狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

「信じる力」が足を前に踏み出させる

この世の中、断言できる事などごくわずかだ。偉大な哲学者であるヴィトゲンシュタインは、それでもたった7つではあるが、断言して見せた。逆にこうも言う。

他方、本書に表された思想が真理であることは侵しがたく決定的であると思われる。それゆえ私は、問題はその本質において最終的に解決されたと考えている。そしてもしこの点において私が誤ってるのでなければ、本書の価値の第二の側面は、これらの問題の解決によって、いかにわずかなことしか為されなかったかを示してる点にある。

ヴィトゲンシュタイン著 野矢茂樹訳「論理哲学論考」(岩波文庫版) P11

「いかにわずかなことしか為されなかったか」。ヴィトゲンシュタインほどの哲学者をもってしても、たったこれだけしか語り得なかったということに、始めて本書に触れた20代の俺は愕然とした。

それからしばらくたって、俺はいかに「断言する」かを考えるようになった。どうせ明晰に語り得ることなど極々わずかなのだ。しかしおおよそ間違いないことや、自分がそう感覚したこと、自分が「信じる」と決めたことなどは、断言するようにした。

そうでなくては、前に進めないからだ。

いま歩んでる道は間違えてるかもしれない。さっきの分岐点は、逆を行くべきだったかもしれない。しかしそれは考えても始まらない。

いやわかってる。四角に見えたものも角度を変えれば丸に見えるかもしれない。でも今必要なのはそれが丸である可能性を論じることじゃなく、四角に見えたと発言することなんだ。

不安はいつもある。それをかき消す力は、「信じる」ことでしか生まれない。だってヴィトゲンシュタインですら、たった7つしか明晰に語り得なかったんだぜ? 俺らごときにどれだけ間違いないと言えるものを持てるっていうんだよ。もう、それは信じるしかないんだ。

日本のオバマになるべき人がもしいたら、間違いなく2ちゃんねらやってるだろうなという話という記事。

2ちゃんねるというのは、そういう社会の最前線の中で中核を担っている世代の声を代弁している側面もあって、その世代が自分の皮膚感覚に添って組織を動かせていないジレンマが噴出している場所であるようにも思える。

その世代全員がネットの全てを是としているわけではないだろうが、少なくとも、何が変化しているのかはつかんでいる。そして、集中したメディアに対応してできた社会の権力構造が、それに対応できないこともわかっている。

日本のオバマになるべき人がもしいたら、間違いなく2ちゃんねらやってるだろうなという話 - アンカテ

2ちゃんねるは俺も嫌いじゃないし、けっこう見に行く。だが決定的に行動力が足りないなと思うこともある。まれにゴミ掃除やら被災地への救援物資やら行動を起こす源動力になったりもしてて、俺も微力ながら参加(といっていいのかもわからんほどほんのちょっとだけども)させて頂いたこともあるのだが、そういった時に決まって出てくるのがこのフレーズだ。

しない善よりする偽善

この言葉自体は素晴しいと思うんだが、そうやって少し斜めに見てやらないと行動できないのがもどかしく思う。

いや、気持ちはわかる。信じろと言われた事は裏切られ、信じてる人間ほど騙されてるのを見てるんだろう。

       いいか、みんな
        (゜д゜ )
        (| y |)

      信じる者と書いて信者
       信  ( ゜д゜)  者
       \/| y |\/

    二つ合わされば儲けるとなる
        ( ゜д゜)  儲
        (\/\/

 つまり儲けるには多くの信者が必要と言うことだ
        (゜д゜ )
        (| y |)

これはよく2chで見掛けるコピペだ。

これだけじゃなく「信者」という言葉は2chじゃもはやダメな人の代名詞。信じたら負けなんだろう、彼らの価値観では。

疑うのと信じるのとは交互に行われなければまったく意味が無い。疑ってばかりでは何も行動できなくなるし、信じるだけでは間違いを見付けられない。

なんでもいい。自分が信じられないなら他人を信じればいい。他人が信じられないなら自分を信じればいい。過去の人物でも伝説上の人物でもラノベの登場人物でもその一部でもなんでもいい。

とにかく信じて、前に進む事を考えよう。考えるべきは疑うことじゃない。どうやって一歩前へ、歩き出すかだ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>