狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

特定秘密保護法案が通ったのは日本人がバカだから

いやこんなもの書いてる暇ないんだけど、一応書いとかないといけない気がして。

こないだ特定秘密保護法案が通ってなにやら大騒ぎでデモまでおきてたようだけど、こっちの気分としてはなにそんなに大騒ぎしてるの? ただの機密保持のための法律の何が問題なの? って気分。

割と多くの人間がそう思ってるんじゃないだろうか。反対派が出してくる「こんな困ったことになります!」みたいな怪文書も、「いやそれはむしろ法律必要だろ」と思ってしまうものとかあったりしてだいぶげんなり。「徹底批判!」とかいって法文も引用してない対談記事とかあっておまえら批判の意味わかってんのかと問い詰めたくなるものまであった。

このへんなんか見ても判断に迷う様子がうかがえるし、理性的な立場からすればそりゃあそうだろうというのが素直な感想。

実際こんな記事なんかも出てて、やっぱみんな機密漏洩の法律は必要じゃん、今回の法案のどこが問題なの?ってのが実は本当の「サイレントマジョリティ」なんじゃなかろうか。

まあそれでもなんかよく聞くと秘密保護対象が限定されるように見えて実は解釈次第でどうとでもなるだいぶやばい法律だよ、みたいな話が出てきた。

こちらを見るとまあ一応問題点が見えてくる。一言でいってしまえば公安や警察の捜査範囲が不適切に拡大するということらしい。

というあたりまで理解して、既視感にとらわれた。ああこれ今まで俺らなんども見てきた光景じゃん、と理解するまでにさほど時間はかからなかった。

「一見適切で必要な法律のように見せかけておいて、警察国家化を助長する恐ろしい法律」の成立は今までにも何度もあったじゃないか。

直近で言えば「ダウンロード違法化」がそれだ。去年もダウンロード違法化の未来は警察国家ニッポンという記事を書いたが、このときだって日本国民は「なにが悪いの? いけないことを取り締まることはいいことじゃないの?」みたいな反応をしてただろう。

児童ポルノ規制法」だってそうだ。「児童ポルノなんて許せない! とっとと取り締まるべき!!」みたいな脳味噌とろけた人たちがどんどん推進して、中身の問題点が検討されることなんてほとんどなかった。

思い出すのが「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」の詩である。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

要するに日本国民はおバカなのである。この詩に描かれたナチス政権時代のドイツ程度にはおバカなのだ。今までだって何度も同じような危機はあったのにそのまんま通してきちゃった。通すような政治家を国会に送り込んできちゃった。

いまの自民党についてるブレインは経済に関してはリフレ派のまともな人がついてるので非常に期待してるのではあるけれども、反面「親学」などのトンデモ、時代錯誤なうえに全然伝統的じゃない実は昭和30年代あたりにしか見受けられなかった「伝統的な家族像」の押し付けなど、思想面の危険性はそれなりに露出があったはずだ。それを7月の参議院選挙であれだけ当選させてしまったのだから、日本がこうした危険思想の類がまかり通るリスクは承知しておかなくてはならなかった。そういう意味では特定秘密保護法案が通ったことなど、まだまだ安倍内閣の秘めてる危険思想からは乖離した「まだ安全な部類」の法案だ。

これは日本の新聞がタブロイドばかりでまともなクオリティペーパーが育って来なかったことにも起因するのだろうけれども、とかく日本国民は本質的な問題点を把握する機会に乏しい。何事も「反対」と言っていれば野党やメディアとして機能した時代を引きずっているのだろう。そういうメディアは参照してもまったく役に立たない。結局自分でたくさん調べ物をしなくてはいけなくなるし、さすがに仕事を抱えながらそんなことをしてられるほど暇な人もそうおるまい。

もうこうなったらとことん日本という国が痛い目を見て国民全体が「あれはやばい」と感じ、その感覚が伝統になるまで壊していくしかないのかもしれないね。おそらくドイツがそういう思いをしたのだろうし。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>