僕は"自由"で"オープン"なwebと上手に付き合えているのだろうかという記事。いろいろと共感するところあるので書いてみようかと。
ウェブをうまく使ってると、数千人からの発言や見解を得ることができる。これくらいの人数から話を聞けるとなると、そんじょそこらの意見は「よくある意見」になる。クラスでちょっとおもしろいこと言う奴レベルだとありきたりすぎてつまんない。
でも特にTwitterのタイムラインというのは個人によってその大きさが違うから、自分やその周囲では「おもしろい奴」という扱いを受けられることも少なくない。学校のクラスひとつ分くらいの世界。
自分の意見や発言が独特でおもしろいと勘違いしちゃうんだよね。
はっきり言えばたいていの人は凡人なのでそんなにおもしろいこと言える人なんていません。凡百のひとつでしかないです。
自分ではうまいこと反論したつもりかもしれないけど、そんなの他の人にも言われてますから。ていうか想定済み通りこしてあまりにも過去すぎて想定外ですから。いまさらそこツッコむんだ、へー。
実りが無いなあという気分になるのもしょうがない。
で、さすがにめんどくさいなあと思って適当にスルーしてると「人の話を聞かない奴」という評価になるんだよね。めんどくせえ。
独特でおもしろいことを言える人なんてそんなにいないんですよ。あなたが思い付くようなことはみんな思い付くんです。そのツッコミもう10回は聞いてるから。そのギャグ100人から聞いてるから。その思想1000年前に本出てるから。
こういうこと言ってると上から目線とか言われるんだけど、上から目線なのはそっちでしょ? 自分がそんなに特別な存在だと思ってる? 自分はそんなに偉いこと言えてると思ってる?
勘違いですから。あなたと同じこと言う人なんて軽く1万人はいますから。あなたは1万分の1でしかないの。
その1万人の中で出会って友情が育める人は1人くらいしかいないかもしれないよ。だからそれはそれで大切だけど、その意見そのものは1万分の1なのね。ある程度交友範囲が広かったり、ウェブで大量の意見を見てたりすると、もう無個性なものにしかならないの。
もちろん俺だって全部を見れてるわけじゃない。知らない世界を案内してくれる人はいつもありがたいと思う。
みんながみんなそれぞれのスペシャリティがある。そのスペシャリティはおもしろいことが多い。でもみんなそれには無自覚なんだよね。だから有名人や人気者に絡んで相手してもらおうとしちゃう。そういう人らほどたくさんの言葉を向けられてるがゆえに、そんじょそこらの意見やギャグをおもしろがってはくれないのに。
元記事にあったリンクを見てみよう。
どうもこのはるかぜちゃんという人は子役芸能人らしく、かなり知名度も高いようだ。それゆえ妙な輩に絡まれがちな様子。俺もこれ以外に性的な暴言を投げつけられてるのを見掛けたことがある。
けど若いのに、いやむしろ若いからこそネットのすばらしさをよく知ってらっしゃる。
まちがいたり、泣いたりしても、ネットでは大人も子どもも関係なく、ぼく自身の意見や思ったことがゆえて、まじめに聞いてくれる人がいるので、ぼくはネットの世界がすきです(ω)
きっとネットにいなかったら、こんなに真剣に子どもの話を聞いてもらえることなんてなかった(ω)
Togetter - 「はるかぜちゃんが登校前に泣いていた件。(お母さんのツイートより)」
そうなんだよ。子供だからとか学生だからとかそういう属性にとらわれず意見を聞いてもらえる土壌がネットにはある。インターネットはピア・ツー・ピア。すべてが対等のホストコンピュータ。そこにいるユーザーたちもみな対等なのだ。
だからおまえはおまえのスペシャリティを語れ。誰かにひっつくんじゃなくて、そのスペシャリティを見せてくれ。誰にも聞いてもらえなかったおまえのスペシャリティを、ネットなら聞いてくれる人がいる。
その方が絶対におもしろいんだぜ。