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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

理想は実現するものではなく、定規にして測るもの

理想の社会なんて信じるのはやめましょうという記事。理想社会を実現しようとすると理想のために暴力や破壊活動を許容してしまいがちだよね、という話。まあ実例は枚挙に暇がないのも確か。

「理想」というのを「実現すべきもの」だと考えている人は多い。しかし、理想というものがなんなのかを考えていくと、実はそうではないことに気づく。

ドラッカーのどの著作だったかは忘れたが、「正しいことを知らなくては、正しい妥協はできない」という言葉がある。理想的な状態がどうなのかを知らないと、妥協も上手にはできないという事だ。だから経営者はコンサルタントを雇い、理想的な会社の状態を教えてもらう。経営者はそこから妥協して現実に落としこんでいく。

理想とは、現実を測定するための定規のようなものなのである。

その定規をそのまま現実にしてしまうと、どうしたって無理が出る。ところがそうした完全性をなぜか求めてしまう人たちがいる。

よく自称フェミニストの人たちが性犯罪の特徴として「被害者の落ち度が指摘され叩かれる」と言うのだけれども、たいていの犯罪は被害者が叩かれる。泥棒に入られれば鍵はかけてなかったのかと言われるし、カツアゲにあえばおどおどしてるからだと叩かれる。ハイジャックくらいになるとさすがに乗客は叩かれないけど、航空会社や空港のセキュリティが問題視される。おおむね被害者というのは針のむしろに立たされるものなのである。ポイズン。

こうした「被害者の落ち度」を叩いてしまう心理はそれだけで本が1冊書けるくらいいろいろあるだろうけれども、一つに「不完全なものは悪」という認識があるのではないかと思う。

最近食品の異物混入のニュースも多かったが、そりゃどんだけ気をつけて検査してても異物を完全に除去するのは不可能だろう。ソフトウェアのバグだってゼロにすることはできない。

2011年の原発騒動の時だって、その不完全性に憤ってた人たちがたくさんいた。逆に言えば、40年も前の老朽化した原発が災害が起きても安全に動作するという完全性を信じて動作させてしまってた人たちもいたわけだ。政治家の発言の言葉尻を取り上げては叩く連中なんかも同じだろう。完璧に話せる人なんているはずもないのだが、なぜかそこを叩く。

西洋だと「神」という完全で無限な存在があって、その対称として不完全で有限な人間という認識が生まれる気がするんだけれども、日本だと神様もしょっちゅうずっこけてるのでそんな認識も難しいのかもしれない。

ともあれ人間とは誰もが不完全で有限な存在だ。そして人間が作り出すものも不完全で有限なのである。無限に動き続けるものも、ぜったいに壊れないものも、人間には作れない。決して間違えること無く動くことだって人間にはできない。

けど、だからこそ理想は持ち続けなくてはならない。理想を定規にして、現実に落としこむことをやめてはいけない。正しいことを知らなくては、正しい妥協はできないのだから。

不完全であるがゆえに、理想というのは必要なのである。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>