狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

人間は書かれてあることではなく、読み取りたいことを読む

はてなブックマーク界隈が新バージョンの公開ベータテストも始まって非常に賑やか。そんな中、はてな株式会社の取締役でもある梅田望夫さんのはてなブックマーカーたちへの批判とも取れるtwitter発言が同ユーザーの間で話題のようである。

はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。

Twitter / Mochio Umeda

これは恐らく以下の記事へのブックマークコメントのことだろう。

この記事は俺も読んでいて、ブックマークコメントもチェックしていた。紹介されてる本は404 Blog Not Foundでも紹介されている書籍で、日本語の寿命については俺も考えるところがあったので思わず注文した。

頭が良くなった気がするウェブ

ふと最近思い出したのだが、10代の頃だったか、田中芳樹の小説にハマったことがあった。銀河英雄伝説アルスラーン戦記等々、非常におもしろい小説だった。知略をめぐらし、政治も軍事も描かれる作品で、独特な視点も多かったように思う。

で、ある日はたと気付いたのだ。「田中芳樹を読み終わったあと、自分が頭良くなったような気がしている」ことに。

これは周囲の友達も同様だったようで、「ああ、確かに!!」と言ってもらえた覚えがある。

今は田中芳樹なんて目じゃないほど、ウェブには才能が溢れている。一人一人は田中芳樹にかなわないかもしれないが、その総量たるやいったい田中芳樹何人分、いや何百人分だろうと思うほどの才能に巡り合える。

そういった才能溢れる人々の文章に毎日のように触れていると、やはり「自分が頭良くなった気がする」状態が日常化してるのではないか、と思うときがある。

今の人間、特にネットを使いこなしてる人間にとって、知識というのは湯水の如くわいてくるものだ。毎日のようにブログを巡回し、紹介されてる本を読み、そこかしこで議論に参加していれば、新しい知識、新しい知見、レアな情報がわんさか手に入る。

頭良くなった気がしてもおかしくないんじゃないかと思う。

そういう状態になると、程度の差はあれ傲慢さが出る。昔からオタクの悪いところとして「本質とは関係無い枝葉にこだわる」というのがあるが、考えてみればオタクというのは人一倍本を読んで来たからオタクなわけで、今のウェブのようにたくさんの才能に触れてどんどん知識や知見をたくわえて来た人々だ。やっぱり頭良くなった気がしちゃうんじゃないだろうか。

ちょうどアニメ評論についての読み手の問題をあげてる記事があった。

ぼくの考えでは、アニメ批評がいまなぜ低調かといえば、知識があるひとがいないとか情熱があるひとがいないとか以前に、そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。具体的に言えば、一生懸命なにか考えて書いても、ちょっとした名前のミスとかなんとかで鬼の首でも取ったように非難する、そしてそれを「見識」だとカンチガイしている読者が多すぎるからです(これは、山本さんも同じことを「妄想ノオト」の出張版で書いていますね)。

東浩紀の渦状言論: 山本寛氏と対談(追記あり)

そして本質を捉える能力を身につけず、枝葉に気付く能力だけがぐんぐん伸びて行く。本質は情報を自分で処理してはじめて見えるものだと思うのだけども。

読解力は平等ではない

最近ちょっと誤読関係の話がちらほらあった。

特に3つ目の記事で紹介されてたほぼ日刊イトイ新聞の記事がおもしろかった。

読解力には松・竹・梅の3段階がある。長めの文章を読んで要約しなさい、というとき、

松の人は、筆者のいわんとすることを、自分の言葉で40字以内(ほとんど1文)で、要約できる。

竹の人は、筆者がそこに書いてあるとおりの言葉を使って、文章を削ったり、つないだりして400字くらいになら、縮められる。

梅の人は、うまく要約ができない。

ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

40字以内というと、はてなブックマークのコメント(100文字)の半分程度だ。

言わんとする事を理解し、なおかつ反応をそこに書くというのは、意外と読解・記述のいい練習になってる気がする。そういや現代国語の問題に「何字以内で説明せよ」ってのが多かったよね。

実際のところ、そんなに読解力の高い人は多くは無いだろうと思う。住んでる地域にもよるだろうけど、読解以前に本が読めない、書いてある文字から脳内にストーリーを組み立てられない人ってのはけっこう少なくない。現代国語で赤点とる人だっているんだから、そりゃそうだろう。

ぶっちゃけすごい人って自分よりすごい人を見て「世の中は広い」とか言ってることあるけど、そのすごい人がいる分だけ「すごくない人」がいるってことも知った方がいいと思う。偏差値グラフの数値が高い方半分だけ見てんじゃねえよと。

なんで手足が無い奴だの目や耳が機能しない奴は保護されるのがあたりまえで、頭が悪い奴や体力無い奴は努力するのがあたりまえなのか、さっぱりわからん。見た目でハンディキャップ持ってるってわかるかどうかってあまりにも大きすぎる気がする。

そりゃ教育や努力である程度はどうにかなる面もあるよ。手足なくても生活できるようにする努力や手話覚えたりする努力を軽んじるわけじゃないけど、マイナスをゼロに戻す努力って点では同じじゃん。頭悪い奴だって別に頭悪く生まれたかったわけじゃないし、みんなが寝床で読み聞かせしてくれるパパママに育てられたわけじゃねえってば。なんで手足だと同情されて頭だとバカにされんのよ。

バカなコメントが多すぎる? はてなが目指してる1000万ユーザーを達成したmixiの日記見てみなよ。「バカなはてぶコメント」だと思ってたものにすら知性を感じるようになると思うぞ。

それだってまだ自発的に文章を書こうとしてる点で「いい方」なんだと思うぜ。

それにね、作者的には「誤読だ」と言いたいだろうけど、読み取る側の自由を束縛しちゃいけない。K&Rから人生を学ぼうがウェブ進化論から政治力を読み取ろうが、そんなのは読者の自由なのだ。

以前、俺がたわむれにニュースの情報を掘り下げてみた記事に対し、ある人がいきなり敵認定を食らわせて来た事があった。彼が言うには「その記述はA対Bの対立のうちA側を一方的に不利にする」とのこと。しかしこちらとしては元のニュース記事があまりにA側に与しすぎてる記事で逆効果だろと指摘したつもりだった。

これを「誤読」と取るか否かは難しいところだ。俺の意図通りに解釈してくれた人もいたし、指摘した人の通りA側を責める感想になった人もいたようだ。

だが彼にしてみれば敵味方を区別する事が重要課題であり、書いてあるところから対立構造の自分側へ有利か不利かだけを読み取ったわけだ*1

そのような読み方を禁止する権利は俺には無いし、ローカルルールなんかで縛る気もない。無断リンク禁止と何が違うんだとすら思う。そりゃ意図からかけ離れた読みをされたら悲しいけど、それを他人に強要する理由なんてこれっぽっちもありはしない。

梅田望夫の落胆

いやもちろん梅田望夫さんがはてぶユーザーをバカにしてるとか思ってるわけじゃないよ。昔ありもしない悪意を読み取る能力のある人々という記事を書いてMatzさんにまで反応を頂いたことがあるけど、あそこから悪意を読み取っちゃうのはまさにこれだと思う。むしろ落胆と悔しさを読み取ってあげたいところ。

さて最後に、それを踏まえて元記事にあたってみようと思う。

この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生、高校生、大学生、大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこの本がベストセラーになって、日本人にとっての日本語と英語について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、水村の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。

水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 - My Life Between Silicon Valley and Japan

筆者の言いたいことはこの段落にすべて詰まってると思う。日本人が日本語を使わなくなる、書き言葉として英語を使う時代が来るという予測に対し、日本人としてどう考えるか、まずこれを読んで考えようぜと呼び掛けている文章だ。

しかし実際はてなブックマークのコメントを読んでいると、漢語を持ち出して来るという「違う話」へのすり替えや、すべて英語に置き換わるとは思えないなどと元の意見を勝手に極論化して否定するといった「判断」がちらほらある。どうも本の内容を読まずにカテゴライズしてるように見えるコメントもある。

それは落胆するだろうな、悲しいだろうな、と思う。自分の立場を忘れて愚痴ってしまうのもわかる気がする。リリカルなのはを3話で挫折された気分というか、指輪物語ホビットについての序文だけで挫折された気分というか、まあとにかく「そこで判断しないでよ」と言いたくなるところで判断されるというのは非常に悲しいものだ。とくにぜひ読んで欲しいと思ってる人に言われると、ね。

だがいままで書いて来たように、読み方を強制する事はできないのだ。読解力は人それぞれである上に、「頭が良くなった気がしてる人」たちはちょっと判断を急ぎすぎる。本質より枝葉で見てしまうからね。

俺も毎日たくさんの判断を下すとき、枝葉を見てないか、本質に辿り着いてるか気になる瞬間がある。でも考えてもわからないのだ、そんなのは。だって俺は俺の能力の中でしか見れないんだもの。俺が今「頭が良くなった気がしてる」ことを認識するのは難しいのだよ。ただひたすら本質だと思えるものを探していくしかない。

俺がウェブ日記とかブログとか言われるものを書きはじめて10年くらいになると思う。その間、たくさん反応を頂いて来た。ましてやプロの書き手ではない俺なんだから、伝わらなくて落胆するなんてのは、日常茶飯事だ。

でも確実に伝わる相手がいる。少しずつ少しずつだけど、伝わっていくのを感じる。100%伝わるなんてありえないけど、それでも昔より、少しは伝わるようになったかな、と思う。

だからもし届くのであれば、梅田望夫さんにはこう伝えたい。

「だいじょうぶ、あなたの言葉をちゃんと受け取った人はたくさんいますよ」

きっとその中から、さらに「伝わる言葉」を書く人が出てくるだろう。最初の種は充分蒔かれている。Amazonからみんなに本が届いたら、萌芽が始まるだろう。

*1:ちなみにその時点での俺のスタンスは中立というわけじゃなかったが、A側に同情的ではあるがB側がなぜあんな強引な手に出たのかがわからない、裏に何があるのか知りたい、というだけのものだった

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>