狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

見えない贅沢は想像できない

「嫌消費」世代という記事。2chの反応も興味深い。

基本的に「嫌消費」なわけないという記事でツッコミが入ってる通りだと思うのだが、ちょっと違う視点から考えてみたいなと。

以前からときおり書いてるように、バンコクは下層生活と上層生活の垣根が低い。30バーツ(100円くらい)の屋台と400バーツくらいのレストランがすぐそばにあったりするし、安いアパートと高級なコンドミニアムが隣接してたりもする(もちろん安いといっても隣接しちゃうくらいだからそれなりの値段はするけど)。

こちらに来てすぐ感じたのは、「贅沢してるやつら」が可視化されてるなあということだった。外国人ばかりのバーの前で安い屋台の飯を食う現地人がいたりとかな。俺はまだ行ってないのだが、映画館も追加料金でいいシートの席が取れたりするそうだ。場所にもよるが、スーパーに運転手つきの車で買い物に来てる人とかもいたりするし、そもそも金持ちしかこれなさそうなデパートなんかもあるわけだ。

さてひるがえって日本を思い起こすと、そういうシーンがとても少ない。せいぜいJRのグリーン車くらいのもので、500円程度の追加料金で比較的ゆったりとした指定席に座れる。あれは俺もよく利用した。疲れてるときなどとてもありがたい。

比較的贅沢な移動手段であるタクシー乗り場など見ても、別段贅沢してるなあという感覚は無い。たいてい利用はバスや電車が通ってないところへの移動だしな。

俺がよく行くバンコクのジムにはプールがあるのだが、そこから周囲のアパートやコンドミニアムが見えたりする。最上階のプール付きの部屋でまったりと過ごす富裕層が目に入ったりもする。昔からさほど贅沢するほうでもない俺でも、目の前でそういう贅沢を見てしまうとちょっとうらやましい気持ちがわいて来る。

そういう「贅沢」を目の当たりして、はじめてその贅沢に興味を持つのではないだろうか。誰かがしてるのを見ないと何がよいのかもわからないのではないか。そもそもその贅沢にかかる値段すら知らないのではないか。

JRのグリーン車バンコクの映画館のように、ちょっとした贅沢が目の前にあれば吸い寄せられることはあるだろう。屋台で100円の飯を食ってる自分とガラス一枚隔てた向こうで1000円の飯を食ってる奴がいれば、それも食ってみたいと思うだろう。

車だってそうだ。いい車に乗せてもらえばその乗り心地の違いもわかる。自分もこういう車が欲しいと思ったりするだろう。

そういう贅沢をする人間が周囲にいなくなってしまったのではないか。贅沢をしてる人間を目の当たりにする機会があまりに少ないのではないか。

そしてなぜ贅沢をする人間が隠れてしまったのか。いなくなったわけじゃないはずだろう?

メディアだってそうだ。セレブだかなんだか知らんが、あまりに生活水準の違いすぎる人間ばかり紹介してないか。視聴者層が自分でもできる贅沢を紹介してないんじゃないか。

俺は無粋者でそうした贅沢にも疎いのだが、それをさっぴいても日本でできる贅沢というのがあまりに思い付かなさすぎる。シアトル系カフェなどにありがちなゆったりしたソファでくつろぐというだけでもいいのに、なぜ日本ではいまひとつ落ち着かない雰囲気になるのだろうか。

割と好きな喫茶店が新宿にあるのだが、そこはとても落ち着く。けどコーヒーが1杯1600円くらいしたと思う。もちろんそれだけの価値はあるのだが、そこまで出さないとくつろげないというのもちょっとおかしいと思う。

ベトナムサイゴンに滞在してたときは毎日あちこちのカフェに行ってたのだが、そのどれもがとても落ち着く空間だった。値段はだいたい25,000ドン程度で、120円相当くらいだろうか。ベトナム人にとっては決して安い金額ではないが、そう高くもない。1回の食事とそう変わらない料金であることを考えれば、日本人にとっての500円や600円程度の感覚なのではないだろうか。

それでいてゆったりと座れ、落ち着いた雰囲気、洒落た内装、場所によっては生演奏が聞けたりもする。なんとも贅沢な空間だ。

やはりJRのグリーン券がやはりその程度の金額であることも考えると、やはり「数百円の贅沢」という市場が掘り起こせてないというのもあるのではないだろうか。

そりゃあもちろん将来不安でお金を使いたくないというのもあるだろうが、可視化されてない贅沢は認識できないし、手軽に手を出せる贅沢も見当たらないんじゃ、消費しようがないんじゃないだろうか。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>