ぽつりぽつりと、OpenOffice.orgやLinuxデスクトップが進出し、脱マイクロソフトの様相を呈している。
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これは非常にいいことだ。貴重な予算をわざわざ海外(そう、マイクロソフトはアメリカ企業だ)に流出させる事もなくなるし、サポートで地元のIT企業に金が回るだろう。
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この記事にあるような経費削減のメリットもあるはずだ。
この記事は非常に興味深くて、職員の生の声がそのまま公開されてる。印象に残る言葉がたくさんあったのだが、「今まで作って来た文書は問題無く読めるのか」というのが一番大きく印象に残った。
なぜか。
俺自身が「作った文書がソフトのバージョンをあげたら読めなくなった」という経験をしたからだ。
いや、いちおうは読み込めたのだがレイアウトはめちゃくちゃ。本当に悲しかった、あれは。バージョンあげただけでこの仕打はなんなの、もう。
それはもう10年以上前のことなのだが、苦労してレイアウトした文書だっただけに、その時の悔しさがずっと残っていて、それ以来ソフトウェアにお金を出す事はほとんど無くなった。極力汎用の文書形式で保存し、アプリケーションが変わっても読み書きできるようにしておくように、今もしている。
そう、ソフトウェアなんてのはこんなものなのだ。俺はこういうポリシーだからWordやExcelはほとんど使わないが、やはりバージョンが変わるとレイアウトがくずれる、マクロが動かなくなるといった話がちらほら聞こえて来たりしている。
そう、WindowsやExcelが無くなったって困らないのだ。だってどのみちバージョンがあがったら保存してた文書がまともに読み込めなくなる事だってあるのだから。そんなものに依存してしまった事がすでに「負け」なんだよ。
だからOpenDocument形式(ODF)というISO標準のオフィス文書形式が生まれたわけだ。ISO標準に準拠してさえいればいいのだから、ソフトウェアはなんでも構わない。CSV形式などのように、どのアプリケーションでも読み込める形式になっていくはずだ。
こういう標準化された形式以外で保存してしまった時点で、もう敗北は決定している。バージョンが上がったり何かの都合でそのアプリが使えなくなったりするシチュエーションを想定してなかったわけだからね。標準化されてないにせよ仕様がきちんと公開された形式なら他の実装を作ることもできなくはないが、非公開では本当に何もできやしない。
「MSは潰れないから永遠に読み込めるよ!」
そんなこと言う輩は歴史を知らなさすぎる。そのMSの天下も一太郎やロータス1-2-3といった以前の「天下人」たちを撃ち破って作られて来たのだ。永劫かと思われた徳川幕府も黒船によって崩壊が始まったように、永遠の天下なんてものは存在しないのだ。
自分が何に依存してしまっているのか、もう一度よく考えるがいい。