狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

新しい「男の物語」が求められている

「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか?という記事。男性視点での「アナ雪」対談として非常に興味深く、おもしろく読んだ。

アナ雪は非常によい映画ではあったと思うのだが、確かに男がホントにロクでもない。知的な男の一人も出てきやしない。男はみんな愚かでいなくてよくてせいぜい女の世話になるか愛玩されるかでしかない。もちろん前者がクリストフで後者がオラフだ。

これはまた自信を失った男たちの物語でもある。かつて誇らしかった「男らしさ」は失墜し、それはすべて愚かさに切り替えられた。男性が男性でいることに誇りが持てない時代に、我々は突入している。

実際のところ、男というのはそんなに必要とされる存在ではない。

生物学的に人間だけが、男が異常にラッキーな種族。サルでもライオンでも、強い男しか自分の遺伝子を残せない。大体1割。残り90%は残せない。ただし人間は知性があって社会性の動物だから、一応女性に一夫一婦制にしてもらっているわけです。

「アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈

種にもよる数字だがだいたい言いたいことはわかる。チンパンジーのオスは成人するまでに5割程度は群れを追い出されるなどして死ぬので群れのオスメス比率は1:2だそうだ。男は半分もいれば充分群れは維持できる。少子化が完全に解消された北欧では四分の一の男性は子孫を残せてないそうだ。男の四半から半分くらいはいつでも死んでいい存在なのである。

こうした特性は、文明が未発達な時代にはよく働いたと思う。危険な仕事に「男らしさ」という誇りと引き換えに男性たちを送り込み、群れのために命を消費させることは、それはそれで意味を持ち得る生き方だったろう。だが文明も発達し、人間は危険な仕事からどんどん遠ざかっていった。我々の日常にかかる危険とはもはや自然の脅威などではなく、運動不足と精神疲労による健康被害である。

こうなってみるともはや男性が女性に比して優れてるとされた体格や体力など、たいした意味を持たなくなる。ブラック企業のような体力と根性任せの経営をするような企業でもなければ、労働者が男性である意味はほとんど無い。

誠実さゆえに女性の世話になるクリストフか、愚かさゆえに女性に愛玩されるオラフか。まっとうな男の生き方はいまのところこの2つになったのだと、「アナと雪の女王」は語りかけているようにさえ見える。

先日ベクデルテストの話を書いたのだが、これを紹介してる TEDxBeaconStreet の講演が非常に興味深いことを話している。


そして 女の子には 男社会への 立ち向かい方を教えます
しかし 男の子には 同じことを 示す 必要はありませんよね
彼らには手本がないのです
近年 素晴らしい 女性作家たちが 新しい物語を 子供たちに書いています
ハーマイオニーやカットニスは 素晴らしい女性キャラクターです
しかし 彼女たちの世界でも 戦いが繰り広げられます
大成功をおさめてきた ディズニー映画は 常に同じテーマを扱っています
つまり どの映画も 男性の旅物語なのです
少年や 男性の物語 2人の男友達や 父と息子の物語
または 少女を育てる 2人の男性の物語というように

コリン・ストークス 「映画が男の子に教えること」

男性主人公の旅物語というのは、劇作における古典といってもいいだろう。数多くの男性の旅物語が作られてきた。しかしそれももはや限界が来てるようだ。

思い返すと、90年代にラノベとアニメで大流行した「スレイヤーズ」は女性主人公の旅物語だ。そして相棒のガウリイはクリストフの誠実さとオラフの愚かさを併せ持ったパートナーであった。その後のアニメの主人公は数えるまでもなく女性が多く、ある意味日本のアニメ業界はディズニーに先駆けて「女性の物語」を模索していたようにも思う。スレイヤーズの主人公は姉妹の妹だったが、彼女の「レリゴー」っぷりはたいへんなものであった。

#アホ男子母死亡かるた

#アホ男子母死亡かるた

だが男性がレリゴーしてありのままの自分を見せてしまうと「エヴァンゲリオン」のシンジになってしまう。アスカに「気持ち悪い」と言われるアレである。

そう、男性というのはありのままだと気持ち悪い存在なのである。それゆえ「ガンダム」のアムロ・レイは男らしさを不器用そうに身に着けていくし、「涼宮ハルヒの憂鬱*1キョンはあらゆる物事から距離を置きたがる。

男というのは#アホ男子母死亡かるたを見てもわかる通り、そもそもが粗暴である。棒を持てば振り回し、丸いものを見つければ蹴っ飛ばす。これはもう男性ホルモンの作用だからどうしようもないのである。

たとえば、男性ホルモンの代表にテストステロンという物質がありますが、これをネズミに投与すると、攻撃的行動が増えると言われ、また刑務所に服役している受刑者の唾液からテストステロンを測ってみると、軽犯罪で捕まった人たちよりも、殺人犯や強盗犯の方が濃度が高く、かつテストステロン濃度が高い人たちは、服役中に暴力事件をおこす確率が高かったという報告もあります。

こころ学 - 「男らしさ」とは何か?:テストステロン出世仮説

もちろん人間には理性というものがある。こうした攻撃性の統制に成功した男性も少なくはないだろう。

だがこうした攻撃性をいかんなく発揮できるのは戦闘であり、競争である。だから男の物語は戦いや争いやそれに類する未知への挑戦でなくてはならない。男が「ありのまま」でいるための物語に、これらは不可欠なのである。

それでも時代は「アナと雪の女王」であり、運動不足と精神疲労が最大のリスクだ。こうした世界における男性のレリゴーを求めるなら、コリン・ストークスのこの言葉を噛み締めなくてはならない。

すでに 男の定義は ひっくり返されてきています
介護者や勤労者の役割が 変わってきていますよね
ひどい状況になっていますよね
だからこそ 息子たちは 新しい人間関係を 身に付ける必要があります
父親が 息子の手本となって 教えなければいけません
真の男性は 女性を信頼し 尊敬すること
女性とチームを組むこと
女性をいじめる男たちの前に 立ち向かう男性であること
これを 父親は息子たちに 示さなければいけないのです

コリン・ストークス 「映画が男の子に教えること」

群れのために命を消費しなくて良くなった男性たちは、運動不足と精神疲労に耐えながら、家族を得られない25〜50%の男性に自分が入ることを覚悟しながら、自分自身のレリゴーを探さなくてはならない。

そのモデルとして、この世界における「男の物語」が求められてるのである。

*1:ごめん、間違って「鈴宮ハルヒの憂鬱」とか書いてた。教えてくれた人サンクス

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>