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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

いつか孤独死する自分と、土の家の家族

タイ王国北部、新都の意味を持つチェンマイという古都に ディンディーという名のカフェがある。チェンマイ大学美術館の敷地にたたずむ、土のドームで作られたカフェだ。

オーナー兼店長の日本人女性はとても素敵な方で、その手から生み出される料理は日本をベースにしながらも日本食ではなく、かといってタイ・ローカルにも染まらない、深くて素朴な味わいを提供してくれる。

昨年たまたまこの店を訪れて以来、すっかり虜になった俺は、再訪の機会を伺っていたのだが、ようやく来ることができた。うれしいことにオーナーさんも俺のことを覚えててくださり、帰り際に「よろしければ」とひとつの案内状を手渡してくれた。


11月5日土曜日よりカフェ・ディンディーを舞台に開催されるギャラリー「Family」の案内だった。

家族。イラストレーター戸田桃子さん、アイアン・アーティストのルカーさんというご夫妻と、その息子さん、娘さん。4人の家族。

その4人が、土の家に自身のアートを飾り付ける。その開催パーティに、チェンマイで暮らす人々が集まって来ていた。日本人もタイ人もハーフもいた。それぞれが家族だった。

故郷の家族、共に暮らす家族。そしてきっと、ここに集まるひとつの村としての家族も。初日は4人の家族が揃って、挨拶をしていかれた。そこで読まれた息子の視点から描かれる詩は、ひとつのテーブルに集う家族のあり方を、淡々と、そして深く読み上げた作品だった。俺はその姿に、涙を堪えるので必死だった。

挨拶が終ると、ルカーさんの友人というオカリナ奏者が、心地よい音色を聞かせてくれた。著作権とか演奏権とかじゃない、楽しむとか楽しませるでもない、ただそこにいる人々とひとつになる、そんな音色だった。

アーティスト、芸術家、作家。そんな日本語が生み出す印象とは違う。もっと地に足が付いてて、根を張って、人と人との間に静かに入り込んでいく。アートというのは変人の言い訳でもなければすかしたオシャレでもなく、ましてや別世界の話でもない。日常に根差し、土にまみれ、共同体の中に深く根をおろしていく。

本物のアーティストとはこういう人たちのことを言うのだろう。

彼らはその生き方と生活と作品をもって、家族を表現してる。それはてらうものでもなく、ただそこにある、自然な人の生き方。

かつて俺が切望した家族の姿が、そこにあった。

俺は家庭というものによい印象をもっていない。自分で家庭を作る気もない。だが団塊ジュニア世代として当然迎える事になるであろう孤独死に、ささやかな怯えはある。かつて普通だったもの。年老いて、若い世代に見送られ、現世を旅立つ。それが叶わない時代に、俺たちは突き進んでいる。

家族。それは人の自信の源でもあり、もっとも小さな社会。そこに幸福があるから、人はふん張って生きていられる。そういった家庭形成のプロセスは、とても興味深いものだ。

一人でも多くの人に、自信の源になる家庭を形成して欲しいと思う。誰かの依り所となる家を、作って欲しいと思う。そのあり方は、従来の概念にとらわれる必要は無いのだし。

若者のいない社会は、我々団塊Jr.世代が老後を迎えたときに最大化する。俺たちは、その時迎える死を幸福にするために、新しい形の家族を探し続けねばならない。

あの土の家に集う、家族のように。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>