狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

カウンターする相手のいない日本とオタク文化

今朝方ストレッチをしていると、たまたまつけっぱなしだったテレビの音が聞こえてきた。ファッションデザイナー3人による対談番組のようだった。印象的だったのはきゃりーぱみゅぱみゅレディー・ガガのファッションに対するメディアの扱いの話だった。レディー・ガガのファッションをメディアがすばらしいと持ち上げるのはおかしいだろうと。あれは綺麗だとか美しいだとか言われたくてやってるわけじゃないはずで、あんなものはダメだと言ってくれる人がいなかったら成立しないんだという話だった。

確かにそれはそうで、レディー・ガガカウンターカルチャーであって、反抗すべき主流がいなければ過激さもなにも意味を持たなくなる。それを主流であるはずのマスメディアがよいものとして取り上げてたら、カウンターカルチャーとしての意義を失ってしまう。

アメリカではレディー・ガガLGBTといったまさにそうしたカウンターカルチャーが有効なのかもしれないが、はたと日本ではどうだろうかと考えこんでしまった。

日本のカウンターカルチャーはそれなりにあったのだろうとは思うけれど、少なくともこの20年や30年の間にカウンターカルチャーと呼べるものがあったかと言われると疑問はある。なぜなら反抗すべき主流が弱く、反抗に値してなかったからだ。

日本のメインカルチャーといえば伝統的な芸能やらなにやらたくさんあったとは思うのだが、反体制を浮き彫りにするような動きはそう見受けられるものではなかった。反体制を唱えるような集団はおおむね頭の悪そうな左翼活動であったりしてきたし、ハイカルチャーにいたっては対抗しなきゃならないほど元気だったかと言われるとそんな姿も見受けられなかった。

そもそも日本のサブカルチャーは反体制的ではなかったようにも思う。ゲームのドラゴンクエストが採用した楽曲はすぎやまこういちの手による交響曲であったし、現在ライトノベルと呼ばれるようなジャンルの走りであるロードス島戦記は、今考えるととても正統派のファンタジーだった。

我々オタクと呼ばれるような人間にしても、反体制的かと言われるとそんなこともない。オタクには思想なんてない。ただ欲望があるのみだ。

インターネットが台頭して行われてきた言論も、ブログ界隈では左派の立場にたった発言も多かったが、2chなどの掲示板では右傾化が不安視されるほど体制よりだった。

カウンターカルチャーが意味を持つのは、ハイカルチャーや体制が強いからだ。そこに対抗するための文化の力がそこにはある。ところが日本のハイカルチャーはそんなに強くない。むしろ保護が必要なものばかりじゃないか。

体制にしても悪政を敷く政治家がいるかと言われると、悪政かもしれないが本人は善意だろうしがんばってるんだろうなあと思うものばかりだし、積極的にカウンターをあてなければいけない状況というものでもない。

あえて言うならマスメディアが仮想敵であり、そのカウンターとしてのネットの言論というのはあったと思うが、それもずいぶんとマスメディアが力を失ってネットよりになってきている。

欧米諸国での現在のカウンターである反差別やLGBTの盛り上がりにしても、日本ではいまいち盛り上がらない。日本に差別がないわけではないのだが、社会的合意として差別がよくないことであることは認識されてるように見えるし、性的マイノリティに対しての理解という意味では意外に他国よりはマシなのかなと思うこともある。三輪明宏や美川憲一のような性的マイノリティの芸能人が昔から大物として日々テレビに出てきてたし、彼らが保守的なたとえばNHKのような番組に出るときに問題になるという事もない。

我が国日本の体制やハイカルチャーは、意外とものわかりがいいのだろう。だからこそ欧米のカウンターカルチャーを取り入れただけの左翼運動などがこっけいに見えるし無理筋になりがちなのかもしれない。

これはある意味狡猾である。カウンターが盛り上がれば盛り上がるほど体制というのは崩れていく。適当に理解を示しておくことのほうがカウンター側は盛り上がらないわけだ。だからこそ日本の差別はわかりにくいなどと言われてしまうのだろう。表向きは公平に扱われてるというわけだ。

海外の盛り上がりに影響されて、ではこちらもとなってもはしごを外されてしまう。なるほど狡猾だなと思う。

今の日本というのはたいへんおかしな状況で、カウンターでもなければただのマイノリティだったはずの我々オタク文化が大手を振って歩いてる状況がある。莫大な利益をもたらすスマホゲームに使われる絵はまさしく我々オタク文化由来のものだし、アニメや漫画が国の輸出産業として期待される有様だ。20年くらい前までオタクがメディアの中でも散々バカにされてきた、いくらでもdisってかまわない対象として描かれてきたのが信じられないくらいの状況にある。

きゃりーぱみゅぱみゅが表現する「かわいい」はギャル文化とオタク文化をうまく接合してるようにも見えるし、ゼロ年代にネットで流行った電波ソングの影響かと思うようなものも感じることがある。

サブカルチャーがサブのままでいられない時代に、今の日本はなっているなと思う。

それは主流を見失い、ハイカルチャーサブカルチャーもごった煮になってる日本の文化の姿がそうさせているのだろう。日本でカウンターカルチャーは成立しないということか。

おそらくこういう世界に必要なのは、わかりやすいカウンターのアイコンではなく、もっと別のアプローチなのだろう。強くて優しいリーダーに牽引される世界がおそらく望まれるのだろうが、それはもはや現代的ではない。

この解決は日本のみならず、アジア全域に必要とされるようにも思う。民主的なボトムアップから自分自身で壁にぶつかっていくような環境で、一人ひとりが体験を通じて理解を深めるようなやり方でなければいけないのかもしれない。だとしたら、それが実現できるのはコンピュータとネットの世界か、あるいはゲームかもしれない。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>