のようにはっきりその用途まで含めてユーザーに連想させるだけの威力のある言葉が無いから難しいが、そういう言葉の選び方、見た目などなどで、ユーザーに「所有」の感覚、あるいは「借りてる」感覚を与えることは可能なはずだ。
そういう所有感覚を使うのであれば、「視聴期間1週間 残り3日」と表示するなら「返却日2月5日 残り3日」と表示したほうがユーザーの抵抗感は薄れるんじゃないだろうか。
あるいはレンタルビデオのメタファが難しければ、シアターのメタファを使うという手もある。有効期限付きの「チケット」を売り、「スクリーン」に「入場」してストリーミングを見てもらう。
たぶんそのままじゃうまくいかないだろうけど、そういうデザインの違いだけで支払いに納得感をもたらすことは充分可能だと俺は考えている。
これは見た目でだますとかそういう話じゃない。手に取って触れないものだからこそ、その価値が理解しにくいというだけのことだ。今の有料動画サイトの多くは、河原で石を売ってるようなモデルなんだと思う。この石はそっちの石よりきれいに磨かれてるから欲しければお金払ってねといっても、じゃあタダのほうでいいや、同じくらいきれいなのあるかもだし、と思われるだけだろう。
しかしちゃんと店を建ててショーウィンドウに入れて値段を付けてみれば、それは「売りもの」と認識されて売れるようになるはずだ。そのとき人はそれが宝石であることに気付くだろう。
正しい価値は正しいモデルをユーザーに見せることで、初めて伝わるのだと俺は思うのだ。