狐の王国

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シン・ゴジラ、裏切りの庵野秀明が描く「チーム戦」

いまさらながら映画「シン・ゴジラ」を見てきた。ここ数ヶ月は珍しく余裕のない日々を過ごしていて、事前情報から情報量のやたら多そうなこの作品を見る体力がなく、なかなか見にいけてなかった。様々なタスクをうっちゃって体力回復に努め、多少は回復しつつあるのだが、今日はあまりにも疲れてしまったので近くの温泉銭湯にでもいくつもりだった。しかし風呂にはいるには時間が早すぎたので、ネタバレ回避し続けてるのもめんどうになったので思い切って見に行ったというわけである。

しかし予想通りではあるのだが、これを楽しむほどには体力が回復してなかった。膨大な情報量、メッセージ、オマージュ。とてもじゃないが受け止めきれる量ではなかった。

ご存知の通り、監督の庵野秀明は天才アニメーターである。


Hideaki Anno Short Film 庵野秀明 自主制作アニメ2 じょうぶなタイヤ!

こちらは庵野秀明が学生時代に作った有名なパラパラ漫画だ。これを見てもわかる精緻な「破壊」の描写、躍動感ある動き、これを10代で描き上げたというのだから天才としかいいようがない。

20年ほど前のことだ。俺は劇場で呆然としていた。おわかりだろう。「劇場版エヴァンゲリオン」の話である。庵野秀明が前代未聞のテレビシリーズ「新世紀エヴァンゲリオン」を完結しそびれ、その尻拭いとして作られた2つの劇場版。映像の中に唐突に現れるスクリーン側から見た映画館の客席どれだけの人間が憤慨したことだろうか。

あんなハチャメチャな映画を見せられたあと、実写映画を撮るなどと言われてもまったく期待しようがなかった。「ラブ&ポップ」も原作は読んだが映画は見なかった。「キューティーハニー」も無視した。80年代に作られた「トップをねらえ!」はやっぱりいいなと繰り返し見た。この頃の庵野はやはり最高だったなと思いながら。


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だから「新劇場版ヱヴァンゲリヲン」の時は戸惑った。あの呆然とした日から10年、旧エヴァから離れてエンターテイメントに徹した「ヱヴァ」に、興奮しつつも戸惑うしかなかった。新劇場版3作目の「Q」の公開前、スタンディングオベーションをしようなどという声が広まっていったのには本気で狼狽した。おかしいだろう。「エヴァ」はそんな映画じゃない。俺が1997年に憤慨した「エヴァ」はそんなんじゃなかった。

庵野秀明は裏切りの監督だ。必ず期待を裏切る。良くも悪くも裏切る男だ。

完結を望んでいた旧エヴァは「気持ち悪い」の一言で終わらされた。新劇場版はなぜか娯楽に徹した。じゃあ娯楽作品としてのエヴァを楽しんでやろうかなんて思えば「Q」である。完全に旧エヴァに戻っていてなお発展した「Q」は、娯楽作品としてのエヴァを期待した気持ちも、昔のエヴァ完結を期待した気持ちも、すべて裏切られた。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の予告で締められた「Q」は、また旧劇場版のあの気持ち悪さ、居心地の悪さ、憤慨の気持ちを蘇らせた。ああ、でもこれが「エヴァ」だよなあと、懐かしい気持ちで劇場を後にした。スタンディングオベーションなんて言ってた奴らには「ざまあみろ、これが庵野なんだよ、エヴァなんだよ!」と言ってやりたかった。

そして「シン・ゴジラ」である。実写? 「シン・エヴァ」じゃなくて「シン・ゴジラ」? 何言ってんだこいつ。本当にそう思っていた。

だがよく知られてるように、庵野秀明は特撮マニアでもある。学生時代に自らウルトラマンに扮した作品は実に見事だったし、それに打ちのめされた同級生で漫画家の島本和彦の自伝的作品「アオイホノオ」にも出てくる。

アオイホノオ(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

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俺が大好きだった「トップをねらえ!」は宇宙怪獣とロボットの戦いだったし、「エヴァンゲリオン」もまた謎の怪獣(使徒)とウルトラマンに似せたロボットが戦う話だ。特撮の影響を強く受けた庵野作品たちの映像はすばらしかった。

今時「特撮」といっても、着包みとミニチュアで撮影なんてほとんどないだろう。「シン・ゴジラ」はコンピュータ・グラフィックスで描かれていた。つまりアニメだ。これは期待できるかもしれない。そう思った俺は劇場で見ることを決意していた。

そして裏切られた。

庵野秀明エヴァで見せてきた軍隊の描写や怪獣の描写はたいへんすばらしい。だから自衛隊がガンガン撃ちまくる映画を期待するに決まってるじゃないですか。

ところが出てきたのは会議会議会議、ひたすら会議。そのなんとおもしろいこと。

思えば「トップをねらえ!」の頃からやたら会議の描写が細かった。そうだ、これも庵野だ。わけのわからん偉いさんたちがぐだぐだと決まらない会議を続ける描写。それをなんとリアルに描くのか。

どうやら丹念に取材をしていたようで、自民党小池百合子氏や民進党枝野幸男氏などにも協力してもらっていたようだ。特に枝野幸男氏はあの「3.11」当時の内閣官房長官である。それはそれはたいへんリアルな話が聞けただろう。

「怪獣」は自然災害だ。それを描くのについ5年前に実際に起きた未曾有の自然災害を参照しないはずがない。「3.11」を経験した我々は、「3.11」を抜きに「怪獣」という自然災害を考えることなどできはしないのである。

シン・ゴジラ」の話のプロットとしてはそう珍しくはない。落ちこぼれたちの寄せ集めチームが、その極端な能力を活かして未経験の危機に立ち向かう。だが彼らに当たるスポットはさほど明るくない。未来の総理を狙う若手政治家を主人公に据えてはいるが、それもさほどスポットが当たらない。この映画が描くのは個人じゃない。チームなのだ。

20年前に「オタクは現実に帰れ」と空振りのメッセージを送ってきた庵野秀明は、「シン・ゴジラ」では「チームで戦うこと」「決して諦めないこと」をぶん投げてきた。あの「国電パンチ」のためにどれだけの根回しと協力を得たのか、描かれてない「チーム戦」はたくさんある。

トップをねらえ!」では主人公とその先輩が、心を通じ合わせることで強大な力を発揮した。「エヴァンゲリオン」でもひとりぼっちの碇シンジは弱かった。アニメは一人じゃ作れない。チームの大切さは、庵野秀明自身が一番よく身にしみてるのではないだろうか。

劇中に「日本は何度もスクラップ&ビルドして立ち上がってきた」という台詞がある。150年前の明治維新、70年前の敗戦、確かに日本はボロボロに壊れて作り直して、そのたびに強くなってきた。

明治維新や敗戦に等しいカタルシスをもたらすのは「ゴジラ」だ。我々はゴジラに破壊されなければならない。庵野秀明もまたゴジラに破壊された。「メカと美少女」のアニメから離れ、戦争と災害のリアリズムに立ち向かった。

そこからビルドしてくる「シン・エヴァンゲリオン」はどんな映画になるのか楽しみでしょうがない。

「チームで戦うこと」「決して諦めないこと」。それはどんなときにも言えることだ。孤独の中、戦える人間なんていやしない。我々はよいチーム作りからはじめなくてはならない。

そう、例えば眼の前の家族や同僚と「チーム」でいられていますか?

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>