狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

救われるべきは「被害者」ではなく「加害者」

ネットをあちこち見ていると「最近は被害者の立場にたったほうが有利」みたいな言説がよく見られる。だからみんな自分がいかに被害者側かアピールするんだよ、と。

まあ確かにそういう記事や発言がよく見られる気はする。結局どの側面から見るかで、恵まれてる面も恵まれなかった面もそりゃあるに決まってる。どこにフォーカスするか次第といわれりゃまあ確かにそのとおりとしか言いようがない。

「弱者救済」と言えば正義のようにも思えるけれども、その内実を見れば彼ら彼女らを「弱者」に追い込んだ「加害者」がいることも少なからずある。

いじめ問題を思い出すとわかりやすい。よく「いじめられる側にも問題がある」なんていうやつがいるけれども、いじめられる側の問題といえば「逃げなかった(学校へ行った)」という一点に尽きるのであり、問題があるのはいじめる側である。そして本当にケアしなければならないのはいじめっ子のほうなのだ。だって問題がある方をケアするのは当然でしょ?

犯罪率に目を向けてみよう。以下は失業率がもたらす痛み(pdf)からの引用である。

失業率・犯罪率・自殺率の推移 失業率がもたらす痛み(pdf) より

自殺率はある程度のところで歯止めがかかってるが、犯罪率は失業率と見事に連動しているのが見て取れる。犯罪を防ぐには、犯罪動機の主因である貧困をなくすこと、犯罪者になるような人を生み出さないことが大切なのだ。

けれど被害者感情というのは、なぜか「加害者を救う」ことを許せない。加害者は罰せられなければいけず、できれば死んで欲しいと願うのが被害者感情だ。だがそんなことをしても再犯率が下がるわけではない。再犯率を下げるには、彼ら加害者こそが救われなければならないのである。懲罰的な考え方では、過去の溜飲は下げられても、未来の不幸を救うことはできない。

受刑者に再度チャンスを与えるための「夢の貯金箱」という記事にも詳しいが、日本は再犯率が大変高いようである。半数近い受刑者が再び罪を犯すという。

冒頭の「被害者側にたったほうが有利」というのも、結局は「被害者を救う」ことに注力してるからに他なるまい。そりゃあ被害者を助けるのも大事だけど、これ以上の被害を出さないことも大切じゃないですか? それともあなたは自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々の一員ですか?

あなたの「過去の溜飲を下げる」ことと「未来の誰かの不幸をなくす」ことと、どちらを大切に思っていますか?

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>