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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

そしてオタクたちは、また迫害されていく

人間という生物の性行動に興味を持ったのは、少子化問題だった。なぜある世代の日本という島国に居住する人間たちは子供を作らないのだろうかと不思議に思った。一般的には、景気が悪化して経済状況が厳しいからだと認識されていた。最も、俺が興味を持った頃はまだ、政府や各種組織を束ねる比較的高齢の人間たちは「若者に根性や覚悟がないせいだ」と認識していた。

どちらの認識も、いまいちピンと来ないものだった。俺自身、日本に居住し子供を産まない世代の一人だった。お金があったら産むのだろうか。覚悟や根性があったら産むのだろうか。そう自問自答しても、Yes の3文字は出て来なかった。そもそも「貧乏子沢山」と言われるのに、逆じゃないかとすら思った。

周囲を見ても、比較的収入のいい男性たちがまったく結婚していなかった。恋人もいないか、いても長続きしてないなかった。

なにかおかしいんじゃないか。そう思い始めて手掛かりを求め、いつしかいろんな女性たちから話を聞くようになっていった。たくさんの人たちから情報を頂いて、一番驚いたのはいまだに女性差別が蔓延してることだった。そもそも女性縁の無いオタクコミュニティにいた俺には、女性の受ける男性からの被害とは「うっかり勘違いしてしまった男性からしつこくされる」とかストーカー化してしまうとかいう話であって、それはそれでたいへんな話ではあるのだけれども、常に上位にいたのは女性たちだった。女性縁のないオタクコミュニティにも、稀に適合する女性たちがいたのだった。

フェミニズムの指摘する性差別は確かにあってはならないものだし、俺自身男性ジェンダーにそぐわず苦しんだ経験があるので、ジェンダー抑圧からの解放というのも非常に賛同できる。一番つらかったのは、俺が祖父の酒のつまみを用意してたら母が叱られていたことだった。「男にそんな事させるな」と怒鳴られていたのを、子供心によく覚えている。今でもおいしいものを作って食べるのは大好きな趣味の一つだ。

だが男が「選ぶ性」であり女が「選ばれる性」というのにはまったく同意できなかった。自分自身選んだことなど無いし、選ぶだけの候補がいるような立場にたったことなど一度もなかった。俺のいたコミュニティは、そういう男たちがたくさんいた。十数年、家族以外の女性と口を利いたことがないという人も珍しくなかった。女性に選ばれた男性だけが、恋人や配偶者を得ることができていた。そういう現場に、俺はいたのだった。

この矛盾に一つ大きなヒントを与えてくれたのは、ゴリラの生態だった。ゴリラのオスは3匹程度のメスとつがいになり、家族を形成する。しかし生まれてくる子供たちは雌雄ほぼ同数だそうだ。つまり、計算上は6割程度のオスが余ることになる。実際には5割程度が余るらしい。あまったオスたちは男社会を形成するそうだ。

もうひとつヒントになったのは、いわゆるリア充に属する女性たちから、一様に「浮気しない男はいない」という言葉を聞いたことだった。どうもみな浮気された経験の1度や2度はあるものらしい。

人間は一夫一婦制の動物だとなんとなく認識してる人も多いだろうが、実際には違う。ゴリラほど強固なハーレム構造ではないが、チンパンジーほど乱婚でもない。その中間程度らしい。

要するに俺がいたコミュニティというのは、ゴリラでいう独身オスたちの男社会だったのである。ゴリラのように5割もの男が余ってるわけではないにせよ、おそらく2〜3割程度の男性は、この人間社会でも余るであろうと推測される。

フェミニズムのいう「男は選ぶ性」というのは、実際には隠れハーレムを形成する上位男性たちの話であって、フェミニストたちにとって我々のような下位男性は「男」ですら無い、存在すら許されてないものだったのである。差別是正を掲げるフェミニズムは、実際には差別主義思想だったのだ。どうりでネットで活動するフェミニストたちは我々オタク男性を忌み嫌うはずである。もともと彼女たちは差別主義者だったと考えれば矛盾がない。

上位とか下位とかいうのは、いわゆる「リア充」と「非モテ」に読み替えてもだいたい通じる。

リア充男性はハーレムを形成し、非モテ男性は孤独であるか、男社会の隅で生きる。社会構造としてはリア充男性が牛耳っており、男社会でも非モテ男性の立場は比較的苦しいものだ。周囲からは結婚もできないダメなやつだと認識されるし、子供の頃から女性に忌み嫌われ、時には女性やリア充男性からひどいいじめにあっていたりする。非モテ男性というのはそういう存在だ。

いわゆるオタク文化がそういう非モテ男性の中で発達してきたことは、偏見とまでは言えない部分的な事実である。女性慣れしてないがゆえに、女性の前で普通に振る舞えない。そんなオタクたちはゴマンといる。

オタク文化は80年代ごろから「メカと美少女」の文脈から発達してきた歴史があり、90年代のアダルトゲームや戦闘美少女ものといったジャンルの形成に伴い、「女性を選ぶ立場」を体験できるものが発達してきた。これは今現在流行中の「艦隊これくしょん」などのゲームにも貫かれているテーマだ。

現実には「選ぶ立場」になど一度もなれたことがない、「選ばれる」ことすらヘタをすれば一度もない、そんな男性たちの慰みとして受容されている側面は、否定するのは難しいだろう。昨今はオタク文化の広まりによって「非モテ」ではない人たちもオタク文化を楽しむようになり、彼らの存在はずいぶんとこのオタク世界でも希薄になりつつはあるけれども。

先日、人工知能学会の学会誌の表紙が話題になっていた。まさにオタク文脈の基本である「メカと美少女」。掃除機を人間の美少女になぞらえ、その手には本を持った見事なオタク好みの絵であった。掃除機のような機械にも人工知能が内蔵され、自ら情報収集すらするのだという未来への希望が描かれたとてもよい表紙であると思う。オタク文化の広がりもうれしい。我々はもうマイノリティではない、同じ文化を共有できる人たちはこんなにも増えたのである。

ところがこれに噛み付いてきた人たちがいる。フェミニストたちだ。彼女らの目には充電用と思しきケーブルは拘束の紐に、掃除機であることを示すほうきは女性の役割強制に見えるのだそうだ。

もうリンクもしたくないが、フェミニストたちのオタクたちを罵るひどい言葉は、思い出したくもない差別と偏見に満ちていた。そう、また我々は排除されるのだ。あの学校で、大学で、会社でそうだったように、我々は排除されるのである。アニメを見ているだけで、ビデオのコレクションで棚が埋まってるだけで、「気持ち悪い」「死ね」「触らないで」「近寄らないで」と浴びせられてきたあの言葉たちを、また浴びねばならないのだ。

我々はやはりマイノリティだった。序列の下位に属してしまったがゆえに、パートナーも得られず、生み出してきた慰みとしての文化も奪われる。差別是正を掲げるフェミニズムにすら差別される。オタクとは、もともとそういう存在だった。何も変わっちゃいなかったんだ。

性差別の主体は序列の上位にいるリア充男性たちである。下位の男性もまた彼らの価値観の中で差別されてきた。同じ敵を共有する仲間になれるんじゃないかと思ったこともあったが、今回のことで完全に無理な話なのだと理解できた。フェミニズムは序列下位の男性たちを差別することで、その鬱憤を晴らしている。まるでイラク戦争のときの在米イスラム教徒たちが迫害されたように、同じ属性を持つというだけで迫害されるのだ。いじめやすい、弱い存在であるから。

日陰に帰ろう。誰の目も届かない日陰へ。あそこが我々の居場所なのである。さあ年の暮れ、その絶望を慰めてくれるものを探しに行こう。来年はせめて、少しでも幸福がありますように。

よいお年を。

追記

肝心の冒頭で書いた少子化問題についての考察は、改めて記事を起こしたのでぜひそちらも読んでいただければ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>