狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

世界の広さは、見えない事を知ったときに感じられる

どれだけその業を背負う覚悟がある?という記事。

何か大袈裟に書かれてるのでおおごとに見えるかもしれないが、ただのプレゼンイベント開催についての議論だそうだからお気軽に。

1000speakersというイベントについては俺は名前を聞いたことがある程度なんだけども、ちょっと世界の認識についていろいろと間違ってる気がするので少し書き留めておく。

でも西尾君の場合そうじゃないと思う。
単純に誤解してるんだ。
世の中の人のホトンドが自分のように優秀で知的で温厚で、優れた人物になりえると誤解してる。
西尾君は特別な人間でそこに達する人間は少数だ。
西尾君を超える人間はもっと少ない。

どれだけその業を背負う覚悟がある?

こういう誤解をしてる人は実に多い。優秀な人間であればあるほど、自分と同じことが他人にもできると信じこんでいる。

ある東京大学の学生が、「ネットで話す理由がわからない。研究室の人たちと話してるほうがずっと刺激的でおもしろいよ」とイノセントに言ってのけた時には正直殴ってやろうかと思った。その学生さんは非常に優秀な人なので、ひとことふたこと話しただけで、自分のいる環境の素晴しさと希少さに気付いてくれたけどもね。

だから西尾君は今後もフリーバンドなバザールカンファレンスを主宰続けたらずっと疲弊する。

どれだけその業を背負う覚悟がある?

それに続くこの言葉の意味は、次の記事で詳しく書かれている。俺はこれについては否定する気はさらさらないし、別に俺が口を出したり判断を提示したりするべきことでもないと思う。*1

大多数の犠牲の上にそれをなりたたそうという、エリートたる西尾君の傲慢は、言葉は悪いが、<生まれつきIQ70でサヴァン症候群でも無い単なる知的障害者もきっかけ次第でリーマン予想を解決できる>くらいのことを言ってるんだよ。

どれだけその業を背負う覚悟がある?

だがこれは違う。違うだろうと思う。
話の火種のほうから引用しよう。

この図では「知ることの出来る情報」がx, y, zの3つしかないので、全部を知っている{x, y, z}って人がいるような気がしてしまう。しかし、現実には「人間が知りうる情報」はものすごく膨大だ。そして、人間という生き物は残念ながら、生まれてから1メガ時間以内に機能停止してしまう。頂上にたどり着くどころじゃない。

これが僕の考える「人間とその知識に関するモデル」だ。(中略)成人した人間はそれぞれ色々な経験を積んでいる物なので「誰かが誰かより優れている」なんて状態はごくまれにしか起きない。

「勉強会の違和感」に感じる違和感 - 西尾泰和のはてなダイアリー

これはほぼ正しい。知識だけじゃなく、あらゆる能力に適用しても当てはまるだろう。どんなエリートだろうが、中卒で修行を始めた大工よりカンナのうまい人なんてほぼいないはずだ。

そしてエリートほど、そのような「中卒の大工」からより多くのものを吸収する能力を持っている。

「生まれつきIQ70でサヴァン症候群でも無い単なる知的障害者」だろうがなんだろうが、その人にしか見えてない世界がある。「どこでも売ってる駄菓子」が「どこでも売ってる」ことに気付いてないエリートも少なくないのだ。

世界はものすごく広い。真の凡人などそれこそわずかだ。そして人間は生物としての進化よりも、情報を共有することによる知識の進化で発展して来た。当たりの本もあればはずれの本もあるが、本は人を間違いなく進化させた。1000年前の凡人より今の凡人のほうが遥かに多くの知識を持っている。

今の時代はそれが徐々にネットに置き換わっていくのは目に見えている。情報共有の速度は加速する一方だし、人間の知識の進化も恐ろしい勢いで加速するだろう。

そこには「どこにでも売ってる駄菓子」もあれば「とっても美味しい変わった料理」もある。いや、むしろ無きゃいけない。駄菓子には駄菓子の役割があるし、必要としてる人がいる。

「優秀な人間」だけでつっ走っても、ただでさえ理解しあえない凡人との間の溝を広げて別の民族になっちまうだけよ?

たぶん、よく言われる「量が質に転化する」という現象をまだ実感できてないだけじゃないかな、と思うんだけどね。

それはさておき日本人は自分に自信のない人が多すぎる。日本の教育の伽藍的傾向が強すぎるのだろうか。考えてみると僕の中高時代は教師より数学のできる生徒が同人誌的な解説プリントを作ったりとか、地名の由来にものすごく強い生徒がいて地理の時間に先生が解説を求めてたりとか、バザール的な要素が強かったのかもなぁ。
バザール的カンファレンスで、自信を持つことができればいいんだけど。

Re: 「「勉強会の違和感」に感じる違和感」に感じる違和感 - 西尾泰和のはてなダイアリー

こういう環境は非常にうらやましい。普通じゃありえないし、実行してもうまくいかないのは元記事の人が指摘してる通りだと思う。

日本の教育は伽藍にもなってない。とにかく教師の言うことをひたすら聞く従順な子供を作るための教育で、前時代的な労働環境へ送り込むのには適してたかもしれないが、今となっては邪魔なだけだろう。そもそもが教師自身がそういう教育を受けて育って来てるので、どうも自分自身で考えて行動する事すらできなくなってるようだし、組織がそれを許さない。自信が無くなったり視野が狭くなったりするのはあたりまえだ。

こういう状況に対してどのような処方箋が適切かは、また考えないといけないだろうね。

*1:しかし1000speakersよく見るとおもしろそう。今までの開催動画見てみようと思う。俺もなんか話せるものあったら参加してみたい

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>