ネタバレはほぼなし書く。いろいろと手がついてないところ申し訳ないのだが、昨今はドラゴンクエスト11をずっとプレイしていた。ドラゴンクエスト・シリーズは大好きなシリーズで、オンライン版である10以外はすべてプレイしてきた。7と8はクリアまでやれず、9にいたってはあの短いシナリオを3年もかけてようやくクリアしたありさまだった。今回はちょっと時間をとらせてもらって、じっくりと遊ばせてもらった。
もう、最高だった。
正直、最近のドラゴンクエストには違和感があった。8の女性キャラたちは古臭い清純派と気の強いヒロイン(そしてエロい)だし、9のガングロ妖精もどうかと思った。
11になってもまだ昭和感から抜け出せない部分もある。えっちな本をいちいちギャグとして入れてくるところとか、セーニャのレベルアップでウィンクしちゃうところとか。ドラゴンクエスト4の主人公が男女選べて、シンシアとの関係性をどうとでも想像できて、ラスボスにがっつり感情移入させられて泣きながら戦わされたあの頃のドラクエはどうしたんだよという気持ちはある。
ファミコン時代から続く描かれないからこそ想像の余地があるドラクエに対し、ファイナルファンタジーは描きすぎて映画同然という批判もあった。だが実際にはゲーム業界はファイナルファンタジーの方向性こそが波及した。ゲームはインタラクティブムービーとしてメディア化してしまった。
そうした状況に対するドラクエの答えは「主人公を極力描写しない」であった。
ドラゴンクエスト11はPS4版で遊んだので3DS版がどうなってるかは知らないが、最近のゲームらしくイベントは見てるだけの映画状態が多かった。ボイスが入ってないことに違和感を覚えるくらいには最近のゲームらしかった。しかしあえてボイスを入れないことで、主人公とのやり取りを具体的に描かずに済ませていた。そこは「想像しろ」というわけである。
それが正解だったとは言わない。昔のドラクエほどに想像の翼を広げられたかというと難しかったようにも思う。相変わらず女性キャラたちは清純派と気の強いヒロイン(そしてエロい)が用意され、そこにじゃりんことオネエキャラが追加されただけだった。
それでもそれぞれのキャラクターはちゃんと掘り下げられて、8のときほど薄っぺらではなかった。
清純派キャラ枠のセーニャは双子の姉であり諸事情で子供の体になってるベロニカにべったりで、その依存性を強く問われることになる。
気の強いヒロイン(そしてエロい)枠のマルティナは、その保有するおいろけスキルに違和感しかない高潔さを持った人物だ。だがむしろそれが想像の翼を刺激する。長い長い旅の中で生き延びてきた強かさに、使える武器はすべて使ってきたのかもしれない。
オネエキャラのシルビアの扱いは90年代を思わせる。主人公に好意的な同性愛者を気持ち悪く描くというやつだ。しかしそれだけでは終わらない。彼女は一流の旅芸人であり一流の騎士なのだ。その姿は美しくかっこいいとしか言いようがない。コミカルなそのスキルはたいへん頼り甲斐もあり、こちらも好意を持ってしまう。また父親との関係性の描かれ方はとてもすばらしかった。
そしてベロニカ。ドラゴンクエスト11をクリアした人で、彼女を嫌いになれる人なんているだろうか。あの木に体を預けてるシーンに、心を動かされなかった人はいるだろうか。
PS4で描かれるロトゼタシアの自然はとても美しかった。人々がそれぞれの幸福を持って暮らしてる様が想像できるセリフたちも相変わらずだった。
堀井雄二のシナリオの良さは、そういう日常感だった。
ロトゼタシアは世界樹の葉が命であり、葉が芽吹くとき人も生まれ、葉が散るとき人も死ぬ。木々の葉のように、人は生まれて死んで、そしてまた生まれてくる。大いなる命の流転。失われていく命の悲しさ。その悲しみを救いたいと願う人々。まさにそれこそが日常ではないか。
思えばドラゴンクエストとはそういう普遍的なテーマをいつも扱ってきたように思う。1や2のころはそれほどストーリー性があったとも言えないが、3では「父を追いかける子供」を描き、4ではデスピサロを通して人が悲しみから狂気に至るさまを描き出した。5では親子の愛や平和を自分から勝ち取る姿勢を描いていた。6は「自分とはなんだろう」というこれまた人生で一度は通るテーマだった。7〜9はそうしたテーマ性から少し離れてしまったかもしれないが、人生の選択や永遠の別れ、日常の幸福を味わう人々がやはり描かれていた。
ドラゴンクエスト11は、もしかしたら最後のドラゴンクエストになるかもしれない。友人がそういう不安を口にしたとき、さすがにはっとさせられた。1986年にリリースされたドラゴンクエストから実に31年の月日が流れ、堀井雄二も鳥山明も60代になり、すぎやまこういちに至っては80代も後半である。ドラゴンクエストのアイデンティティを作っているとすら言えるこの3人のうちどれか一人でも欠ければ、それはもうドラクエではないだろう。
少しネタバレになるが、ドラクエ11のサブタイトル「失われた時を求めて」という言葉は、実はクリア後のことを指している。クリア後から裏エンドまでの道筋はまさに「失われた時」を求めたシナリオだ。これがどういう意味かは実際にプレイして確かめていただきたい。
作品全体を通して、過去作、特に最初のロト三部作へのリスペクトが非常に高い。過去に活躍した勇者とその仲間たちは、ドラゴンクエスト3の勇者、戦士、賢者、魔法使いの出で立ちだ。物語が進んでフィールド曲にドラゴンクエスト3の音楽が流れた時はちょっと驚いた。30年前に我々が愛したあの物語たち。その愛に応えようという気持ちが伝わってきた。
ある意味では「失われた時」であるあの頃の旅の思い出。それがよみがえるようであった。
想像の翼を広げて旅したあのアレフガルド。恐ろしかった山、超えられなかった崖、渡るのに怯えた橋。ロトゼタシアの自然の美しさは、昨今のゲームが目指すような実写的な映像でもなく、かといって過度に漫画的でもない。でもきっとあの時に我々が旅した「ドラクエワールド」なんだと思う。
もちろんここまで「勇者ロト」の名前をチラ見せしておいて、なにもないわけがない。ロト三部作をやった人には「ああ、そういうことだったのか!」と思わされる展開がちゃんと用意されている。
だが、それがむしろ、「これで最後だ」という覚悟のようなものを感じてしまう。
ここまでドラクエの原点回帰をしたのだから、次はないなんて思いたくない。どうかもう1作、ルイーダの酒場とダーマ神殿のあるドラクエを出して欲しい。失われた時を求めるのは、もう少し先にさせてもらいたい。
そう、やっぱりドラクエが大好きなんだと、再確認させられたのである。
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