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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

ニワカのうちに語っておけ

アメリカとはなんぞや?という記事。

人間というのは不思議なもので、物事を深く知れば知るほど「語れなく」なっていく。

  • 確かに一面ではそうだけど例外もあって……
  • いやこういう見方をするとそうとも言えないし
  • 実はそれにはこういう裏があってね
  • うんまあ2〜3年前はそうだったんだけど今は……
  • いやそれは正しいんだけど、正しいんだけどーーー
  • あああもうめんどくさい、ぜんぶ網羅して語ってたら日が暮れる。俺はそんなに暇じゃない!

かくして識者からのアウトプットというのは得がたいものになっていく。

そもそも考えて欲しい。日本国内も相当に多様だ。東京の常識は大阪では通じないし、北海道民の考え方は沖縄民の人たちとは似ても似つかないだろう。東京23区内ですら移民が多い大久保町やら怪しげな新宿三丁目などいろいろある。東京育ちでも東京を本当に知っていると言える人はそうそう居ないんじゃないだろうかと思う。そう考えると、よくある「知れば知るほど自分の無知を知る」というよくあるセオリーに該当するんじゃないと思う。

アメリカとはなんぞや?

そう、知識とは知れば知るほど無知を知るものだ。ひとつの謎を解くとみっつの新しい謎が生まれる。世界とは本当におもしろくできている。

しかし知っても知っても奥があるのだ。どこかで人はアウトプットを出さなくてはならない。

読解いやな法則: にわかな奴ほど語りたがるという記事がある。2005年の記事だが、これを読んだ俺はたいへんな感銘を受けた。俺は略して「にわかの法則」と呼んでいる。

確かに知ったばかりの知識というのはなぜか人に語りたがる。

よく在米日本人やちょっとアメリカに留学したような人たちがよく「アメリカが~~」なんて言っている。しかし彼らの内何人がこの国の複数ある地域の全てに住み、その中にある数多くのコミュニティや各階級の内で時間を過ごしたのだろうか。ひいき目に見てもそう多くは無いだろう。

アメリカとはなんぞや?

これも「にわかの法則」のひとつだろう。ちょっとしか知らないにわかだからこそ語りたがるのである。

しかし俺が「にわかの法則」に受けた感銘はそこではない。

一方、知人は「論文は少しでも成果が出たらすぐ書き始めるに限る。しばらく経つとぼろが見えたりしてどうでもよくなって、書かなくなるから」という習慣を確立して生産性を高めていました。こちらは「にわかな奴ほど語りたがる」のポジティブな応用例と言えそうです。

読解いやな法則: にわかな奴ほど語りたがる

そう、「アウトプットはにわかのうちに」という裏の法則があるのだ。思い立ったらすぐ書く。知ったことはすぐ書く。鉄は熱いうちに打て、知識を得た興奮を燃料にしてアウトプットするのだ。

にわかはアウトプットのチャンスなのである。

けど自分が知るアメリカのごく一部の本当に恵まれたところだけを見て「アメリカは~~」と語るのは、語る本人はどうでもいいとしても聞き手、読み手に対しては無責任だ。決めるのは当人の責任だが、誤発信は発信元の責任だ。

アメリカとはなんぞや?

それもいいじゃないですか、と俺は言いたいね。なんせ深く知れば知るほど語りえなくなる。アウトプットが出てこなくなる。情報はゼロよりイチが絶対に正しい。たとえそれが間違った情報でも、ウェブには自浄作用がある。間違った情報は誰かが上書きしたくなるのだ。そうすると「この情報は間違ってる」という情報が残る。

こんな変化の激しい時代だからこそ、情報はどんどん消費されていくべきだ。そのためには大量の「にわかのアウトプット」が求められる。

ウェブはみんなで作るものだ。正しさなんて検索エンジンの精度向上に任せておけばいい。とにかく情報を出すことが大事なのだ。

さあ、今日のにわか知識を Twitter や blog に書いていこう。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>