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狐の王国

人は誰でも心に王国を持っている。

それでも子育ては社会で取り組むべき

なにやら育児放棄ネタが出てきて、なんともいえない気分になってきたので吐きださせてもらおうかなと。

これらの記事は先日大阪で2児がネグレクトで死亡した事件を受けてのもの。

わりとネット界隈ではこの育児放棄した母親への風当たりが強い。まあ常識的にはそうだろうなあと思うのだが、育児の現場を多少なりとも知る人間としては、あまり責める気にもならない。

子供は3歳と1歳。母親は23歳。10代で妊娠して出産したのだろう。

子育てというのは小飼弾さんが言うように、「乳臭く、糞臭い」ものだ。特に赤ん坊のうちはいつ泣き出すかわからないし、動けるようになったらなったで野獣のように制御不能。寝不足と緊張でもうろうとした意識の中、おむつを替え、糞尿を拭き、ミルクを与える。

そんなこと、二十歳そこそこの人間が一人でこなせると思うか? 自分が二十歳だったとき、そんなことできたと思うか?

わきあいあいとした子育てなんてのはたくさんの大人が周りにいてこそだ。たった一人の子育てなんて、戦場以外の何者でもない。余裕は無くなる。笑顔も消える。ただ必死に目の前の命と向き合うハメになる。

そりゃ逃げたくもなる。多くの子供たちにとって「母親が恐い」のは当然なのだ。母親の多くは子育てをその細腕一つに押しつけられ、一人で余裕の無い「戦場」を生き抜いて来たのだから。

そんな状況で「まともな子供たち」が育って来るとでも思ってんのかい? 生まれて来る子供たちは、おまえらが年取ったときの現役世代なんだぜ? 場合によっては自分の部下になったり、へたすりゃ上司になったりするんだぜ?

子育てなんてのは親のみならず、周りの大人が助けてやらねばそもそも成立しないものなのだ。

なのに日本社会と来たら子供をも「排除」しようとする連中が多い。電車に子供がいれば舌打ちをし、睨みつける。レストランに子供がいれば迷惑だと言う。

もちろんそんな人ばかりじゃない。俺も子供を連れて出歩いてるとき、たくさんの人に助けてもらった。優しくしてもらった。とてもうれしかった。

韓国料理の店に赤ん坊を連れていった時は、手の空いた店員さんたちが次々に子供をあやしてくれていた。店員はほとんど韓国人だった。

タイではよく子供たちの姿を見る。オフィスに子供を連れて来る人も多い。あいてるPCでゲームや動画を見てたりする。手の空いた同僚が面倒を見てることもある。

子供は社会で育てるべきなのだ。誰もが完璧な親になどなれるわけがない。準備万端で親になれるわけがない。

それでも社会は子供を必要とする。次世代の構成員を必要とする。

移民もやだ、子供もやだ。じゃあ誰がこの日本社会を担うのかね。いつから日本人はこんなわがままで幼稚な民族になり果てちまったんだい?

俺はdankogai言うところの「親にならない権利を行使」している人間だが、それでも子育てには関わる覚悟もあるし実際そうしてきた。社会が子育てを担うべきだというポリシーが先にあったわけじゃない。現場で手や口を出さずにいられなかったからだ。ポリシーはその中で醸成されてきた。

あんなもの、一人の人間が担えるもんじゃない。父親の育児参加なんて言ったところでたいした戦力にはならん。

うちは2〜3の家庭から子供を預って面倒見てることも少なくないが、子供は増えれば増えるほど育児は楽になる。上の子が下の子の面倒を見てくれるし、ある程度大きくなれば家事も手伝ってくれるからね。

そのとき初めて問題になるのがお金なんですよ。お金が無いからたくさん産めない、たくさん産めないから育児が楽にならない。

ちきりんの言う経済問題もわかるが、それ以前の問題。できるだけ多くの大人たちが子供に関わっていくこと。みんなで子供を育てていくこと。

もっと言えば「家族」の概念を広げること。お父さんお母さん子供という形だけじゃなくて、大人と子供が一緒に暮らしていくなんらかの形があればいい。そこには血縁すら必要ではない。

そうして社会が子供を育んで、次の時代を作っていくのだ。

Sugano `Koshian' Yoshihisa(E) <koshian@foxking.org>