狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

我々はメディアから何を知るべきか

日本史上最悪といってもいい3月11日の東日本大震災福島原発事故から3ヶ月がたとうとしている。海外から見てもどうやら首都圏は日常を取り戻し、だが報道が少ないとはいえ被災地の状況はまだ苦しいようである。

「捨てられた日本国民」 政府は本当のことは教えない。国民がパニックになるから、だってという記事。

この記事のように「実は危険だ、東京電力と政府は本当のことを隠してる」という論調の記事や意見は震災直後から出回ってはいた。だが俺はその手の記事はよくて参考程度にとどめ、鵜呑みにすることは無かった。なぜか。

俺は原子力放射能に関するまともな知識を持たないからである。

くわえてただでさえ恐怖を煽るような報道がよく見られ、正直日本国内はパニック寸前だったのではないかとすら思う。いや買い占めなどの様子からするに、パニック状態に入っていたといってもいいかもしれない。

科学は論理と証明の積み重ねで誰でも理解できるものと思いがちだが実際はそうではない。誰もが理解可能なら誰もが東京大学でもMITでも入学できよう。人間の理解力はまちまちで、きちんと科学や学術実績を呑み込める人はそう多くはない。

だから我々一般市民は、科学に対して非論理的な信頼を持つにいたる。生活を便利にしてくれるから、人間を宇宙に送り出したから、よくわからないけど大切なことだから。

そういった知力の隙間をついた商売がある。似非科学とか偽科学とか呼ばれるものだ。水商売ウォッチングというサイトは似非科学批判の先駆けとも言える存在で、水に関する一般人の知識の無さを利用して、一見科学的な説明をつけて水に関する器具などを売り込む商売を批判しているサイトだ。

専門家から見れば明らかにおかしな説明でも、非専門家にはそういうものだと思いこませることは可能なのである。

さて表題のテーマに入ろう。メディアのジャーナリストは非専門家である。彼らの専門はジャーナリズムであり、各分野の専門家ではない。その結果何が起こるか。

メディア、テレビや新聞に似非科学を科学実績として紹介する記事が書かれるのである。

問題は似非科学だけじゃない。医療への理解の無い報道が今の医療崩壊を招いたことはよく知られている。医療ミスを過剰に叩き、現場の激務をこなす医師からネットで大変な怒りの声が巻き起こったのはそう昔のことではない。岡崎市立図書館事件への偏った報道はつい去年のことである(今年になっていくつかまともな記事が出てきたが)。

非専門家はジャーナリストだけじゃない。政治家だって非専門家である。政治家は大衆の声を反映し、メディアは大衆の声を作る。結果、非専門家がおかしな法律を作り始めたりする。それが今の現実なのだ。

3時間で「専門家」になる私の方法

3時間で「専門家」になる私の方法

そして原子力放射能は、佐々木俊尚のいうような3時間で専門家になるような方法を取るのは非常に難しいジャンルだ。あまりにも問題が複雑なのである。科学的な理解は多少得られても、放射能の影響も明確なデータがあるとは言えない。電力を回すのに各発電所の電力だけ見てても意味が無い。燃料の売買や流通だけでも素人がぱっと理解できるような話でもない。そこにはその筋の専門家が存在しているのだ。

そしてもっと言えば、学術とは専門家同士が意見をぶつけあう場である。専門家によって言うことが違うのもあたりまえなのだ。

ひとことで言おう。そこらのメディアに載ってる原子力放射能に関する記事は信頼すべきではない。もちろん政府発表も東電発表もだ。誰かが言っていた。古い世代は政府が信頼できないことをよく知っている、若い世代は何も信頼できないことをよく知っている、と。

こういった災害で我々にできることはただ一つ。とにかく落ち着くことである。避難指示が出たら避難する、水道水を飲むなと指示が出たら飲まない。水や食料の備蓄は日常的にやっておく。何日持たせればいいのかは政府や自治体の準備内容をチェックしておく。そういうものこそ報道しろとメディアに文句を言う。

それでも不安はあろう。人間の不安を解消してくれるものは2つある。知識と宗教だ。

必死に勉強して正しい理解を得るか、はたまたそこらの寺院になど行って僧侶の話を聞くかである。宗教と言っても別に信仰する必要もなければ入信する必要もない。伝統的な宗教なら壇家がきちんと支えてるので勧誘もほとんど無い。瀬戸内寂聴さんの話を聞こうくらいのものである。彼らは人を安心させるプロだ。

それにどうしても納得がいかないのであれば、必死に勉強するしかない。何がどこまで安全で安全でないのか、正しい知識を得る必要がある。原子力の専門家と言えるほどの知識があれば、なぜ専門家が簡単に安全かそうでないか言えない理由もわかるであろう。

どちらかが良くてどちらかが悪いというものではない。自分に見合った方法を選べばいい。それでも不安が生活に影響を与えるようなら、精神科や心療内科を受診する。生活に影響があるような不安はすでに病といっていい。

根本的な問題の解決は、専門家たちに委託するしかないのである。

メディアは不安を煽ろうとする。その方がたくさんの人が読もうとするから。それに誘われず、専門家の声をうまく読み取ろう。今はブログもTwitterもある。専門家の声を直接聞くチャンスも、直接質問するチャンスもあるのだ。

世界が思うより複雑であることを理解しよう。自分に何ができて何ができないか、よく考えよう。

そのために必要なことは、まず日常を生きることだ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>