先日、TEDxBKKに行って来た。なにやら最近は英語教材として持ち上げられてるTEDのローカルイベントTEDxのバンコク版である。
あたりまえのことではあるが、TEDは英語教材なんかではない。知識と知恵を世界に広めるというミッションのもと、寄付ベースでなりたってるカンファレンスだ。今年の TEDxBKK でも、タイや周辺国が抱える人権や教育の問題についても講演が行われ、入口や会場には寄付箱が置かれていた。
それを見ながら、子供の頃のことを思い出した。80年代、まだ日本が元気だったころ、アフリカの飢饉や障害者の状況を訴えかけるテレビ番組があった。俺はそれを見ながら、お小遣いやお年玉の中から、少しずつ寄付をしていた。番組では実際に集まった寄付でアフリカに配給しにいったり、車椅子を導入したりした成果がちゃんと放送されていた。障害者の状況がわかりやすいドラマなども制作され、意味のわからないマラソンだのチャレンジイベントだのはやってなかった。
今の日本はどうだろうか。世界初の TEDx イベントである TEDxTokyo は日本人が始めたものではない。遠くアフリカや東南アジアの貧困を憂う日本人はどれだけいるだろうか。タイや韓国から借りっぱなしの発電設備のことを思い出してる人はどれだけいるだろうか。
先日の選挙で圧勝した自民公明は、天賦人権論否定派である。
引用しよう。
天賦有休論に基づいて休みを謳歌し、家族とのつながりをも手に入れられる人が休みを返上して自発的にハードワークをするのは、それはノーブレス・オブリージュだ。一方、社賦有休論に基づいて、会社から休暇を許可されずその結果ハードワークをさせられるのは、ただの奴隷労働だ。
天賦有休論か社賦有休論か | 独り言v6
こういったことが当たり前に受け入れられない。人権は国家から与えられるものであり、国家が制限してしかるべきだというのは、はっきり言えば無理筋であり、とても現代の思想とは思えない。
余裕が無くなった。そう表現する他無いだろう。
右傾化と表現するむきもあるが、それはやや違う。余裕が無くなった結果として右寄りになりつつあると言うのが正解だろう。
現代日本の保守派が「不寛容な右翼」と呼ばれる所以である。
こうした動きはもはや日本だけではない。アメリカも日本同様、保守派と人権派が変な結び付き方をして、内心の自由まで侵すような法律を作ろうとしているように見受けられる。
余裕が無いのはしょうがない。その余裕の無さを、いらだちを、弱者にぶつけるようなことは許されない。なんのための国か、法律か、わからないではないか。
英語の勉強にTEDを使うのはいいことだと思うが、彼らの思想や講演者の志にも、もっと目を向けてもらいたいと思う。
落ちぶれたとはいえ、日本はまだまだ大国なのであるから。ノブレスオブリージュは、日本人にこそ求められてるはずだ。