ちょっと風邪をひいて先日から寝ているのだが、根っころがっててもiPhoneでウェブやメールを読んで過ごせるのは実にすばらしい。いや、自室で寝てるんだからiPod touchでもできるけどさ。
んでちょっとよくなってきたんで1記事書いてみようかと。
すっぱい葡萄の政治学という記事。
これがちょっとおもしろかった。
「すっぱい葡萄」という概念の大前提の条件として、「理想の状態があり、みんながその状態になる事がいいことだ」という考えがあります。つまり、木の上にはおいしい葡萄がなっているという前提があります(それがないと話が始まらない)。
すっぱい葡萄の政治学
これはつまりこういうことだ。
iPhoneなんかより日本のケータイのほうがいいよ! という主張がけっこうあって、iPhoneのダメなところを(ウソもまじえて)列挙する記事がこないだはてなブックマークのホッテントリに入ってた。
それを「すっぱい葡萄」と言ってしまったらどうなるか。
などなどの理由でiPhoneを購入できない人たちが、「iPhoneなんてすっぱい葡萄だ!」と言ってるだけ。
ホントは欲しいんでしょ? かっこいいもんね。MMSが無い? プッシュメールあるしいいじゃん? ケータイサイト? 絵文字だらけで小銭ばっかとる見た目もしょぼいサイトがそんなおいしい? 普通のサイトのほうがいっぱいあるよ?
ってな感じで、何を言っても「ホントは欲しいんでしょ? はいはいわかったわかった」で済まされる。
そう言われた側は、自分が欲しくない理由をあげればあげるほど泥沼にハマる。「強がらないでもいいよ(ニヤニヤ)」「すなおになれよ(クスクス)」「わかったわかった(ゲラゲラ)」。
そりゃーむかつくだろう
実際すっぱい葡萄状態かどうかは別として、「すっぱい葡萄」と言ってしまった時点でもう話が終っちゃう。価値観多様性とかそんなの無視。ひどすぎる。
ネタ元では「あくまで例」としてアダルトゲームで恋愛を代償してる人たちをあげている。彼らが実際に代償してるかは別として代償だと言い切ってしまうことで、価値観の多様性を無視させる。
実際のところ友人のエロゲヲタはなぜかモテる奴が多かったし、俺も当時付き合ってた彼女と一緒にアダルトゲームを楽しんだ事もあるので、代償だけでアダルトゲームを楽しむわけじゃないことを知っている。
でもあえてそう言い切る事で自分を優位に立たせることができるわけだな。だから「政治学」なのね。
うわー、イソップ童話深いなあ。