狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

アニメの女の子がかわいいなんて大嘘

TVアニメ「SHIROBAKO」が先日完結した。とはいっても放送日程は様々なのでまだ最終回が見られない地域もあるだろうと思う。

「SHIROBAKO」はハルヒまどマギのような大ヒット作にはならないかもしれないが、いろんな意味で歴史に残る名作であると思う。アニメ制作現場を舞台にしたアニメという点では、やはり制作進行が主人公の大地丙太郎監督作品「アニメーション制作進行くろみちゃん」を彷彿とさせるが、高校時代に夢を誓い合った5人の少女たちを軸にした群像劇として描かれ、SHIROBAKOの世界と現実をつなぐ「お仕事」と「お酒」という記事にもあるように、非常に日本的な「飲みニケーション」を描いた作品でもある。これに共感できるのは仕事を経験し、お酒が身近になった大人であろうし、そういう意味では明確に「大人向け」のアニメである。

さてこの「SHIROBAKO」という作品についてもっと語りたいところであるが、今回はこのアニメを見ていて気付いたことを一つ書き残しておきたい。

それは、「主人公の宮森あおいはかわいくない」という事である。

性格が? 見た目が? 好みの問題じゃなくて? いやそういうことではない。武蔵野アニメーションの制作進行として働く宮森あおいという新人が、「かわいい女の子」として描かれてないという事なのだ。

SHIROBAKO 第1話

物語上、制作進行である宮森あおいはクリエイターたちの間にたってスケジュールを調整し、制作を管理する。ソフトウェア開発におけるプロジェクトマネージャーのような存在である。そうしてあちこちで年齢層も性別も様々な人たちと交流していくのだが、誰も宮守あおいのかわいらしさには言及しない。そのかわいらしさが仕事上の武器、あるいはハンディキャップになることもない。あってもおじさんたちが二十歳そこそこの若い子をかわいがる程度であって、そこは外見とは無関係だ。

SHIROBAKO 第2話

SHIROBAKO 第23話

対して上記に引用したのは劇中で制作されるアニメの主役を演じるアイドル声優である。アイドルなのだから当然「美人」「かわいい」が表現されている。が、明らかに主人公より目が小さく、目立たないように描かれてる。またキャラクターデザインとしても彩度が落ちていて、明らかに主人公格の登場人物ではない。

これは劇作上の都合である。主人公は少なくとも画面上は目立っていないといけない。目を引くデザインにしておかなくてはならない。そのためにかわいらしく描かれるが、劇中でかわいいわけではない。

こうしたことはなにもアニメだけの話ではない。例えば今期話題だった問題のあるレストランというドラマがあるが、5人の女性と1人のゲイ男性がレストラン経営に乗り出す物語だ。5人の女性はみな人目を引く美人揃いであるが、劇中でやはり美人として描かれていない。実際に彼女らがレストランを経営していたら、「美人すぎるなんとか」なんてタイトルが付けられて雑誌やネットの記事になるだろうし彼女らを目的にした男性客が出てくるだろう。だが劇中ではそのようなことは起きないし、それを疑問に思う視聴者もいない。

特に絵の世界は、絵の「世界観」とでも呼ぶべきものがある。以前、登場人物がみな小学生にしか見えないほど幼い絵柄の漫画を読んだことがあるのだが、ストーリーを読んでいくとなぜか彼らが大学生や社会人に見えてくるのがとても不思議だった。幼く見えるのは「絵の世界観」、あるいはコンテキストが共有されてないからだ。ストーリーを追いかけるうちにそれらが共有され、設定年齢にあった人物に見えてくる。

よく「アニメの女の子はみんなかわいい」と言う人がいるが、実はそうじゃない。かわいらしくデザインされてるだけであって、実際にかわいいとは限らないのである。それは「絵の世界観」に入り込み、コンテキストを共有してはじめてわかる。

上記のアイドル声優との対比によって、宮森あおいは「幼さを残した若い女性」になる。幼さ故のかいわらしさはあるが、アイドルのようにかわいいわけじゃない。いたって普通の、女の子から大人の女性になる過程のキャラクターになるのである。

そんな普通の、だが夢を持った一人の人間の成長物語としても、「SHIROBAKO」はたいへんすばらしい作品だったと思う。これからの人生で、ときおり見返したくなるアニメのひとつである。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>