狐の王国

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社会学者とキレンジャーの錯誤

小宮友根准教授の記事に非難轟々。「初手から飛躍した議論」「ジェンダーフェミニズムの屁理屈は本当に害悪」「根本的に誤り」 - Togetter というまとめ。炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根,ふくろ) | 現代ビジネス | 講談社(1/9) という記事へのお怒りの言葉が集められている。

当該記事に対しては先日ここでも紹介したヌスバウムによる性的モノ化の基準を持ち出してきたところは称賛したい。実のところこのヌスバウムの基準にあてはめればこれまで放火されてきたキャラクターや宣伝のほとんどは性的モノ化にすら該当しないことがわかるだろう。

さて非難の集まってる当該記事に関しては、対話を呼びかける言葉とは裏腹にいわゆる「オタク」層に対する差別と偏見を扇動してる側面がある。それをここで説明していこう。

まずわかりやすいのはコレだ。

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社会学者の考えるゲームにおける男女の描き方

炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根,ふくろ) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)

男性キャラはしっかり防具をつけ、女性は無防備に無意味な露出をしているという図。多くの人々が「あーあるある、ありがちだよねえ」と思うかもしれない。

本当にそうだろうか。

実際にこのような「鎧を着込んだ男性」と「ビキニアーマーのような露出の高い女性」をキャラクター選択画面で提示されるゲームのタイトルを1つでも2つでも挙げられる人はいるだろうか。少なくとも俺には思い当たらない。せいぜい80年代のドラゴンクエスト3の戦士キャラくらいのものである。そのドラゴンクエストでも最新作である11では8人の主要人物のうちマルティナとカミュという男女2人が露出高い担当であり、やはり男女の偏りはない。マルティナの露出に関しては以前に書いたこともあるのでそちらも参照して欲しい。

だいたいいまどきのゲームは初期装備はシャツとパンツがあるくらいで、いきなり立派な鎧を与えられてスタートするゲームなんて普通はないものだ。

記事中でも言及されているビキニアーマーは古典どころか当時から「防御力はどこにあるのか」といったツッコミが多数あり、80年代中にはもはやネタ的なものでしかなかったはずだ。1992年に発行された「スレイヤーズすぺしゃる ナーガの冒険」ではビキニアーマーを着た白蛇のナーガという人物の時代錯誤というか狂乱っぷりが笑いたっぷりに描かれている。

とっくに廃れた描写のはずなのである。

キレンジャーの錯誤

ソフビ魂シリーズ キレンジャー

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キレンジャーの錯誤」という概念がある。戦隊モノのイエローはカレーが大好きで太めであるというのが「定番」であるというように、実際にはほとんど存在しない事例を「定番」や「お約束」と理解してしまう錯誤のことだ。実際にはカレー好きのイエローというのは初代キレンジャーだけのはずで、2代目のキレンジャーにはカレーの描写はおそらくなかったはずである。それ以降の戦隊モノでもカレー好きのイエローがいた記憶はない。小林亜星演じるバルパンサーの父親がカレーにうるさかったくらいではなかろうか。

ちなみに初代キレンジャーのカレー好きはすさまじく、1話で「カレーを4つくだされ」と注文し「うちのカレーは大盛りだ、2つにしときな」「いいや4つお頼みもうす」というようなやりとりがある。これは映画ブレードランナーの「2つで十分ですよ」「No four, two two four」というやり取りの元ネタなのではないか、という説もある。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

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こうしたキレンジャーの錯誤として有名な事例に、食パン少女というものもある。食パンをくわえて「遅刻、遅刻」と慌てて家を飛び出るという少女漫画の「定番」の表現だ。

いまは web archive にしかない 遅刻する食パン少女まとめ という記事に詳しいが、実際にはこのような少女漫画は存在しなかったようだ。なぜか我々人類は数少ない事例しかないものや見たこともない表現を「定番」だとか「ありきたり」だとか認識してしまう能力があるというわけだ。

こうした能力はおそらく偏見や差別心の形成に多大な影響を与えている。「オタクが好む作品は女がモノとして扱われてる」なんてのはまさしくそうしたキレンジャーの錯誤からの差別心の形成であろう。

「明白かつ現在の危険」のあったオタク差別

「オタク」(おたく)は、差別目的語であった - Togetter という記事で引用されてる当時の空気感を伝える漫画群、いわゆるオタクという属性に「明白かつ現在の危険」が存在したことを指し示している。いわゆるヘイトスピーチにおけるブランデンバーグ基準をおそらくは満たした状態で、テレビや新聞などのマスメディア、ひどいときは学術論文の場ですら偏見を垂れ流され、差別を扇動されてきた。なかには「オタク狩り」と称して買い物に街にでかけたオタクを狙った強盗、大阪日本橋秋葉原を中心にずいぶん発生していたようだ。

そうした状況がマシになってきたのはせいぜいこの10年程度のことであり、それも不景気によってオタクくらいしか消費を続ける人たちがいなくなってしまったので扱いが良くなったというだけである。

ろくに事例もないようなものを「ありきたりの表現」であるかのように作例し、意図したかしないかはともかくオタクやオタク文化への差別を蘇らせるある種の扇動として小宮准教授の記事は存在している。だからこそ多くの非難があつまるのである。

ちなみに国産ゲームとしては昨年1200億円を売り上げ、現在はほぼサブカルチャーとしてはメインストリームといえる Fate/Grand Order における代表的なキャラクターはこんな感じである。

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FGOにおける代表的な男女のキャラクター

元はポルノゲームのメインキャラクターでもこんな感じなのである。「無意味な露出」は男女ともに存在したりしなかったりしていて決して偏ってるということはない。いわゆる体型が服の上から明確にわかる「乳袋」に関しても、服の上から腹筋のシックスパックが見える男性キャラクターなんてのもゴロゴロしている。そこに男女の偏りがあるようには見えない。

女性キャラの露出に関しては性的モノ化からの批判よりも 「闇落ちヒロインがエロくなる」問題の差別性 から批判するほうがフェミニズムとしては筋が良いのではなかろうか。これももはや廃れつつあるが。

「顔のない女」という事例の存在しないものの例示

小宮准教授の記事がたいへん悪質だなと思うのは他にもある。

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存在しない「顔のない女」という例示の図

炎上繰り返すポスター、CM…「性的な女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根,ふくろ) | 現代ビジネス | 講談社(1/9)

このような顔を消されたキャラクターが描かれた事例が、この数年間の炎上であったことはない。みなきちんと顔が描かれてきたし、乳首が浮き出てるような凹凸があったものも一つもない。肌にツヤを書くことや関節にハイライトが入ることによる性的部位の強調などという主張にいたってはまったく意味不明である。最近のこうした絵はほとんどコンピュータ彩色であり、この歴史は非常に浅い。個人の持てるコンピュータで印刷に耐えられる絵が描けるようになったのもこの20年程度のことであり、1000年近い歴史のある油絵具や、紀元前から存在すると言われる水彩に比べ、表現がまだまだ多様化してるとは言い難い面はある。それにしても性的部位の強調というにはあまりにも強引すぎやしまいか。

他にも性的なメタファーとして「髪をかきあげるしぐさ」があげられてたのは他の方からもツッコミが入っていた。

棒アイスやバナナを性的なメタファーとして利用してたのは昨今の絵ではなく、80年代のアイドル写真集である。確か榊原郁恵だったと思うが、いつぞやのテレビ番組において、写真集の撮影で棒アイスやバナナをなぜか目を閉じてくわえさせれたことに大変怒っているのを見かけたことがある。同意してた同時代のアイドルたちがいた覚えもあるので、おそらくは実際にありがちだったのであろう。何も知らない少女に黙ってそういうポーズを取らせたのだからその怒りはまさしく正当なものであるし、なんなら一緒に非難しにいってもいい。だがそうしたものをなぜかゲームやアニメの定番であるかのように「キレンジャーの錯誤」をするのであればこちらも怒らざるを得ない。それは先述の通り苛烈なオタク差別の歴史を蘇らせるものだからだ。

対話をするなら差別を扇動してはいけない

記事の最後に議論の出発点に立ったなどとして対話を呼びかけているが、それならばまずはこれまで説明してきたような差別扇動をやめるところから始めてもらいたい。自覚はないのだろうが、まるでありもしない在日特権を非難しながら対話による解決を呼びかけるネトウヨのようではないか。よもやこんなことが俺がヘイトスピーチを学んだ本の共訳者のひとりから向けられるとは思いもよらなかった。非常に残念である。

ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか

ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか

ちなみに Twitter でも端的にこうした誤認を指摘するのに画像を引用したのだが、権利者削除になったようだ。正当な引用であり記事への批判として必要なものだったはずなのだが。この記事で引用してる画像も必要かつ正当な引用であると認識している。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>