例によってバグが見付からなくてしょぼくれつつはてブを眺めていたところ、ついったー事件簿 @gyaro_ti vs @tsuda 木曜深夜の対決という記事が目に止まった。
どうやらジャーナリストの津田大介さんのtwitter発言に文句を言った人が、本人から反論を食らって慌てて逃げ出したという顛末らしい。
当の本人のブログにはこう書いてあった。
17:18 追記
twitterのことは - gyaro-tiの日記
はてぶでもさんざん言われてますが、感覚はテレビに出てる人に文句言ってる感覚でした。
RTとReplyは全然別物、という認識(これも自分の勝手な認識でした)で、RT=ただの引用、という認識でしかなく、本人に直接届ける気は全く無かったです。
フォロワーされてる数が多いからRTで名前出されても本人に届かないと思いました(これも自分の勝手な思い込みです)。
「有名人は俺なんか見てないから何言ってもOK」という思い込みは何によってつちかわれたのだろうか。やはりテレビなのだろうか?
いや、そういう感覚を責めようというのが今回の趣旨ではない。もちろんそういう感覚はネットでは損なのでどうにかしたほうがいいよとは思うけど、そういう話じゃない。
俺が一連の騒動を見て思い出したのは、一部の人たちに散見されたオウム真理教に対する態度だ。
オウム真理教が地下鉄サリン事件というテロ行為を引き起こしたカルト教団である、という認識は割と若い子でも持っていると思う。で、どうもそこから「悪の教義に染まった異質な人物たち」という認識を持つようなのだよな。
でも実際にはオウム真理教の信者たちも、その大半は我々と変わらない普通の人たちだったりする。
俺が仲良くさせてもらってる友達の中には、いくつかの世間的にはカルト教団として認識されてるような新興宗教の信者も何人かいたりするが、彼らも割と普通の人。いや、俺と友達付き合いするくらいだから、どこかネジが飛んでるというかなんというか面白い連中ではあるのだが、別に思想面で衝突することもなければ勧誘されたりすることもない。
どうも有名人だとか犯罪者だとかを、違う世界の住人のように捉えてしまう現象があるようだ。
実際には有名だとかいったって最初から有名だった人なんてほとんどいなくて、たまたまなにかがあってその人にスポットライトが当たっただけ。彼らだって普通の人。
犯罪者だとか言ったって、たまたま貧乏で何かやっちゃったとかいうのが大半だし、宗教が絡んだ殺人だっていったってそんなの数世紀前はみんながやってたわけよね、十字軍のように。
日本だって僧兵なんてのがいたわけで。小競り合いレベルだと思ったが宗教戦争が日本に無かったわけじゃない。日本人は無宗教で死んだら寺に行くくせにクリスマス祝ったりするとかいうけど、仏教国のタイだってクリスマスは派手にやるってよ。楽しいから遊びに行こうぜってこないだ言われたわ。
宗教じゃないけど、2chなんか見てるとあいつらそのうち在日コリアンの虐殺でも始めるんじゃないかとひやひやもんだしなあ。なんちゃら憎しの行きつく先はそこだってみんな分かってるんだろうか。
有名人も犯罪者も、自分たちがいるこの世界の住人で、我々と同じ人間なんだよね。だから自分たちがうっかり有名人になったり犯罪者になったりすることだって、もしかしたらあるかもしれない。「え、これダメだったの?」で逮捕される人だっていれば、ムードに飲まれて残虐な事件に加担してしまう人だっている。自分が絶対そうならないなんて誰が言えるのか。
「自分たちはあくまで視聴者」「舞台にあがってる人物とは別の存在」
そんな間違った感覚がきっとあるのだろうと思う。だから平気で人格まで叩いたり出来るし、自分が舞台に立たされることをまったく想像もせずに放言できるのだろう。死刑反対派の議論がいまいち伝わらないのも、彼らが「自分が絞首台に立たされる」という事態をまったく想定してないからじゃないのか?
次の瞬間、舞台にあがるのは自分かもしれない。いやむしろ、自分がいるところが舞台になるかもしれない。一歩、いや半歩踏み出せば、注目を集めてしまうのは自分かもしれない。
そういう感覚はちゃんと伝えておかないといけないなあと思う。注目を集めてしまうことを恐れる必要が無いことも。
そして自分たちが実はうっかり犯罪を犯してしまったり、うっかり残虐な事をしてしまうような、か弱い存在なんだということも。