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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

なぜ日本は息苦しい国なのか

表題のようなことはもうずっと昔から考えていた。なぜ自分は母国にいながら周囲となじめないのか、息苦しいと感じるのか。そしてそういう人々はどうも自分だけじゃないらしい。この国はどうして息苦しく感じる人たちを一定率生み出してしまうのか。

一つはその同質性にあるとは前々から考えていた。おまえがゆく道は俺の来た道。みなが同じ道を歩むから、前を歩くものは後ろを歩くものに行先にあるものを教えられる。同じ道を歩いてるから、言わなくてもわかる。いわゆる空気読みというやつだ。

だから違う道を歩くことは彼らには信じられない。一緒の道を歩いていれば手をさしのべることもできるから一緒の道を歩こうと言って来る。それは彼らなりの親切心なのだろう。

おまえのゆく道は俺の知らぬ道、俺のゆく道はおまえの知らぬ道。そうしたことが彼らにはどうも理解できないようだ。だからはみ出したものを型にハメようとする。知らない道へ歩きだそうとするのを止める。

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

ほぼ日刊イトイ新聞 - 「しがらみ」を「科学」してみた。という記事が連載中である。ここにもいくつか息苦しさの要因が語られている。引用してみよう。

山岸 このことも、一般的な常識と反しているように聞こえるかも知れません。 なにしろ日本は長らく「安心で安全な国」と言われてきたし、終身雇用制度などもみんなでリスクを減らそうという試みの一環だと思われてきましたから。

糸井 そうですよね。
山岸 ところが、わたしは、完全に逆だと思っています。
(中略)
山岸 終身雇用制の会社ではたらいている限りは、雇い続けてもらえます。 だから、その意味ではリスクは低い。 でも、病気やちょっとしたアクシデントでそこから外れてしまうと? かなり「やり直ししづらい社会」なんです。

糸井 日本の社会は。
山岸 これ、リスクとしては、ものすごく大きい。
糸井 そうだ‥‥そうだわ。
(中略)
山岸 他方で、アメリカの社会では、ミスをしてしまったり、能力が足りてなければ割と簡単にクビを切られます。 が、そうなっても「別の職場を探せばいいや」と思える。 つまり「再雇用の労働市場」がきちんと機能し、確立してるってことなんです。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 「しがらみ」を「科学」してみた。

このことは id:elm200 さんを始め、我々が繰り返しここ数年語って来たことでもある。雇用の流動性がないがゆえのリスクの大きさという側面。レールをはずれられない、違う道に行くことができない恐怖。

「おまえがゆく道は俺の来た道」の原点はもしかしたらこういうところにあるのかもしれない。

我々のように「みんなと同じ道」を歩めない人は、自然と日本ではマイノリティになる。勘違いした妙な噂をたてられることもあれば、とんちんかんな説教も受けるハメになる。理由は「みんなと違うから」である。

人間とはそもそも多様なもので、俺が嫌いなものを好きな奴もいればその逆もある。倫理的にどうなんだと思うようなことでも、それが成立してる関係があって幸福があるならそれは口をはさむようなことではないし、俺がそこに巻き込まれる理由もない。

「おまえのゆく道は俺の知らぬ道、俺のゆく道はおまえの知らぬ道」だからだ。

「おまえがゆく道は俺の来た道」の人々はどうも「嫌いだから触れないけど、おまえが触れる分にはかまわない」という態度が理解できないらしい。そういう態度を取ると存在を否定されたかのように激昂する人すらいる。

同じものを好きになり、同じものを嫌うのは、一体感がある。仲間だと認識できる。そういう相手と出会えることは、とても素晴しいことだ。だがすべて同じものを好きになり同じものを嫌うわけじゃない。同一人物ではないのだから、違うものが好きだったり、違うものを嫌ったりすることがあるのは当然だ。それは比率の問題でしかない。

別々の道を歩んでいても、たまには同じ道になることもある。そのときは助け合えばいい。いつも一緒ではないけれど、共感できることもないかもしれないけれど、尊重しあうことはできるはず。

だからまた同じ道になったとき、同じ酒を酌み交わそう。違う道を歩いていても、友達は友達だ。

共に歩むだけが友情や愛情ではないはずだ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>