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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

多様は善、合意形成は必要悪、許し許される社会の実現

なんかこのへんを見ていて最近考えてたことと微妙にマッチして来たので書いてみる。

工業デザインを少し調べてみると、選択肢というのは少なければ少ない方がいいことがわかる。ユーザーが迷わないからだ。選ぶ余地が少なければ少ないほど、ユーザーの目的達成への障害は小さい。

しかし、それはその製品に「目的」が内包されてるからだ。ポットはお湯をわかし、冷蔵庫は食べ物を冷やす。製品に目的があるから、多様性をそこに放り込むとかえって使う人を迷わせてしまう。

だが社会はどうか。社会に明確な目的は内包されてない。曖昧模糊とした理想を掲げたような目的を提示されることはあっても、お湯をわかすといった具体的な目的が内包されることはない。それは社会構成員たる個人が持つものだ。

社会には様々な人がいる。ひとりの個人がすべてのバリエーションを見るのも難しいほどに。そう、100人いれば100通りの人生があるのと同じように。

なれば、幸福の形も100通りあると考えるのはそう飛躍したことでもないだろう。

誰もが生まれ育った町を心地よく感じるわけではない。誰もが結婚や子育てに幸せを感じられるわけではない。誰もが社員として働くことに喜びを感じられるわけではない。

孤独は誰もが悲しむわけじゃない。
死は誰もが恐れるわけじゃない。

世界は多様なのだ。人類はその生存のために多様性を犠牲にしてきた。性役割を作り、効率的に子孫を作って来た。十月十日の間、胎盤に横たわる生まれるべき存在を守るために。十と五年の間、次代を担う存在を育てるために。

だが今はそこまでしなくても生存が可能だ。平均寿命は伸び、女性一人頭2.08人も生めば人口が維持*1できるようになった。そうなったとき、次に必要なのは多様性の保持である。

性差というのは、結局のところ子孫を残せた個体の特徴を受け継ぐうちに生まれたものだ、という考え方があるらしい。男性的特徴とされる強靭な肉体や的を狙う能力は、獲物を狩る能力の高い個体が子孫を残して来た結果、女性的特徴とされる共感力や情動性は、育児や家事の能力の高い個体が子孫を残して来た結果、ということなのだそうだ。

だが似たような遺伝子だけでは環境変化についていけず、人類そのものが絶滅してしまいかねない。遺伝的多様性を維持する必要がある。

そしてそうでなくても、幸福の形に多様性があることは、文化そのものの豊さにつながる。ハッピーエンドの形が一つだけなら物語はたくさん生まれない。いろんな形のハッピーエンドを認められる文化的受容度の高さは、より高度な文明文化につながるはずだ。

なにより、自分だけの幸福を見付けられる。社会の都合にあわせざるを得なくて苦しい思いをして死んでいった人は少なくない。もうそんなことをしなくてもちゃんと回るだけの社会になっているはずなのだ。

たくさん子供が欲しい人がたくさん産めて
一人で生きたい人が一人で生きられて

仕事に生き甲斐を持つ人が遠慮なく仕事に打ち込め
趣味に没頭したい人が没頭でき

生まれ育った町で暮らしたいと思う人が暮らして行けて
新天地に行きたいと思う人がそこへ行けて

飛びたければ飛べばいい
歩きたければ歩けばいい

あなたがそれを許せば、あなたもまた許される。
それが多様性。どちらかなんて決める必要は無いのだ。

ただ許せばいい。そうして無限の命がつむがれ、明日を作っていく。

許しあって生きていこうよ。自分とみんなのそれぞれの幸福のために。
きっとそれが「合意形成」ということなんだと思う。

*1:人口置換水準のこと

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>