テレビがつまらなくなった理由という記事をこないだ読んだ。まあ書いてあることはそこらでさんざん言われてることであって、それをテレビ局内の人物が認識した、ということが目新しい。
一応簡単にまとめてみると、
- 視聴率を取ることを目的に番組を作るようになった
- 問題をおこさないことが重要視されるようになった
- お金をかけられなくなった
経営者の立場になって考えれば、そりゃあコストもかけず売上があがり問題も起きないなら万々歳である。こういったことを現場に押しつけた結果、「ハズさないように作る」ことが常態化していったようだ。
しかし本来これは現場ではなく、経営者の仕事だろう。
問題を起こすなという割にあいかわらず定期的に血液型性格判断の番組が出てきては炎上してるし、専門的なニュースに監修をつけてる気配もない。経営としてそういう仕組みを組み込んでない証ではないか。現場といっても一ヶ所というわけじゃないだろうし、こういったことが共有されてなければ何度でも間違いは起きるだろう。
「ハズさない」ことを目標に作ればそりゃ保守的になって当然だし、保守的になればおもしろさは消えていくのも当然だろう。むしろ民法よりNHKあたりのほうがネットとの連動を試したりと挑戦的だったりするのが不思議な印象さえ受ける。
ちょうど東洋経済のサイトに、ヒットゲームを出した企業のインタビューがあった。
――パズドラがヒットした理由は?
運ですね。これをやったから上手くいったんじゃないかという分析は、正直くだらない。僕たちが作っているゲームは妥協せず、すべて魂を込めて作っています。
「パズドラ」大ヒットの真相 | インタビュー | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
(中略)
いいゲームを出すというノウハウは、家庭用ゲーム機やPCオンラインゲームで培ってきました。例えばタッチパネル型の家庭用ゲーム機向けにソフトを作る場合、コントローラーがあるときと同じ操作性を維持しなければなりません。僕たちのプログラマーは、そうした実直なモノづくりをしてきた実績があります。職人とも言える、優秀なプログラマーがいたからこそ、パズドラが生まれました。
結局のところ、おもしろいものを作れるかどうかは何がおもしろいかを知ってるかという属人的な部分なのだろう。「おもしろさ」という指標は属人性を排除できるほどには分解されてない。だからこそ今でも任天堂が強いし、漫画家や芸人の世界は徒弟制度的なのだろう。
またおもしろさというのは時代によって変わる部分もある。去年おもしろかったけど今年はぜんぜんおもしろくないという現象はよくあって、そこには飽きもあるしタイミングもある。いわゆる「一発屋」はこうして生まれては消えていく。
そうではない部分、おもしろさの根幹になるような、たとえば引用した記事でいうなら操作性であるとか、そういう部分を大事に育てていくことは本当に重要だろうなと思う。こういうところはなかなか属人性を排せないだろうし、人材を大事にした企業でなければ作り込めないだろう。
もうひとつ大事なことがある。
当時流行っているカードバトルゲームをゲームと言っていいのかと考えたときに、達成する喜びや感動を与えるゲームを作りたいと考え、パズドラの開発に当たりました。そうした思想哲学をベースに、山本とああしよう、こうしようと言い合って、現在の形になりました。
「パズドラ」大ヒットの真相 | インタビュー | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
このインタビューをどこまで鵜呑みにしていいのかは別として、ここに制作の「目標」が掲げられている。「達成する喜びや感動」。「視聴率を取る」でも「お金がもうかる」でもない。
マネジメントの父ドラッカーは「利益は目的ではなく、制約事項だ」と言っている。企業活動とは利益を目的とするのではなく、なんらかの成果をあげるためにおこなうものであって、利益はその条件にすぎないというわけだ。
これを念頭に冒頭の記事を読むと、テレビ業界の目的と制約が入れ代わってることに気付く。テレビを始めマスコミュニケーションの目的は情報の伝達や娯楽の提供である。利益(視聴率)をあげることを目的に、情報の伝達という制約事項の中で活動している。
もちろんこれらが入れ代わらず制作されてる番組も少なくない。日本のテレビ番組に長寿番組が多いのは、そういった番組の制作が「新規」に行われないからだろう。
我々は効率を求めがちだ。すぐ役立つものを求めがちだ。ウェブにはさっと読めるライフハックや自己啓発の記事が溢れてる。そういったものがよく「売れる」からだろう。
じっさいのところ、教養をたくわえたところで、日々の暮らしやとくに仕事にすぐに直接的に役立つことはないだろう。すぐにどころか、役に立つ場面なんて最後の最後まで訪れないことも多いにちがいない。
(前略)おもにコミュニケーション課題の解決において、ここいちばん踏んばれるのは、おそらく過去に文学で読んだ「思考のパターン」や思想家が考えた「構造化の手法」が土台として効いているのではないか、と思えることも増えてきた。(中略)効いているか効いていないかわからない、でも少しずつは物ごとの見方と考え方が変化しているような気がする。きっと、リベラル・アーツを学ぶというのはそういうことなのだろう。
そして、なにより重要なのは、
「「リベラル・アーツ」は、自由市民の技芸だ。人に雇われてお金を得るための技術ではない(P246)」
ことだろう。
◎『考える生き方』(finalvent)、なぜ、「リベラル・アーツ」なのか。 - 考えるための道具箱
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考える生き方という本のレビュー記事だが、重要なことが書いてある。
効率や利益を求めてしまうのは、懐事情としてはわかる。だが研究開発を行わなくなった企業はいずれ廃れるのと同じことで、教養を身につける活動を行わなくなった人間はいずれものの見え方が固定化されてしまう。
第二次世界大戦で日本が負けた要因の一つは、開発が足らなかったことだそうだ。零戦や大艦巨砲の戦艦に自信を持ちすぎた。そうこうしてるうちに零戦の届かない高度を飛ぶ戦闘機や爆撃機が開発され、東京への空襲を許してしまう。それによって一晩に10万人もの命が失われた。
- 作者: 山辺昌彦,NHKスペシャル取材班
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こちらの東京大空襲写真集には倒壊・消失した街から焼け焦げたご遺体まで写されており、たいへんな衝撃を受けた。
また年に一度は訪れることにしてるカンボジアでは、教養人たちがことごとく虐殺されるという悲しい事件があった。いまも首都プノンペンでは老人の姿を見かけることがほとんどないし、博物館にはどこにでもあるようなものしかない。そこからカンボジアという国が復活するのは、とても大変な道程であろう。
研究開発や教養の停滞は、多くの悲しみをも引き起こすのである。
利益も効率も大事なことだし、ないがしろにしていいわけじゃない。だが10年後20年後の自分や家族、100年後200年後の母国へと思いを馳せることを、やめてはいけない。歴史がそれを教えてくれてるし、テレビという業界の凋落を目の当たりにしてる我々は、そこから学ぶことが出来るはずだ。