なんか最近また久しぶりに「アルファブロガー」という言葉を聞くようになった。
俺の理解ではアルファブロガーというのはアルファブロガー・アワードのリストに載った人、言い換えればFPNさんがよさげなブログを書いてる人に配ってる「肩書き」だ。
ネットでは「こんな肩書きに意味なんて」みたいな意見がけっこう多いと思うし、俺もそう思ってた。けど、今はちょっと違う考えを持っている。
先日NHKスペシャルでデジタルネイティブ 〜次代を変える若者たち〜という番組をやっていた。そこで紹介されたデジタルネイティブの特徴を見て、俺はちょっと驚いた。
- 現実の出会いとネットでの出会いを区別しない
- 情報は無料と考える
- 相手の年齢や所属、肩書きにこだわらない
「それって普通じゃね?」と思わなかったろうか。正直、俺は思った。
ネットで出会って結婚なんてのは90年代にはとっくにあったことだし、ネットでであったことと直接出会ったこととの違いなんてさっぱりわからない。だいたい「ネットと現実」という区別が理解できない。
情報は無料って、いちいち課金されてたらたまらんだろうよ。だいたい有料の情報はアクセス制限があって共有しにくいから嫌いだ。
ネットでは年上の人とも年下の人とも一緒に雑談に興じたりゲームをしたりしてきたけど、話のおもしろさや能力の高さに年齢や肩書きを気にするなんて考えられない。俺をUNIXの世界に導いてくれた師匠は年下の高校生だったが、今でも彼を尊敬している。
id:sakadonなんかは彼が小学生の頃からの知り合い(当然ネットで知り合った)だけれども、中学生になるころにはCSSの知識では周囲で断トツだったし、実際にCSS関連の相談を持ちかけたことは何度もある。
しかし考えてみればだ、むしろそのような特徴を挙げられるということは、旧世界ではそういうものを気にするのがあたりまえだったということではないか。
そう、だから「肩書き」は重要。旧世界の老人たちにアクセスするためには、そういうなんらかの肩書きが必要なのだろう。
アルファブロガーという肩書きは、そのために必要だったのではないか。いくらウェブで才能を発揮しようとも、肩書きが無ければ旧世界の人々にはアクセスできない。そして国内の個人金融資産の81.3%は50歳以上が所有しているという話もある。彼ら旧世界の人々にアクセスしなければお金は落ちてこないわけだ。
お金が無ければ活動を継続するのも難しくなる。ブログをホスティングしているウェブサービス企業だって利益が出なけりゃ潰れるわけだしな。
そういうわけで、ブログを一つのメディアとして見た場合、そこに利益を発生させるための手段として、「アルファブロガーという肩書き」は必要なのではないかと、思うのである。